飛鳥旬のブログ

自分のアトピーは自分で治そう!

後出しジャンケン

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                 散歩道


ようやく、1回目のワクチン接種を終えた。

普段、滅多に行くことのない奈良県庁の横にある文化会館での集団接種。

時間帯のせいか、空いている駐車場を探すのに一苦労した。

で、「取り合えずこれで安心」と思いきや、思わず「おいおい・・・」となった。

イスラエル コロナ 死者数)で検索すると、大変なことになっていた。

新型コロナウイルスがデルタ株に変異してから、イスラエルでは死者数が急激に上昇しているのが一目瞭然でわかる。(ジョン・ポプキンス大学のデータより)

事態が急変したのは2021年8月1日。

ワクチン接種が開始され、一旦確実に死者数が減少してコントロールできたかに見えていた状況がこの日を境に一変。死者数が増加の一途になった。

つまり、このデータは現行のワクチン(イスラエルファイザー社製)がデルタ株にはほとんど無効である事実を示している。

確かに、デルタ株の出現までワクチンはパンデミック収束の切り札とされていた。が、「デルタ株」の出現により、状況は変わってしまったのだ。

新型コロナワクチン VS 新型コロナウイルス

よくよく考えてみれば、この戦いの結末は戦う前から見えている筈である。

そもそも新型コロナウイルスやインフルエンザウイルスは変異型のウイルスだ。

つまり、有効なワクチンを接種しても必ず変異が生じて、ワクチンの効かない新たな変異株が今までのものに取って代わる。

要するに、

この戦は「後出しジャンケン」のウイルスが勝利するカラクリではないか?

となれば、

アビガンだろうが、イベルメクチンだろうが、ムラック抗体だろうが、とにかく新型コロナウイルス+変異株に有効な治療薬の摂取が急務ではないか?

私を含め、多くの人が摂取した(している)ワクチン。

「アレ、結局、意味なかったよね~」とならないことを祈りたい。

 

 

人体実験

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                   散歩道

腰痛が完治した。

以前、このブログでも紹介したが、腰痛と真正面から向き合うようになったのは2020年の1月で、それまでは肩こり+腰痛のワンセットでなかなか辛い思いをしていた。

マッサージ、整体院に通うも効果なし。

「楽になった」と感じることはあった。が、それは続かない。それはまるでステロイドで一時的に症状を抑え込んでも、根本解決には至らないのと同じようなものだった。

要するに、肩こりや腰痛には対症療法が通用しないのだ。

で、「自力で治そう!」と決心したのは、2020年の初め。

そこから、私の人体実験を兼ねた根本治療が始まった。

とは言うものの、何から始めれば良いのやら、さっぱりわからなかった。

で、一旦頭の中を白紙に戻して、身体からの直接の情報だけに集中した。

「今、こうするとココが痛い」
「でも、こうするとマシになる」
「その代わりに、あそこの筋肉が緊張する」

「コレ、なんで?」

「今、痛いココ、ストレッチで伸ばしてみると?」
「アカンアカン、もっと痛くなる」
「じゃ、反対側の筋肉を伸ばしてみたら?」
「ん?楽やん」

「コレ、なんで?」

時間の掛かる面倒な作業である。

が、これをコツコツと繰り返していくと、嫌でも見えて来るモノがある。


地道な人体実験を繰り返すことで、私の肩こり&腰痛は消えた。

肩こりは半年。
腰痛は約1年半を要したが、痛みは嘘のように消えた。

ところで、

時間の掛かる面倒な人体実験を繰り返すことで見えて来るモノがあると書いたが、その見えて来るモノの中身は、実は書籍やユーチューブで紹介されている内容と大差はない。が、実は「見え方」には大きな違いがあった。

その「見え方」の違いとは何か?

それは自分自身で人体実験して得た体験があるから、そんなことは全くやっていない単なる情報提供者の人の情報レベルでは、その底の浅さが見通せてしまうのだ。

このことの分かりやすい例は、「プロレス」だろう。

プロレスは暴露本が出るまでは「真剣勝負」と思って観ているファンが多かった。で、「一番強いのは誰だ?」「アントニオ猪木か?」「ジャイアント馬場か?」と最強論を展開していたのだが、柔道部やレスリング部の連中は違った。

「あんなんショーに決まってるやん」
「最初から勝者と敗者は決まっている」
「それに年間に200日も真剣勝負なんて土台無理な話」

「見え方」の差である。

実際、自分が投げられたらどうなるのか?
実際、自分が締め技を掛けたら相手はどうなるか?

人体実験がベースにあると、「見え方は」全く違ってくる。

事実、今の私ならユーチューブを観ても、そのユーチューバーが本当に多くの腰痛を治した実績がある人なのか、それともどこかの情報をアレンジして話しているだけなのか、その違いくらいはおおよそ察しがつく。そういう視点で見るつもりでなくても、それはわかってしまうのだ。

「自力で治してやる」

そう腹をくくるまで、何件もの接骨院に通院した。

そこには、お決まりの「喜びの声」の写真が壁に貼り付けられていて、「自分もあの中の一人になれたら・・・」と思う事もあった。

が、残念ながら、それが実現することはなかった。

では、そういう接骨院が全く無益なのかと言うと、そんなことはない。事実、私はその後もそれらの接骨院のお世話になりながら肩こり&腰痛を治したからだ。

その理由はこうだ。

自分で人体実験すると体のあちこちが張ったり痛くなったりするのだが、そんな張りや痛みを揉みほぐすのは自分では無理で(妻にはお願いする勇気がないし)、結局は接骨院やマッサージ師の力をお借りするのが一番なのだ。

だから、肩コリ&腰痛そのものは自力で治す。

でも、その際に発生する痛みや張りは接骨院さんのお世話になる。

つまり、

マッサージに依存して腰痛を治すのではなく、根本治療をサポートして頂く感じ。

コレって、ステロイドに依存してアトピーを治すのではなく、根本治療をサポートする目的で使うのと同じじゃないか・・・。

で、今、私が人体実験していること。

それは、高タンパク、高脂質の食生活。

つまり、

炭水化物の摂取量を控え、高タンパク、高脂質の食生活を続けるとどうなるか?

コレ、ほぼ1年以上続けたので、折を見て紹介します。実際にやってみると、ビックリ仰天することが多々ありましたからね。

アトピーにも効果抜群なので、お楽しみに。

 

条件は何もかも揃っている

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散歩道


最近よく思うコトがある。

それは何かを「始めよう!」と思った時、今ほど条件が整った時代は過去に無かったのではないか?と言うことだ。

例えば「脱サラ」。

ひと昔前なら、普通のサラリーマンが「会社を辞めて自分で何かを始めよう!」と思っても選択肢は限られていた。

コツコツとお金を貯めて飲食店を開業するとか、今までの経歴を活かしてブローカー業を営むとか、せいぜいそんな選択肢しか無かったように思う。

またせっかく開業資金を集めて独立開業まで到達しても、日々の生活だけで精一杯で、「何のために独立したのやら・・・」となるパターンも多かった。

ところが、今は違う。

わざわざ開業資金を貯めて店舗や事務所を借りなくても、スマホとパソコンさえあれば、仕事は自宅でいくらでもできる。

このパターンで全ての人が成功してハッピーになれるとは思わないが、少なくともひと昔前よりは働き方の選択肢が増えたことは確かだと思う。

このことが、実はアトピーにも同じことが言える。

私の時代やそれ以降の時代(2000年頃まで)と比べて、今やアトピーは比較にならないほど治しやすい疾患の一つとなった。

治すための条件が、少なくとも環境面では何もかも整っているからだ。

私の知る限り、アトピーと言う病気を治す場合にはそれが成功しても失敗に終わっても、そこには必ず食生活が関係している。

つまり、毎日の「食事」はアトピーを治す鍵なのだ。

勿論、ストレス等、精神面の影響を無視することはできない。

それでもストレスは毎日の食事と比べるとウエイトが低く、現実的にはアトピーが良くなることで大きく軽減されるのが普通だ。

ところが、

厄介なことに、食事がアトピーを治す鍵だと分かっていても、そのアトピーを治すための食事を続けることがストレスの元凶。と言う事態に直面することは多い。

「ケーキ食べたいのに・・・」

原則、アトピーにとって「甘いモノ」は大敵である。

理由を書くとキリがないので割愛するが、本気でアトピーを治したければ「甘いモノ」は控える。これが私の時代や2010年くらいまでの鉄則であり、実際、私自身も「砂糖断ち」を前提とした食生活でアトピーを治している。

で、それ以降、いろんな甘味料が出ては消えた。

つまり、実際に「使える」と思えるような商品は無かった。

ところが2015年以降、この分野の製品開発は瞬く間に進化した(ように感じる)。おそらく、その背景には糖尿病治療の変化がある。

と言う訳で、これから「アトピーを治したい!」と思って取り組む人は、私の時代よりもずっと我慢や辛抱しなくても済むようになるはずだ。

実際、「これだったら全然いいじゃない!」と思いチョコレートや菓子類は既に販売されていて普通に誰もが入手できる。

それは、一部の薬局や健康食品店しか取り扱わないような過去の商品とは違う。

一度、ロッテ、シャトレーゼ、サラヤなどの食品メーカーのHPを覗いてみるのもいいだろう。

私の時代(1990年代)なら絶対に存在しなかった「甘いモノ」が並んでいる。

そんな「甘いモノ」を必ずしもお薦めする訳ではないが、「これだったらいいか・・」と思うものがあるのも事実。と言うか、我慢我慢で爆発するよりはずっといい。

今回は「甘いモノ」の話。

で、次回は「小麦」の話をしたいと思う。

アトピーを治す場合、食生活の主役は「お米」であり、決して「ラーメン」や「パスタ」や「パン」などの「小麦」ではないのだが、この辺りの事情も変化しているからだ。

「このラーメンならアリやん」

そんな商品が開発され、既に販売されている。

世の中は常に変化している。

アトピー患者を取り巻く環境は2020年を境に、大きく変化しているように思える。

 

「塩」と「油」の話

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散歩道


相変わらず、スッキリしない空模様。

ワクチン接種(1回目)を間近に控え、相変わらず外出できない日が続いている。いや外出どころか、お盆休みは愛犬の散歩さえ行けない有様だった。

で、仕方が無いので、自宅でストレッチばかりしていた。

そのお陰?かどうかは判らないが、体重が2キロ減った。

で、おまけに腰痛まで治った。

普段、忙しい時は「昼食抜き」もめずらしくない。が、1日3食で2キロ減には、やはり食生活の大切さを改めて感じさせられた。

で、お盆休み中に何をどれだけ食べたのか?

その話は後日にして、今回はこの時期、私がとりわけ大切だと感じている「食塩」の話をしたい。

特に今回の話は独身の男性に知って欲しい。


さて食塩に関して、私がビックリ仰天したのはもうかれこれ20年以上前の話。それは食塩が国の専売から自由化されてまだ間もない頃に遡る。

当時、私は30代後半。

この時、私のアトピーは既に完治していていた。

では何故、今回わざわざ塩の話をするかと言うと、今、このことを知っておくと、私よりも断然早く(時間的に)アトピーを治せる可能性があるからだ。その証拠と言っては何だが、還暦を迎えた私が夏バテしない理由も、この塩分の摂り方が大きい。

結論から言おう。

塩を単なる調味料と考えているだけなら、それはあまりにも勿体な過ぎる。私に言わせれば、これは自ら健康になることを放棄しているようなものだ。

多分、塩を「調味料」と考えている人の多くは、スーパー等で販売されている精製された食塩(塩化ナトリウム)を購入するだろう。

一方、塩をミネラル摂取の源と考えると、選択肢は自ずと異なる。

精製された塩と天然の塩。

例えば、100円台で販売されている食卓塩と沖縄の天然塩「ぬちまーす」(400円台)を比較すると、マグネシウム量で3000倍以上、カルシウムで900倍以上、カリウムで100倍以上含有量の違いがある。

ちなみに、塩は食生活におけるメインディッシュではない。

だから、「こ~ゆう所にはお金は掛けない」と言う考え方もあるだろう。

一方、私の経験則からするとそれは違う。

塩は、食生活のメインディッシュではないからこそ大事なのだ。毎日、いや毎食、ごくごく少量でも必ず摂取するものだから大切なのだ。

「塩分の過剰摂取は高血圧を招く」

こんなイメージを持っている人も多いと思うが、それは精製された食卓塩の場合ではないだろうか?と言うのも、私自身の血圧は下が80前後、上は100前後と血圧はどちらかと言うと低い方で、この数字はもう長年安定しているからだ。

今回は「塩」の話をしたが、「油」も同様だ。

「油」で思い出すのは、私が高校野球児の頃の常識。

40代から50代の方なら共感頂けると思うが、当時、体育会系の部員達は皆、練習中に「水は飲むな!」と指導され、今のように「水分補給を忘れるな!」とは真逆だった。

今、私の中で「油」に関する常識も同じ。

アトピーの頃とは真逆になっている。

つまりアトピーの頃は出来るだけ油は控えていたのだが、今は積極的に摂取することで健康を維持している。

但し、ここは誤解を招きやすいので注意が必要だ。

「油」と一口に言っても、その中には摂取して良い油と悪い油があって、そこは明確に区別していることも付け加えておく。

例えば揚げ物。

過熱して調理する際、私はサラダ油は極力控える。と言うか、最近は揚げ物自体あまり食べなくなったのだが、サラダ油を使うくらいならラードを使う。

で、その逆にゴマ油やアマニオイル、オリーブオイルはサラダや生野菜にかけてそのまま生で摂取する。最近はMCTオイルやココナツオイルを使うこともある。

「そんなに油を摂って中性脂肪は大丈夫?」

そう思われるかもしれないが、現実は逆。

脂質は過剰摂取した分、体外に排出されるので太らない。

実際、168センチの私の体重は57キロのままここ数十年変化していない。

とまあ、今までの常識が今の非常識になる例は枚挙の暇がないのだが、大切なのはとにかく自分でやってみること。人の話は参考適度で鵜呑みにしないことだと思う。

私が思うに、この世に完璧な健康法なんてものはない。

食生活にしても、運動にしても、睡眠にしても、全部そう。

要は、自分で自分のための自分に最適なやり方を模索することが大事なのだ。

私の性格の根底にあるもの

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真夏の生駒山


還暦を間近に控えて、自分の考え方や性格の根底にあるものが、アトピーだった頃に形成されている事実に今更ながら驚く。

例えばこうだ。

アトピー初期の頃、年齢的に20代前半から半ば頃。

私は、自分のアトピーが何をやっても良くならず、少し良くなっても直ぐ元の木阿弥になることにつくづく嫌気が差していた。

「良くなった!」⇒「ダメだ・・・」
「よし!治ったかも!」⇒「やっぱりダメだった・・・」
「今度こそ治ったぞ!」⇒「また今度もダメだった・・・」

こんなことを繰り返しているうち、何事に対しても「期待しない」と考える習慣が定着し始めた。最初は「何かを期待して傷つくより、何も期待しないでおこう」と言うような感じだった。

それは「受け身」とか「投げやり」と言うよりは、ごくごく自然な形として身に付いたものだが、この考え方は微妙に変化した。

平たく言うと「期待しない」以前の問題として「良い」とか「悪い」とか、「正しい」とか「間違い」とか、そう言う判断そのものを明確にしない方向に性格が移行した。

実際、それまでの私はそうではなかった。

正義感が強く、曲がったことは大嫌いだった。

それは正しいのか?
それとも間違いなのか?

答えはひとつ。そんな感じだった。

小学生の頃、運動場に落ちていた100円玉をそのままポケットに入れた友達に対して、絶交宣言するようなタイプの子供だったのだ。

「正解」or「不正解」 「常識」or「非常識」

どっちなんだ?

ところが、

アトピーを経験し、そしてアトピーを治す過程でこの二つの境界線が薄くなり、アトピーを治した時点ではむしろ「正解」と「不正解」、「常識」と「非常識」が逆転している現実に気付いた。

つまり「常識的な治療」では治らず、「非常識&異端」とされていた治療法で自分が完治している事実に気付いたのだ。

そして今、

あれから30年の時が流れて、当時は非常識だった治療法が今は常識的な治療法として定着しつつある。

で、こうなると「我々は何を信じて生きれば良いのだ!?」となりがちだが、そうではないと私は思う。

「あるがまま」
「あるがままを」
「あるがままに」

あるがままに見て、あるがままに生きる。

アトピー然り、「治そう!」「治そう!」と力まなくてもよい。
アトピーである自分を受け入れ、あるがままに見る。

アトピーだから」と言う前提は捨て去る。

そして、

当たり前のことを、当たり前に、キチンと継続する。
これだけ。たったこれだけのことでアトピーは見事に消える。

それは、それが自然の摂理、理に適っているからだ。


飛鳥旬へ。

還暦とは、生まれ変わることだ。

変化するもの、移り変わるものの中に真の喜びがないことは今まで生きてきてもう十分過ぎるほど知った筈だ。

過去ではない。将来でもない。
今、この瞬間の生き方が問われている。

そこに、優しさ・思いやりはあるのか?

本当に必要なモノ

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今年は・・・


本来なら、この時期は田植えが終わった散歩道を掲載することにしている。

が、今年は少し様子が違う。

ご覧のように、田植えをされる筈の土地は雑草が生い茂っている。

もしかして・・・

「地主さんが新型コロナウイルスに感染した?」

ふとそんな風に思って、近所の事情通のおじさんにそれとなく理由を聞いてみた。

すると、答えはこうだった。

「売却したんだよ。不動産屋に」
「息子が後を継がないからって・・・」
「3~4年後には宅地開発が始まるよ」

「あぁ。そういうコトか・・・」

考えてみれば、今時、全然めずらしくない事情ではないか。

で、その時に私が感じたのは、「これで夏の風物詩が無くなるな・・・」とか「身近な自然が消えるな・・・」と言った感傷的なものではなく、「世の中は常に変化している」と言うごくごく当たり前の現実だった。

ずーっとそのまま同じ。なんてものはこの世には存在しない。

見方を変えれば、変化するからこそこの世に存在できるのだ。

実際、自分自身がそうではないか?

好きなモノ(者)、嫌いなモノ(者)、考え方、モノの見方。

高校生の自分と今の自分では、全く違うじゃないか。

身体なんて、もっとそうだ。

不変なものなんてなにもない。

で、この「変化」は「良い」とか「悪い」とか「好き」とか「嫌い」とか、そう言う基準を超越しているように感じる。

平たく言えば、この世には「自分の努力だけではどーにもならないことがある」と言うことだ。

で、私が言いたいのは実はここからなのだが、この世には「自分の努力だけではどーにもならないことがある」半面、「自分の努力でどーにでもなる」こともある。と言うことだ。

具体的な例で言うと、

人は死を逃れることは出来ないが、アトピーや腰痛や訳の分からない不定愁訴の類なら、自分の努力でどーにでもなる。

そーいうことが言いたいのだ。

そして今、「自分の努力」と書いたが、大切なのはこの部分で、大抵の場合、多くの人がまず人の経験、人の意見、人の教えを参考にしようとする。

人の経験、人の意見、人の教えを参考にするのは大事なことである。

しかし、もっと大切なことがあって、それはとにかく自分でひとつひとつやってみることだ。

例えば、「アトピーを治す」と言う作業。

ここは話を分かりやすくするために敢えて「作業」と表現するが、それはカップ麺にお湯を注いで3分待てば出来上がり!と言うような単純な作業ではない。

一杯のラーメンをイチから作る。そういう作業なのだ。

この麺とこのスープの組み合わせてみよう!

じゃ

この麺を作るには?
このスープを作るには?

こーゆう作業を繰り返している間に、嫌でも見えてくるものがある。

それが、自分のアトピーを治す術なのだ。

今時、ユーチューブを観れば、いろんな人がいろんな情報を発信している。結構な時代である。そこにはヒントが一杯詰まっている。

でも、治すのは自分のアトピーなのだ。

そこに、一般論の限界がある。

と書くと、なんとなく小難しい話になるのだが、今まで歩んできた人生を振り返ってみると分かる気がする。

仕事でも趣味でも、スポーツでも格闘技でも、人のマネには限界がある。

アトピーを治す。アトピーとは全く無縁の人生を送る。これは可能な話なのだ。ただそこには「手っ取り早い裏技」は無いと思う。

 

アトピーと感染症

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週末の散歩は曇り空


新型コロナウイルスのワクチン接種が本格化している。

妻(医療機関での事務)は既に接種済みだが、自分はまだ順番を待つ身。

2度目の接種が終わった際、熱が出て寝込んでしまった妻の様子と見る限り、その日は大事を取って休む等、一応、用心はしておいた方が良さそうな気もする。

さて、今回は感染症の話。

実は私、アトピーが治る前までは非常に感染症に罹りやすい体質だった。

元々、生まれつき身体は丈夫な方ではない。

それに加えてアトピーになってからは、常に感染症とは隣り合わせの生活を余儀なくされた感がある。

具体的に言うと、ヘルペスは日常茶飯事。で、掻き壊した皮膚から侵入したと思われる黄色ブドウ球菌からか、突然、熱を出しては寝込むことも度々あった。

感染症の場合、高熱の場合は比較的分かりやすい。

一方、数週間も続く微熱の場合だと、医療機関に行くか行かないかの判断さえも難しく、これが「命取りになりかねない場合」もある。

事実、私はこの「命取りになりかねない場合」を経験しているのだが、それは脱ステロイドを強行した時の微熱を、「好転反応」と勝手に判断してしまった失敗による。

アトピー患者、感染症で死亡」

黄色ブドウ球菌が心臓の弁に付着して命を落としたアトピー患者の存在を知ったのは、この時が初めてだったが、それ以来、私の「感染症」に対する認識は一変した。

と言うのも、それまでの私は「感染症なんて抗生物質の投与で完結でしょ?」程度の認識だったからだ。

だが、あの時は自分が死んでもおかしくない状況だったのだ。

実際、あの時、脱ステによる熱を「好転反応」などと思ってもう1週間頑張っていたら、いまこのブログを書いている飛鳥旬は無い(と実感として思える)。

そのお陰か学習効果なのか、アトピーが治ってから今日に至るまでもう25年以上、感染症には罹っていない。

いや、厳密に言うとインフルエンザウイルス等、感染はしたのかもしれないが、発症はしていない。

「感染しても発症はしない」

この感覚をご理解頂けるだろうか?

例えば、

職場で、「ん?熱っぽい・・・」と感じた時。

帰宅して確認すると、確かに微熱がある。

そんな時、私は迷わず市販の風邪薬を飲んで寝てしまう。入浴する時もあるが、面倒な時は迷わずそのままベットに直行する。

すると翌朝。

何事も無かったかのように、身体は元に戻っている。

で、そんな時は大抵、12時間以上は眠る。相当量の汗も出ている筈だ。

と言う、ちょっとした対応なのだが、私はこれで一度もインフルエンザに罹ったことはない(今後の話は別として)。


さて、

「ワクチン接種は受けない方がよい」

そんな説もあると聞く。

医学的な話は分からないが、今の私にはこの説を受け入れる選択肢はない。

感染症に有効な手段があるなら、例えそれが100%の可能性ではなくても享受する。

そう思えるのは「世間一般がそうだから」ではなく、文字通り自分自身の死ぬほど苦い経験が過去にあるからだ。