アトピー完治への道 飛鳥旬のブログ

アトピーは治してナンボ

克服奮闘記3

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近所の風景


やりたいことがある。

それは、日本一周ひとり釣り旅。
それは「今すぐ!」と言う訳ではないが、必ず実現させるつもりでいる。
スタイルは、今流行りの車中泊をメインとしたものになるだろう。

私自身、「釣り」そのものに対して特別な思い入れがある訳ではなく、それこそ行かない時は全然行かない。ただひとつ言えることがあって、それは私の人生にもし「釣り」が無ければ、今、こんな風にアトピーを乗切ることが出来なかった。と言うことだ。

もちろん、釣りに行くことで直接アトピーが治った訳ではない。

そうではなくて、私にとっての「釣り」はある意味、避難場所と言うか、精神的にも肉体的にも行き場を失った自身を守ってくれるシェルターの如く、それは家族とか友人達とはまた別の意味での「救い」であった。

真っ赤な顔をして、恥ずかしくて、悔しくて、情けない。

そんな屈辱的な日々を何とか生きてこれたのは、釣りをしている間の時間だけがその屈辱的な時間の全て帳消しにしてくれる程ではないにせよ、少なくとも埋め合わせてくれる程度に作用していたことは間違いない。

その後、案の定と言うか、アトピーが完治してから釣りに行く回数は減った。

もう少し正確に言う.と、自分が生きている中で比較的順調な時には釣りに行かず、何らかの迷いやトラブルを抱えた時ほど釣りに行く。このパターンが続いた。

さて、

では何故、釣りに行くことで私は救われたのか?

正直、この件に関して当時はあまりよく分かっていなかったのだが、今ならそれがハッキリと分かる。そして応用することもできる。

それは大自然の中でのんびり時間を過ごしたことが影響したとか、確かに、そういう一面はあるだろう。しかし本当の所はこうだ。

私は中学生の頃からそうなのだが、釣りに行く時だけは真剣に事前に準備をして、釣り場に到着したら「魚を釣る」ことだけに全神経を集中する。それは普段、勉強に対する私の姿ではなく、またその後の仕事に向き合う私の姿とも違う。

とにかく釣り場に到着するや否や、冷静に淡々と作業を進める。
ロッドにリールを固定して仕掛けにエサを付けて投入するまで、ラインのトラブルを起こさないよう、細心の注意を払って淡々と作業を進める。

勿論、それ以外の情報、例えば潮の満潮&干潮等は調査済み。

このようにひとつひとつ自分の動作(所作)に注意を払っていると、不思議と心が安定する。心が安定すると言うことは、同時に「やってみよう!」とか「やれば出来る!」とか、とにかく気持ちが前向きになることを意味する。

医療機関だとこのような話は一蹴されるかもしれないが、アトピーのような慢性病と闘う場合、私はこのような精神上の経験はかなり有効だと思っている。

アトピーを治す際、「医者任せにせず真剣にアトピーと向き合いなさい」等と言われることがある。しかし真剣に治したいなら、向き合う相手は「アトピーではなく自分自身」だと私なら思う。

ここが本当に言葉や文字では伝わりにくく、また誤解を招く箇所なのだが、自分自身と向き合うと言うのは、本当に今、自分のやっていることに気付いている言う意味だ。

針にエサを付けているなら、それ以外のことを考えるのではなく、それに集中。
お茶碗を洗っている時も同じ。クルマを運転している時も同じ。

一見、アトピーとは何の関係も無いように聞こえるかもしれないが、こーゆうところが実は盲点なのだ。事実、アトピーの情報だとデドックスとか最近ならファスティングの話が多いが、それはそれで正しい一方、それに対して心が追い付かず挫折するケースも多い。(事実、私はそうだった)

日本一周ひとり釣り旅。

今度はアトピーを治すのではなく、もっといろんなことに気付けますように。

克服奮闘記2

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手軽&便利&美味しい!


本日、散髪した。

散髪はいつもなら散髪屋さんへ行くのだが、今回は奥さんにやってもらった。
新型コロナウイルスの影響で、いつも通っている散髪屋さんが営業自粛したからだ。「この時期に?」との思いはあったが、他の散髪屋さんに行くのも面倒なので、今回は奥さんに任せることにした。

ちなみに、奥さんはカットに関しては全くの素人。
ユーチューブ動画を参考に試行錯誤しながら、それでも何とか形になった。
道具は愛犬用のカットハサミ&バリカンだが、そこは気持ち的にスルー。

妻にカットして貰っていると、ふとアトピーだった頃のことを思い出した。

それは私のアトピーが顔に出始めた20代後半の頃、バブル経済が弾ける直前の話で、まだステロイドに対するバッシングは始まっていなかった。

当時、アトピー性皮膚炎は社会的にも認知されつつあったのだが、それでもまだまだアトピーのことを知らない人はいて、私は敢えてアトピーことは知らなさそうな個人経営の理髪店に通っていた。

理由は簡単で、散髪中、アトピーの話題が出るのが嫌だったからだ。

当時、私は自分がアトピーであることを認めたくないと言うか、もう自分の前でアトピーに関する話すら出るのが嫌だったのだ。

だからアトピーのことなど知らず、普通に髪を切って普通に顔を剃ってくれる個人経営の静かな理髪店に通っていたのだが、あの出来事はここで起きた。

それは、散髪が終わってシャンプーから顔剃りに移行した時だった。
散髪中、なんとなく「やばい・・・」と言う感じはあった。しかし、そのことに気付いた時は、もう既にタイミングを逸してしまった後だった。

「エラいこっちゃ!」
「顔から粉が噴き出とる!」

「オヤジ、声がでかい・・・」と思ったが、既に万事休す。
アトピーのことなど知らないオヤジが、ここでは完全に裏目に出た。それに普段なら人の少ない理髪店だが、この時に限って小学生が数人順番待ちをしていた。

その小学生達は直ぐに近寄ってきた。

「わーっ!顔、真っ赤や!」
「あれーっ!白い粉がどんどん出てくる!」

小学生達は、まるで理科の実験室のカエルを見るような目で私を観察した。
一方、私はと言えば、この時ばかりは何故か妙に心が据わっていた。

その時はもう恥ずかしいとか、情けないとか、悔しいとか、そんな感情ではなく、自分を観察するような目で見ていた小学生達の姿を、逆に冷静に観察していた。何となく、「吹っ切れた」瞬間だったかもしれない。


時代は変わった。

今、アトピー患者を取巻く環境は、私の時代とは大きく異なっている。ある意味、それはいい意味で恵まれた環境のように私には思える。

例えば、私の時代(1970年代~1980年代)では、アトピーに関する情報は圧倒的に不足していた。つまりどうすればアトピーを治せるのか。ここが全く分からなかったのだ。

ところが今は違う。
ネットで検索すれば、「アトピーの治し方」自体は比較的簡単に知ることができる。多くを調べた訳ではないので断定はできないが、総じて情報そのものもは正しいものが多く、私の時代のような極端でバランスを欠いたような「治療法」は少数派になった。

そういう意味からすると、私は正直に「良い時代になった」と思うし、実際、普段の生活でもその恩恵は十二分に活用させて頂いている。

しかしながら、その一方でこんな風にも思うのだ。
それでもアトピーに関する限り、治し方を知る事と実際に治せる人になる事は違う。と。私の知る限り、この事実は厳然としてある。それは素晴らしい参考書を持っていても、目指す大学に合格出来る人と出来ない人がいるようなものだ。

アトピーを治すのに「治し方」、つまり「良い食べ物」とか「良くない食べ物」と言った基本的な知識は確かに大事。で、その類の情報なら、もう既に世の中には一杯出回っているし、その大半はその通りだ。

しかしアトピーを治すのにもっと大切なもの、それは取組み方だと私は思う。

その取り組み方とは、ストイックではないし、プラス思考とも違う。

アトピーを治す大きな要因。それは「冷静さ」。だと私は思う。
もう少し言うと、それは自分を客観的かつ冷静な眼で観察する力。

これが無いと、いくら「食べて良いモノ」と「食べては良くないモノ」を頭の把握していても、実際、食事の時間になると、そんな知識など吹き飛んでしまう。

ある意味、アトピーは喧嘩相手と似ているかもしれない。

喧嘩と言うのは、常に冷静な方が勝つ。ようになっている。
一時の感情に流される者は冷静な者には絶対に勝てないようになっていて、このことは歴史が証明している。

楽しい時には笑い、悲しい時には泣く。
それは間違いではないし、悪いことでもない。

しかし、見方を変えれば、楽しみがあるから悲しみもある。
つまり、楽しみと悲しみは元々ツインで存在するものなのだろう。

アトピー治療に関する限り、一喜一憂することなく「冷静さ」と共に淡々と対処する。私には、この対峙の仕方が一番のように思える。

この「冷静さ」を失ったまま先に進むとどうなるか?

それは実際に体験しなくても、それを想像できる能力が人間には与えられている。
これは大きな福音なのかもしれない。

今の時代は便利になった。

その典型例がレトルトの玄米粥。こんないいモノ、私がアトピーの時代にはなかった。活用できるものは何でも活用するぞー!

克服奮闘記1

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近所に咲いていたユリ

 

京都のT病院を退院した後、アトピーは順調に治った(完治した)かと言うと、必ずしもそうではなかった。

確かに、症状は日に日に良くなっていった。事実、3月14日に退院後、6月には社員旅行に参加。念願の「半袖のTシャツ」を着て、ハワイのワイキキビーチで泳げるようにまで皮膚は回復していた。

それでも、私はまだ「自分のアトピーが完治した」とは思っていなかった。

T病院での入院中に「こうすればアトピーは治る」と言う確信は得たのだが、それは同時に「それを続けないと逆戻りする」と言う不安との背中合わせでもあったのだ。

現実的な問題として、入院中ならできることでも、退院して社会に復帰すれば難しくなることは多々あって、中でも一番苦戦したのは食事(食生活)だった。

何をどれだけ食べればよいのか?

そういう問題は確かにある。
しかしそれより厄介なのは職場に復帰したその時点から、自分のペースで食事を摂ると言うこと自体がままならない状況だった。

多分、このことは仕事の内容や職種にもよるのだろうが、当時の私は誰か(多くの場合、それは取引先)と食事をすること自体が既に仕事の中に組込まれていて、自分の好きな時間に好きなモノを食べることが許させる環境ではなかったのだ。

それでも、アトピーを治したいなら「こうすれば治る」を続けるしかない。

環境がどうであろうと、治すための選択肢はとにかく「やる」しかないのだ。で、とにかくやっていると、その中で徐々に見えてくるものがあった。

そのひとつが、「完璧でないくてもいい」だ。

必ずしも100点を目指す必要はない。65点で十分。大切なのは続けることなんだ。
とにかくやるしかないからやっていると、そういうことが徐々に分かってくると言うか、身体を通じて勝手に見えてくるようになる。

例えば食事。

何をどれだけ食べればよいのか?最初はこのことに頭を悩ませた。
胃腸に負担を掛けないためには少食にするのがベスト。でも、少食だと体力が持たない?と言うか、その前に仕事でストレスが溜まると、食べることで発散したくなるじゃないか!(入院中とは大違いだ!)

こんな感じで最初は苦戦したのだが、それでもめげずに続けていると、まず、こんな風に思うようになった。

ゆっくり、良く噛んで食べるとどうなる?

これは意外と効果的だった。何が効果的かと言うと、食べている自分を客観的に観察できるようになったこと。つまり食べ方そのものが変わったのだ。

例えば、回転ずし。

今、食べているネタを賞味せず、次に食べるネタを物色。で、結局、ひとつひとつのネタをじっくり味わうことなく大食。そんな食べ方をしている自分に気付いた。

で、ゆっくり自分が今食べているモノを味わって食べるようになると、自ずと歯止めが効くようにもなった。

食べ方だけではない。
食べ物の種類にしてもそうだ。

健康を維持するための腹八分目なら、食べるものそのものが重要になる。で、私の経験上、それは命、つまり生命を頂くことなのだ。

生命力のあるモノ。これが食材。工場で生産されたものより、海や山で採れる新鮮な生命。これを摂取する。だからと言って、活きたタコの刺身を食べ過ぎたり生卵を飲むような食べ方はやり過ぎだ。逆に痒みを誘発してしまうので注意が必要。

生命力が強すぎる、いわゆる「精(力)」の強いものは要注意で、そういうものは火を通してじっくり調理するのが賢明。「白米より玄米の方が生命力は上」と思って、好きでもない玄米を無理に食べる必要もない。

要は基本的なことさえ押さえておけば、後は65点主義でよいのだ。

 

アレルギー検査に思うこと

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雨の生駒山

さて、今回はアレルギー検査の話をします。

アトピーの人なら、一度は受けたことがありますよね?
ま、アレルギー検査と一口に言っても、結構種類があって、費用もまちまちですが、典型的なものと言えば、血液検査によるアレルゲン検査でしょう。

このアレルゲン検査。

私の場合、通算で70回以上受けたと思います。で、常に数値の高かったのはハウスダストとヤケヒョウダニ。この二つでした。

で、この結果を知らせる度に、妻の顔が険しくなるのでした。

「私が、全然掃除をしていないみたい・・・」
「一生懸命やっているのになあ・・・」

この際、ハッキリ言っておきますが、いわゆる「吸入系アレルゲン」と呼ばれるアレルゲン、例えば上記2種以外にもスギ、ヒノキ、カモガヤ、ブタクサ等の数値が高くても、そのことで「部屋が掃除できていないから・・・」とか、とにかく誰か(自分も含めて)を責める必要はない。と私は思います。

逆の言い方をすると、いくら必死で家じゅうの部屋を掃除しても、それだけでアトピーが治る(完治)なんてことはない。そういうことです。

実際、私自身やってみて、いくら小まめに部屋の掃除をしても、ハウスダストやダニの数値なんて、そうそう簡単には低下しませんでしたから。

ましてやスギやヒノキ等の花粉系になると、もうお手上げですね。

そもそも対策の打ちようがない。
周囲のスギやヒノキを全て伐採するのは不可能です。

なので、こういうひとつひとつの検査結果に対しては「そうなのね~」くらいで、軽く受け止めておく程度でよいと思います。受け流す必要は無いですが、真剣になる必要もない。要するに目安程度で十分。

何故そんなことが言えるのか?

それは「治す」と言う視点で見た場合、大切なのはそこじゃないから。

簡単に言うとですね、アトピーを治すと言うのは周囲の環境を変えることではなくて、自分自身がアトピーではない自分になることなので、この文脈からすれば、当然、努力する方向性も外部的なものではなく内側の自分に向かう訳です。

分かり易く言うと、アレルギー検査の結果より便通、つまり自分のウンコの状態。こっちなんですね。大切なのは。で、大便とは文字通り「大きな便り」、小便とは「小さな便り」のことで、これをしっかり注視することの方がアトピー、いやアトピーだけでなく健康のバロメーターとしても役立つように思います。

因みに、このことは書籍から学んだのではなく、自分自身の経験から得た知恵なので、いくらでも応用が効きます。

とは言え、アレルギー検査が全く無意味なのかと言うと、そんなことは全くなくて、私自身、目安にしている検査項目もあります。

それは、血液検査の中の「好酸球値」。

一般的に健康な人であれば、好酸球が白血球の中に占める割合は5%程度と言われていて、少しくらい数値が高いくらいであれば特に問題はないのですが、私の場合、アトピーが酷い時には正常値の4~5倍程度に上昇していました。

この好酸球値は必ずしもアトピーの状態をリアルタイムで示している訳ではないので、一喜一憂するようなものではないのですが、私は症状が良くなってからも、この好酸球の値だけは参考にしていました。

そんな訳で、アトピーを治す上で私がひときわ重要視しているのは大便、つまりウンコの状態で、コレは単に出るとか出ないとか、その程度の話ではなく、色、形状、臭い等の詳細を観察するくらいの慎重さが必要なように思います。

と言うか、実際に出たウンコをザーッと流さないでじっくり観察してみると、そこにはいろんな情報が詰まっています。「へー!」って思われるかもしれませんが、それは何も食べたものの結果だけではなく、その便が出るに至った原因として精神状況まで知るヒントが満載されていたりします。(これは分かるまでちょっと時間&経験が要る)

ウンコは正直です。

自分の体が不健康なのに、健康的なウンコは出ない。
逆も同じ。自分が健康なら、健康的なウンコしか出ない。

もし、アトピーを治すためにあーだこーだと悩んでいるなら、健康的なウンコが出るように頑張ってみるのがお勧めですよ。

何を食べればよいのか?
何を食べない方がよいのか?
一日何回食べればよいのか?
また、どの程度の量を食べればよいのか?

それは全部、ウンコが教えてくれる。

それは誰かに教えて貰った間接的な情報ではなく、自分自身の経験から得た知恵。
自転車に乗れるようになるのと同じ。足の力の入れ方、ハンドル操作、それらは全部自分の体で会得したもの。

検査結果は参考程度でいいよ~。それより自分を信じよう。

 

 

入院していた頃の出来事

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田植え

最近、すこぶる体調がいい。

私の場合、毎年この時期になると体が重く、頭の芯のスッキリしない日が多いのだが、今年は新型コロナの影響で普段より気を付けていたせいか、すこぶる調子がいい。

「気を付けていた」と言っても、特別なことはしていない。

「お腹減った!」と感じたなら食べる。
「お腹減った!」と感じてないなら食べない。

昼食の時間でも、お腹が減っていないなら、他のことをして時間を過ごす。すると大抵、夕食前には「お腹減った!」となる。そして夕食はゆっくりよく噛んで食べる。

これを続けていると、ホントに体調がよい。

最初に私がこのことに気付いたのは、アトピーが悪化して入院している時だった。
当時の私はステロイド離脱によるリバウンドからアトピーが劇的に悪化。殆ど身動きが取れない状況のまま、京都のT病院に入院したのだった。

この病院で私は「絶食療法」なるものを経験することになるのだが、とにかく今、自分が健康でいられるのも、この病院での体験が大きく影響しているように思う。

その「絶食療法」を簡単に説明すると、最初の2日間で食事の量を減らして、後の3日間は「すまし汁」だけ。そして、後の2日間でゆっくり普通の食事の戻す。と言うもので、当時はこれをワンクールと呼んでいた。

私は、この「絶食療法」を入院中のひと月で3クールやったので、殆ど「絶食療法」をするために入院していたのようなものなのだが、この入院期間中に、私の今まで経験したアトピー治療の常識はぶっ飛んだ。

それは、これまでの治療では考えられないような変化が連続して起きたからだ。

結論から言うと、この入院期間中に私のアトピーはそれはそれは劇的に好転した。
勿論、それが「完治」でないことはそれまでの経験値から分かってはいたけれど、それでも、この時の経験は「治せる!」と言う確信を得るには十分な体験となった。

当時の面白い話をしよう。

あれは確か2クール目が終わって、回復食の時だった。
昼食の3分粥を食べた後だったと思う。ベッドで横になっていると、突然、お腹が物凄い勢いでゴロゴロと動き出した。

「なんだ!」「なんだ?」

そう思って観察していると、次はいきなりブォーと言う爆音と一緒に大量のガスが噴出。その時間がまた長い。続く続く。「いや、もーええやん」って感じ。これだけの長い時間、大量のガスが出たのは生まれて初めての経験だった。

で、やっと止まったと思ったら、再びゴロゴロのお腹が動き出す。「少し治まったかな?」と思って、寝返りを打つと、またゴロゴロ・・・。この繰り返しが延々、1時間くらい続いた。

「看護婦さん入ってきたらどうしょう・・・」

当時、私はまだ30歳。多少なりとも、それなりの「恥じらい」はあった。で、それまで個室しかないことにブー垂れていた私、この時ばかりは「個室で良かった!」と心変わり。

さて、1時間後、私のお腹はペッタンコになった。
いや、ペッタンコと言うよりも、凹(くぼんだ)といった感じになった。

と、同時に、この日を境に私のアトピーに大きな変化が生じた。

炎症が消え始めたのだ。それまで18年間、何をやってもダメだった皮膚の炎症が、しっかり目視できる程、1日単位で消えているのだ。

こうなると、夜、シャワーを浴びる時間が待ち遠しくなった。

普通、入浴後の数時間と言うのは、症状がピークを迎えることが多い。体内の血流が促進されることで、発作的な激しい痒みを誘発するからだ。

ところが、お腹がへこんで胃腸の働きが活発化して以後、皮膚の炎症(赤み)は日に日に消えた。

それだけではない。

頭の中がスッキリして鼻が通り、鼻炎が治ってしまっただけでなく、それまで私を悩ませていた結膜炎まで消えた。(因みに、私の場合、喘息は元々ない)

この時の驚きは、今も鮮明に憶えている。

しかし今思うのは、それは決して不思議でも奇妙でもないと言うこと。
それは毎朝、いつもの〇時△分の電車に乗れば、目的地である会社や学校には〇時△分には到着するくらい、普通の事なのだ。

説教じみたことを言うつもりはないのだが、今はグルメとかなんとか言って、TVを観れば食べるシーンばかりが当たり前のように映し出される時代だが、実はそうでない国の人達も沢山いて、私達の食生活パターンの方がむしろ少数派なのかもしれない。と言うことが今回のコロナ禍を通じて再認識させられた気がする。

私自身、決して食べることが嫌いではないし、気の合う仲間同士でワイワイ飲み食いするのは大好きな方なのだが、ホドホドと言うか、やはり自分の健康は自分で守るほかないだろう。

 

 

アトピーの「原因」に付いて思うこと

f:id:asuka-atopi:20200510211437j:plain               近くの竜田側


ブログを配信していると、アトピーの原因に付いて質問されることは多い。
で、そのような質問を頂く方の多くは、大抵、こんな風に考えておられるようだ。

原因さえ分かれば、対策は打てる。

確かに、これは間違いではない。と言うか、むしろ真っ当な考え方だ。

事実、私自身、自分がアトピーだった時はこの「原因」を必死で探した。
当時はまだSNSどころか、ネットさえ普及していない時代。普通の学生がアトピーの情報を探そうと思えば、図書館か大きな書店に行くくらいしか選択肢はなかった。

で、この「原因」探しは、社会人になっても延々と続いた。

「自分探しの旅」なんて言えば格好いい話だが、当時、「アトピーの原因探し」を何年も掛けてやっている人間なんて、そうそういないかったのではないかと思う。

で、「結局、アトピーの「原因」は発見できたの?」
そんな風に聞かれれば、答えはノーだ。全然、発見できていない。

アトピーが完治して、全くそのことは気にしなくて済むようになった今でも、私は一般論的な意味でのアトピーの「原因」に付いては明確な答えを持っていない。と言うか、アトピーを治す場合、逆に「原因」なんて知ろうとしない方がいいとさえ感じている。

お断りしておくが、これは医薬品の開発者やその他、医療従事者の方々の努力が無意味だと言っている訳ではない。

そうではなくて、実際、アトピーに苦しむ患者がアトピーを治そうとする場合、あまり「原因究明」に神経質になる必要はないと感じていて、もう少し言うと、私は、この「原因を究明して問題解決に至る」と言う一般的な成功パターンが、アトピー治療に関する限り、かなり成立しにくいと考えている。

さらに言えば、

アトピーの原因なんてものは究明するものではなく、自然と見えてくるものだ。

簡単に説明すると、それはアトピーだけを治す特別な治療ではなく、健康な身体を取り戻す日々の努力を繰返す過程(プロセス)の中で、AさんにはAさんの、BさんにはBさんの、と言った具合に個別の情報として自然と分かるようになるものだ。

これを例えるのは難しいが、強いて言うなら、それは掛け算の九九を暗唱できるようになれば日々の買物で自ずと計算ができるようになるようなもので、自分で使いこなさせる知恵であるが故に、再びアトピーに逆戻り(再発)のリスクからも解放される。

実際、このような例は巷に溢れている。

例えば新型コロナウイルス
原因は未だ究明されておらず、特効薬も開発されていない。

このような状況下にありながら、10万人以上の死者を出しているアメリカと、未だ死者の数がゼロのベトナムの相違点は何だろう?

当然、免疫疾患のアトピー性皮膚炎と感染症である新型コロナウイルスでは、その性質も違う。しかしこの歴然とした数字の違いは、その場に身を置く当事者からすれば、必ずしも原因の究明だけが問題解決の唯一の道ではないことを示唆しているようにも思える。

私が思うに、アトピー感染症より、ずっと自分の努力次第で治せる疾患だ。
胃腸の働きを良くして便通を整える。これが最初の試み。身体的なアプローチはココから始める。甘いモノを控え、食べ過ぎない。

今、何となく思い付いたのだが、そう言えばベトナムの人って、自分が知る限り高齢の方でも太った印象があまりない。一方、アメリカは? う~ん。

私自身の経験で言えば、健康維持の視点からは食べ過ぎは一番良くない気がする。
いや、厳密に言えば、自分の消化能力を超えて食べるのが良くない。

このことは、とても大切な気がする。

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海を撮っていたら・・・

 

このブログに載せる海の写真を撮っていると、知らない間に自分が撮られていた。


今日、海に行った。海に行くのは本当に久しぶりだ。
GW期間中は本当に何処にも行かず、誰とも会わず、ひたすら自粛していた。
身体を動かすのも、愛犬と近所を散歩するだけ。そんな日々の連続だった。

どーしようもなく海に行きたくなることがある。

厳密に言えば、海でなくとも自然に触れることができる場所であれば、それはそれでいいのだが、とにかく非日常的な時間と空間の中に身を置きたくなることがある。私の場合、多分、それは自分と自分の外側にあるものとの関係に少し疲れている時だ。

今まで生きてきて、感じることがある。

それは「自分は今、満たされている」と言う感覚が、必ずしも美味しいモノを食べている時とか、仕事に対する報酬を得た時だけではない。と言うことだ。

もちろん今でも

美味しいモノを食べている時は幸福で、仕事で報酬を得た時は嬉しい。
若い頃、大好きな彼女とのデート中は、幸福の絶頂に昇り着いた気分だった。

ところが、この種の幸福感は長続きしない(しなかった)。

一方、

自分が自分以外のあらゆるモノと一体感を得た時の幸福感はエンドレスのように感じる。

一昨年前のNHK大河ドラマ、「西郷どん」でのワンシーン。

賊軍の扱いを受け、政府軍に追い詰められた西郷軍。
もう勝ち目はない。明日、最終決戦では皆、間違いなく死ぬだろう。

そんな状況下で西郷が放った言葉。

「俺達は最後の士族(武士)だ!」
「俺達が死ぬことで士族(武士)は消える!」
「しかし、そこから(士族が消えることで)また次の日本が始まる!」
「だから悲しくも悔しくもない。」

この西郷の言葉を聞いたひとりの兵士曰く。

「ん?なんか楽しいぞ!」
「不思議なことに・・・ 何か楽しい!」

すると、他の兵士たちも叫びだした。

「おー!確かに楽しい(満たされている!)」
「明日、死ぬのが分かっているのに。満たされている!」

私は、西郷隆盛と言う人物の政治家や軍略人としての手腕はよく分からない。
しかしこのシーンを見る限り、西郷と一緒にいた兵士の気持ちは分かる気がする。

それは、死も無く恐れも無く、あるのは自分と自分以外のモノとの一体感だけ。
そんな風に思うのだ。

話を戻そう。

「今、自分は満たされている!」と感じるのに、何も決戦を前にした兵士と同じ状況を作る必要なない。そんなことまでしなくても、今、身近にいる人や身近にある自然、生き物、そういう自分以外のモノと一体感を得ることで、意外と簡単にこの「今、オレは満たされている・・・」はやってくる。

だが、アトピーだった頃の自分を振り返ると、全く逆のことをしていた気がする。

アイツよりオレ。
アイツ以上にオレ。

こうなると、悪いことにアイツのアラを探すことにエネルギーを使うようになる。と言うか、自分がエネルギッシュであるために、自分以外の外側にあるモノの間違いを探すようになる。

これは疲れる。いや、疲れた。
必要以上のエネルギーを使い、いつもへとへとになる。

「ね?そんなの疲れるでしょ?」

最後の最後、もうアトピーが劇的に悪化して、仕事だけでなく遊びさえも出来なくなった時、そのことを教えてくれたのは、海だった。