アトピー完治への道 飛鳥旬のブログ

アトピーは治してナンボ

難しく考えれば考えるほど治せなくなるのがアトピー

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散歩の途中で


何を食べたら良いのか?
何を食べたらダメなのか?

アトピーの時、そんなことばかり考えていた。

すると、どんどん食べられるものが減ってしまい、とうとう食べること自体に罪悪感が芽生え始めた。ファーストフードを邪悪な食べ物と考え、まるで禅僧のようなストイックな食生活をするようになった。

それはそれで今となれば良い経験だったのだが、「アトピーを治す」と言うだけなら、必ずしもそこまで思い詰める必要はなかったように思う。

私が思うに、「アトピーを治す」「アトピーでは無い身体を取り戻す」と言うことは、実はとてもシンプルで、難しいことなど何一つやる必要はない。

それは、逆に「健康な身体」を考えると分かり易い。

つまり「健康」とは元気で疲れにくく、食事が美味しく摂れて、夜はよく眠れる状態のことで、いかにしてこの状態を取り戻し、維持していくかが大切になるだろう。

そこで、多くの人が色んなことを試みる。

ところが、ことアトピーに関する限り、多くの人がいろんなことを試みてしまうと、大抵の場合、いわゆる「迷える子羊化現象」に陥ってしまう。

何故か?

それは多分、大切なポイント、つまり急所を外しているからだろう。いろんなことを試みるのも良いのだが、その際、見落としてはいけない急所があるのだ。

それが「胃腸の健全化」

何故なら、消化器系と自律神経系は生体にとって一番重要な器官で、免疫系や神経系他、あらゆる器官の土台となっているからだ。

だから、アトピーを治す上で身体的なアプローチではまず胃腸の働きを健全化することが基本であり、ここをすっ飛ばしてしまっては何をしても実を結ばない。

では、もう一方の自律神経系からのアプローチは?

これを語り出すとキリがないのだが、自分の経験から簡単に言うと、アトピーと言う病気とアトピーである自分とを一緒にしないことだと私は思う。

確かに、アトピーと言う病気は存在する。だがそれは風邪と言う症状があるのと同じで、要するに、それはひとつのプロセス(症状)であり、本来の自分自身とは関係のないことなのだ。

風邪が治ってしまえば過去の出来事になるように、アトピーもまったく同じだということ。ところが、ここで自分イコールアトピーと思い込み始めると、自律神経の働きにブレーキをかける。

言い方を変えれば、これは自分が自分で作った映画の世界に没入しているようなもので、私の経験上、その先にあるのはロクな世界ではない。

話を戻すと、何を食べるか?何を食べてはいけないか?なんて問題は、悩むような問題ではなく、実際、自分の身体をよくよく観察すれば自ずと答えが出るものなのだ。

その一番良い例が便通。

スポーン!と太くて長い一本の便。所要時間は1分。で、出た後は鼻が通って、頭の芯までスッキリ。いわゆるこれが快便。

こんな便が出るような食べ物。食べ方。食べる量。これがこの問題の答え。人から教えて貰わなくても、自分で十分対応&対処ができる。しかも安心&安全。危険なことはなにもない。

これを自分で把握しておくことが、健康を維持することの意味に思える。

他の病気のことは分からないけど、アトピーを治すなら消化器系と自律神経系に注目。多分、これだけで十分だと思う。

アトピーの治し方に関してはもう20年以上、いろんな人にアドバイスしてきたけど、当時から言ってることは全然変えていない。変える必要がないから。

多分、これから先20年経って世の中が劇的に変化しても、アトピーの治し方は変わらない気がする。

アトピーの人にとっての使命とは「完治」させること

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近所のカフェ


パソコンの調子が悪い。

書き上げたブログが2回もパーになってしまった。自分の場合、ブログはワード等のソフトにバックアップせず、そのまま直接書き込むタイプなのでデータが消えるとジ・エンド。「はい。それまで」となる。

で、2度も痛い目に遇えば、普通は「次からはバックアップを取っておこう」なるのだが今回はそうせず、妻からの一言「そろそろ買い替えたら?」の勧めに便乗することにした。

さて、調子が悪いのはパソコンだけではない。私の周囲では今、「調子のよくない話」が蔓延し始めている。

突然、片方の耳が聞こえなくなった身内。
母親の介護から、生活が破たん寸前まで追い込まれている親友。
奥さんのうつ病に端を発し、とうとう自分までもうつ病と診断された後輩。

見渡せば、私達の周りには「調子のよくない話」が満ち満ちでいる。

しかし、よくよく考えてみると、いや本当に冷静に考えてみると、今、どれだけ順風満帆な人生を歩んでいる人でも、今後、その状態が永久に続くことは無い。と言うか、人間である以上「調子のよくない話」を回避することは不可能である。

だから、多くの人が「救い」を求めるのだろう。

で、私自身、強烈に「救い」を求めてさ迷った時期がある。それは何をしてもアトピーが良くならず、やることなすこと裏目に出ていた頃。つまり20代の後半。

アトピー性皮膚炎。一生懸命取り組んでいるのにどうしても解決できない問題。そんな問題にぶつかって、悩み、途方に暮れ、もがき苦しんで。

「このままではもう、もうどうしょうもない・・・」

自分自身、人一倍常識人間であることを意識していたせいかもしれないが、当時、現実を直視するのは苦し過ぎた。

「静かな田舎で自給自足の生活をしたい・・・」。

それくらいしか、「救い」はないような気がした。

そんな誰よりも常識人であることを自負していた私が追い詰められ、もうヤケクソになって、当時の常識と反対のことをした。その帰結が「胃腸の健全化」。

炎症から痒くて我慢できない皮膚ではなく、便通を良くする胃腸へのアプローチ。

私の経験からすると、アトピー性皮膚炎と言う病気は決して自分以外の他人やモノに依存して解決できるような類の問題ではない。逆の言い方をするなら、この疾患を解決できるのは自分しかいない。と言うことだ。

もう少しシビアな見方をするなら、アトピーを親からの遺伝とか環境とか、とにかく自分以外の要因に責任転嫁しているなら、完治は難しいと思う。

アトピー性皮膚炎。これはコロナウイルスのような感染症とは違い、明らかに治る事が前提になっている疾患で、事実、その方法論は既に完治させた人の例からも明らか。

だから、今アトピーの人の使命はアトピーを完治させること。

私はそんな風に思うのだ。

事実、アトピーのままの身体とアトピーが治った後の身体では、古いパソコンから新しいパソコンに買い替えたくらい、スペックが上がるのだから。

 

「治ったみたい・・」ではなく、リアルに「治った!」を実感するために

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落ち葉のハロウィン

 

自分の知らない間に、自分が気付いていない間に物事だけが粛々と進行している。そう言うことが、この世で生きていると多々あるように思える。

で、ある日突然、その事実を知って驚いたり、喜んだり、悲しんだりするのだが、その理由、つまり原因に付いて深く考えることを普通はまずしない。

「治ったみたい・・・」

特別なことは何もしていないのにアトピーが治る。
これは実際、ひと昔前の子供や乳幼児のアトピーではよくある話だった。

特別な治療をしている訳ではない。

やっている事と言えば、皮膚科や小児科で処方されたステロイド外用薬を塗布するだけで、当時(1990年代まで)のアトピー治療と言えば、大体においてこれしか選択肢がなかったように思う。

で、それで問題があったのかと言えば、そうでもなかった。

実際、このパターンの治り方は今もあって、乳幼児や子供のアトピーに対して普通にステロイド外用薬を塗布しているだけで完治する例はある。

これは、一体どういうことだろう?

苦しむわが子の姿に耐え切れず、少しでも良くなる可能性を追い求める親の気持ちが、私には痛いほど分かる。それは未知なる可能性を求めて次から次へとさ迷い歩く、かっての私&父の姿と全く同じだからだ。

乳幼児や子供のアトピーに限って言えば、「時を待つ」と言う姿勢が大事なのではないかと思う。それは何もせず、ひたすら時間が経つのを待つと言う意味ではなく、敢えて言うなら「余計なことをしない」ということだ。

もう少し言うと、乳幼児とか子供(小学生)と言うのは身体的にまだまだ成長の途上であり、そのことは本人や周囲が気付いていなくても、粛々と進行している。

要するに自分や周囲が知らない間に、自分や周囲が気付いていない間に、身体の方は日々変化していて、当然、身体だけでなく胃腸(消化器官)も変化している。

つまり身体の成長と同期して、消化器官も発達しているのだ。

では、消化器官が発達するとどうなるのか?

アトピーが治る条件が整う。と私は思う。つまりアトピーを治すと言うことはアトピーが治るための条件を整えることで、これ以外のことはほとんど関係がない。

だから、

「特別なことは何もしていないのにアトピーが治った」と言うのは実際あり得る話で、それは本人が知らない間に、本人が気付かない所で「治る」ための条件が整っていたことを意味する。

私達は多くの場合、原因があって結果が出ると考える。

このこと自体は決して間違ってはいない。だから何か問題が生じた場合、私達はまずその原因を調べて対策を打とうとする。このアプローチは基本中の基本だろう。

ところが、世の中には必ずしもこのアプローチでは上手くゆかないケースがある。

それが「アトピー治療」ではないか、と私には思えるのだ。
どういう事かと言うと、結果を出すための原因を調べても調べても、それが見えてこない場合があって、このアプローチの仕方がまんまとこの場合に適合してしまうからだ。

その理由は至って単純で、原因と言うのは単一的な要因であればあるほど特定しやすいのだが、それが複数になると次第に手に負えなくなってしまうからだ。

つまり原因がAだけであれば特定するのは容易だが、A&B&CorDorEみたいに複数化&複雑化すると、それを特定するのはかなり困難になる。

では、どうすればよいのか? 

ここに福音がある。福音とは「良い知らせ」。つまりグッドニュース。
その福音とは、原因を特定するのではなく条件をひとつひとつ積み重ねるやり方。

要するに、最初から「治る」と分かっている条件をひとつひとつ積み上げるのだ。と言うと難しく聞こえるが、実はそんなことはない。

それにこのやり方だと乳幼児や子供だけでなく、大人のアトピーにも十分対応できる。100人の内の1人か2人だけが奇跡的に治るのではなく、100人が100人とも治らなければ、それは福音とは言えないだろう。言い換えると、福音とは負けることのない、最初から「成就」することが約束された方法である。

条件その1

胃腸を健全化させること。毎日、便通があること。理想は固すぎず柔らか過ぎず、表面が適度にコーティングされた長くて太い一本の便。臭いが少なくティッシュペーパーの消費量はほんの少し。で、所要時間は約1分。

これだけで、大半のアトピーは良くなる筈。

何を食べれば良いのか?
何を食べてはダメなのか?

その答えも、全て条件1に含まれています。


ところでハロウインって、秋の収穫をお祝いし、先祖の霊をお迎えすると同時に悪霊を追い払うお祭りで、仮面を被ったり、仮装するのは魔除けの意味があったのですね。

知らんかった~!

 

自殺について

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生駒山麓公園


ある女優さんが自殺した。
先日、ある俳優(男性)さんが自殺したばかりなのに・・・

生死の問題。

「人はなぜ生きるのか?」「生きるとは何なのか?」「人は死ねばどうなるのか?」

この問題は若い頃から常に自分の中にあって、正直、今でもまだ決着は付いていないのだが、この歳になって何となく見えてきた感じはある。

大震災、コロナウイルス禍、その他諸々。


この世で生きていると、とにかく予測できない事ばかり起こる。それは個人レベルのことから社会全体の現象まで予測不能なことのオンパレード。コロナ禍がいい例だ。

こんなものは、最初から人智を超えていてる。つまりどんなに科学が進歩しても、未来を完全に把握することなど誰にもできない。

ところが、こんなこんな世の中でも1つだけハッキリしていることがある。

それは国や肌の色や貧富の差に関係なく完全に平等。不公平は一切なし。しかも誰もが確実に体験するもの。

死。これだけは決定的に確実だ。

生きている以上、これは誰も避けることができない。

ところが、

私自身どうかと言うと、過去、この「死」に関しては考えることさえ先送りしてきた。が、50歳を過ぎた頃から、この「死」が現実味を帯びてきた。

身内、友人、知人・・・。
自分と同年代の人達が、ポツリポツリと逝きはじめたからだ。

で、色々あって、今はこんな風に思うのだ。

「人はなぜ生きるのか?」とか「生きる意味」とか、そういう問いは「死ぬこと」から目を離したままでは答えは出ない。逆に言うと「死ぬことの意味」が分かって、初めて「生きることの意味」も分かる。

と、エラそうなことを書いたが、冒頭にも書いた通り、自分自身、この生死の問題はまだ決着は付いていない。

だから、自分は何があっても命ある限り「死ぬ」ではなく「生きる」を選択したい。世間から社会からどんな風に思われても、自分は「生きる」を選ぶ。

格好悪くてもいい。ブサイクな生き方でもいい。贅沢なモノが食べられなくてもいい。高級車が乗れなくたって、仕事が出来なくたって、そんなの関係ねー。だ。

「生きる」と言うことは、そんなこととは全く無関係な所にある。

表現が下品ですこぶる恐縮なのだが、生きるとは、生命活動とは、究極、寝て、食べて、排泄する。たったこれだけのことなのだ。これが本質なのだ。

仕事をしっかりやること。オシャレを楽しむこと。美味しいモノを食べること。趣味を楽しむこと(釣りにいくこと)。全てオーケーだ。

でも、これが出来ないからと言って、地位や名誉や財産が無いからと言って、まるで人としての価値が無いかのように自分や他人を評価し合って苦しむ必要はない。

そんなことしても、結局はしんどいだけなのだ。苦しくなるだけなのだ。

生きよう。


竹内結子さんのご冥福をお祈りいたします。

 

 

努力でなんとかなることとならないこと

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もうすぐ稲刈り


アトピーになって分かったこと。
アトピーを治して分かったこと。は多々ある。

その中でも、その後の人生で自分の考え方に大きく影響を与えたものがある。

それは、世の中には自分の努力でなんとかなる事と、自分の努力だけではどーにもならない事の二つがあるという経験だ。

例えば、

アトピーは努力で治せる病気である。これは間違いない。と言うか、断言してもいいが、アトピーは「治そう!」と決心して、治すための地道な努力を続けることで必ず治る(ようになっている。)

要するに、毎日の生活の中で直面する場面場面において、間違った方向に行かない限り、今では治るのが普通になった。

一方、自分のアトピーを〇〇月〇〇日までに治す。と期限を定めて短期間で治そうとするのは無理がある。と言うか、それは努力の範囲を超えている。

つまり、「治す」は努力で達成できる到達点だが、その到達点を「この日」と自ら定めることは、努力ではどーにもならなら話なのだ。

当然と言えば当然の話だが、この点をしっかり見極めておかないと話がややこしくなる。私自身、このことが分からず、どんどん悪のスパイラルを歩んでしまった。

つまり、こういう話だ。

あれは、自分のアトピーが顔に出始めた頃だった。当時の私は結婚式や展示会とか、それは仕事とかプライベイトに関係なく、とにかく真っ赤に腫上った顔を人前に晒すのが嫌で、目標をその日に定めてアトピーを治そうとしていた。

その結果、アトピーは治らず。
症状的には少し良くなることもあったが、逆に悪化した時もあった。

当然である。

春に植えた稲を、真夏に刈り取ることはできない。夏になれば暑くなり、冬になれば寒くなるのと同様、私のアトピーも来るべき時が来れば治るのに。

このような例はいくらでもある。

英会話なら、コツコツと地道な努力を続けることで喋れるようになるだろう。それは私達に元々、その類の能力が備わっているからだ。事実、アメリカやイギリスに行けば、英語なんて子供でも喋っている。

ところが、空を飛ぶ努力はどうだろう?

ムリだ。いくら努力してみたところで、それは努力が足りないからではない。
私達が空を飛ぶことができない理由は、それが努力の範囲を超えていて、そもそも原理的に無理だからだ。(羽根をくれー!)

で、原理的にムリなことにチャレンジし続けると、どうなるだろう?

それは私の経験では、精神を病んでしまう。
場合によっては、気付かない間にかなりヤバい状況に陥る。

この方向に行くとマズイのは、元々、努力で治る筈のアトピーを自分で治せない方角に舵を切ってしまうからだ。

だからアトピーを治す場合、必要以上の「あーしてやろう・・」や「こーしてやろう・・」の目論見は持たない方が良い気がする。

アトピーなんてものはどんなに症状が酷くても、やるべきことをキチンと継続していれば治るようになっているものなのだ。そこに「一刻も早く」とか「何が何でもあの日までに」等と言う意図が介在すると、それは正直言って邪魔になる。

アトピーになり、アトピーを治してみて、私は何かの問題に直面した場合、それが努力で解決できるものなのか?それとも努力の範囲を超えたものなのか?それを自問自答する癖が付いた。

で、もし解決できるなら、それは短期決戦なのか、それとも長期戦になるのか?そーゆうことも考えるようになった。

一方、自分の努力だけではどうにもできない場合は?

考えない(ことにしている。)何故、考えないか?それは考え出すと、キリがないし、その結果はロクなことにならないからだ。

実際やってみると分かるが、努力してもどうにもならないことに対してあれこれ考えてみた所で、普通はロクなことを考えない。多分、人間とはそういう風に出来ているのではないかと思う。

逆に、「考えない」ことの効果は絶大だ。いいことばかり。
具体的に言うと、夜、熟睡できる。ついでに「飯も美味い」。

難しい理論は分からないが、多分、これだけで私は自分が鬱病とかノイローゼとか、いわゆる「精神疾患」には成らないような気がする。

「努力すれば必ず報われる。」

私はそんな風に教え込まれた世代の人間だ。
そして、それはその通りの時もあったけれど、そうでもない時も多々あった。

何でもかんでも、努力すればイイってもんでもない。
このことはアトピーを治してみて分かった。

恐れるものなど何もない

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生駒山


先月、アトピー新時代の話を少しした。

簡単に言うと、アトピー新時代とはそれまでの身体的なアプローチだけで完治していたアトピーが新たな局面を迎えたと言う意味で、特にここ10年ほどの間に、今までのカテゴリーには入らないタイプの人が増えているような気がする。

で、もう少し説明すると、それは身体的なアプローチに加えて、精神面、つまりメンタル面からのアプローチを必要としているタイプの人達で、このタイプに属するアトピー患者に対して、既存の医療システムの枠組みだけで治癒させるのは難しい気がする。

では、このタイプのアトピー患者の中に潜んでいる精神的なものとは何か?

それを具体的な例を挙げて説明するのは難しいのだが、いづれにせよその根底にあるのは「自己を肯定できない感覚」なようなものだと私は感じている。

職場での人間関係、夫婦間の問題、家族間の問題。

この手の悩みやストレスは、何も今に始まった話ではない。これらの問題は多かれ少なかれ昔からあったし、今後も無くなることは無いだろう。

で、これはあくまで私個人の感想であり根拠も論拠もないのだが、「自己を肯定できない感覚」の原因は、社会での格差が拡大したことに起因しているような気がしている。

数十年前、日本は中流社会と言われていた。

このことは実感としてよく分かる。
事実、私の同級生を見渡しても、超裕福でお金持ちと言われる友達は学年にせいぜい2・3人。で、その友達の親と言えば、大抵、会社の社長だったりしたものだ。

ところが現在、日本は中流社会ではなくなった。
つまり、ここ20年の間に「お金を持っている人」と「お金を持っていない人」の二極化が進んでしまったのだ。で、その結果、「貧富の差」が生じるようになった。

で、問題はここからなのだが、お金が「ある」とか「ない」と言う現実はそこから更に「〇〇を所有できない自分」とか「結婚できない自分」というような価値観と結びついてしまう傾向になる。「勝ち組」「負け組」等の表現はその代表例だろう。

お金が「ある」とか「ない」とか「高級車に乗る」とか「結婚しない」というのは、本来、人間の価値とは何の関係もない話で、それは人生観の問題。「勝ち」「負け」の話ではない。

ところが、この辺りの話が頭の中でグチャグチャになってしまうと厄介だ。

何故か?それは、自分を肯定できなくなってしまうからだ。

お金の無い自分と本来の自分。これが見事に同一化してしまうのだ。その結果、自分で「お金が無く結婚もできない自分」のレッテルを貼ってしまうことになる。

すると、その流れからマイナスのオーラで自分の身を覆うことになるのだが、厄介なのは、このマイナスオーラと言うのは必ずしも「心地悪い」ものではなく、むしろ心と身体を引き離す際には、逆に「心地よく」感じてしまうのだ。

これでは、アトピーを治すどころの話ではない。

アトピーを治す前提条件として、心と身体は常に一緒であることが望ましい。こんなことを医療機関では言われることは無いだろうが、実際はそういうことなのだ。

だから最低限の歯止めとして、ロクでもないことを考えていることに気付いた時には、「アカン」「アカン」と自分に戻ることが大切なのだ。

アトピーが酷い時、「アトピーのことを考えるな。気にするな。」と言う忠告が酷であることは重々承知の上で言うのだが、それは普段からの生活習慣を変えることで十分対処できる。

それを具体的に言うと、

クルマの運転をしている時は、運転に集中。
料理をしている時は、料理を作ることに集中。
歯を磨いている時は、歯を磨くことに集中。

これだけ。
これが心と身体を同一化させる一番の方法。

で、逆に、心と身体をバラバラにしてイライラ&ノイローゼに陥る秘訣も紹介。

それは、今の自分に集中せず、過去のことや未来のことをあれこれと空想する。あの時はあーだった、こーだったと悔やみ、まだ来ない将来を空想しては悲観する。すると見事に心と身体はバラバラに空中分解。

恐れるものなどなにもない。

アトピーなんてやることキチンとやれば、勝手に治るようになっているのだから。

「治す」よりも「治る」

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散歩道にある稲


「治す」よりも「治る」。

アトピーの場合、こっちの方が現実的な感覚に近い気がする。

15歳で発症したアトピーが、キレイさっぱり完治したのは33歳の時だが、その時の印象は、こんな感じ。

「こんなもんか・・・」「やれやれ・・・」

痒みが消えたこと自体は嬉しいのだが、「治った」と言う現実に対しては少し拍子抜けした感じ。それは全然衝撃的ではなかったし、感動的でもなかったからだ。

「これをこーすればこうなるよね」的な、極めてシンプルな世界。

それが、アトピーを治すと言うこと。つまり治療なのだと言うことを身を以て知った。そしてこの経験は、その後の私の考え方や人生に影響を与え続けた。

アトピーを自力で治す。

このように書けば、いかにも自発的で能動的な感じがする。で、そのことは必ずしも悪いことではないのだが、現実に即して言えば、自発的でなくても能動的でなくても、アトピーアトピーを治すための考え方と行動が身に付ければ治る。これが真実だ。

そして、そこには『私」とか「彼」とか「彼女」とかの制限はなく、単に原因と結果の世界があるだけ。だから「治す」と言った主観的な言葉より、「治る」と言った客観的な言葉の方が現実に即している気がする。

ところが、人生は面白い。

私が、自分のアトピーを治したのは33歳。この時、私は自分のアトピーを自分の力で「治した」と思っていたので、とにかくその事実を誰かに伝えたくて仕方なかった。

要するに、それは当時の医療機関アトピー治療に対していかに無力であるか、そして、その厄介なアトピーを自力で治した自説&持論を聞いて欲しかったのだ。

で、私が何をしたかと言うと、会社の後輩に話しまくった。

後輩だけではない。私がアトピーだったことを知らない人がいれば、とにかくその話を持ちかけた。今思えば迷惑な話だが、当時の私はそれほど「オレは自分でアトピーを治したんだ!」と訴えたかった。

で、その結果だが、アトピーに関心のない人に対してアトピーの話をしても、当然、興味はない。それはギャンブルに感心の無い人に対して、競馬必勝法やパチンコ攻略法を自慢げに語るようなものだ。と言うことに気付いた。

と同時に、この時、私はハッと目が覚めた。

「自分がアトピーであることなんて、他人は全然気にしていない。」

私は自分がアトピーの時、周囲の視線が気になって仕方なかった。それはアトピーである自分を人はどのように観ているか?に対する恐れに近い感覚だったのだが、そんなものは幻想に過ぎないことを、この時、気付いた。

自分がアトピーのことばかり考えていた時、他の人は私のアトピーのことを考えている訳ではなく、自分のことを考えていたのだ。それは自分の小さなニキビのことかもしれないけれど、とにかくそこに種類や程度は関係なく、圧倒的な時間、人は自分のことを考えている。このことに気付いた。

話を戻そう。

アトピーを治す場合、私は一旦「自分自身」から少しだけ距離を置いて接するのがいい気がする。できるなら「自分」「自分」「オレが」「オレが」と言うスタンスではなく、一旦、主観的な見方から離れてしまう方が良いように思うのだ。

何故なら、主観が入ると、それに伴って肩に力が入るように思えるからだ。どこかに力みが入り、自然体でいることが難しくなる。これが良くない。

力んでも力まなくても、アトピーは治る時は治るし、治らない時は治らない。
それは、原因と結果が根底にあるからで、自分とかオレとか、そういうものは殆ど関係がない。だから、本気でアトピーを治したいなら、アトピーを治すための日常を淡々と続けるだけ。これが原因となる訳で、その結果が完治。

だがら、私(オレ)が「治す」よりも、自ずと「治る」。

台風10号接近中。

ご注意あれ。