私の性格の根底にあるもの
還暦を間近に控えて、自分の考え方や性格の根底にあるものが、アトピーだった頃に形成されている事実に今更ながら驚く。
例えばこうだ。
アトピー初期の頃、年齢的に20代前半から半ば頃。
私は、自分のアトピーが何をやっても良くならず、少し良くなっても直ぐ元の木阿弥になることにつくづく嫌気が差していた。
「良くなった!」⇒「ダメだ・・・」
「よし!治ったかも!」⇒「やっぱりダメだった・・・」
「今度こそ治ったぞ!」⇒「また今度もダメだった・・・」
こんなことを繰り返しているうち、何事に対しても「期待しない」と考える習慣が定着し始めた。最初は「何かを期待して傷つくより、何も期待しないでおこう」と言うような感じだった。
それは「受け身」とか「投げやり」と言うよりは、ごくごく自然な形として身に付いたものだが、この考え方は微妙に変化した。
平たく言うと「期待しない」以前の問題として「良い」とか「悪い」とか、「正しい」とか「間違い」とか、そう言う判断そのものを明確にしない方向に性格が移行した。
実際、それまでの私はそうではなかった。
正義感が強く、曲がったことは大嫌いだった。
それは正しいのか?
それとも間違いなのか?
答えはひとつ。そんな感じだった。
小学生の頃、運動場に落ちていた100円玉をそのままポケットに入れた友達に対して、絶交宣言するようなタイプの子供だったのだ。
「正解」or「不正解」 「常識」or「非常識」
どっちなんだ?
ところが、
アトピーを経験し、そしてアトピーを治す過程でこの二つの境界線が薄くなり、アトピーを治した時点ではむしろ「正解」と「不正解」、「常識」と「非常識」が逆転している現実に気付いた。
つまり「常識的な治療」では治らず、「非常識&異端」とされていた治療法で自分が完治している事実に気付いたのだ。
そして今、
あれから30年の時が流れて、当時は非常識だった治療法が今は常識的な治療法として定着しつつある。
で、こうなると「我々は何を信じて生きれば良いのだ!?」となりがちだが、そうではないと私は思う。
「あるがまま」
「あるがままを」
「あるがままに」
あるがままに見て、あるがままに生きる。
アトピー然り、「治そう!」「治そう!」と力まなくてもよい。
アトピーである自分を受け入れ、あるがままに見る。
「アトピーだから」と言う前提は捨て去る。
そして、
当たり前のことを、当たり前に、キチンと継続する。
これだけ。たったこれだけのことでアトピーは見事に消える。
それは、それが自然の摂理、理に適っているからだ。
飛鳥旬へ。
還暦とは、生まれ変わることだ。
変化するもの、移り変わるものの中に真の喜びがないことは今まで生きてきてもう十分過ぎるほど知った筈だ。
過去ではない。将来でもない。
今、この瞬間の生き方が問われている。
そこに、優しさ・思いやりはあるのか?