アトピー完治への道 飛鳥旬のブログ

アトピーは治してナンボ

間違いだらけのアトピー常識 その1

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散歩コース

人生には、自分が本当に経験してみることで初めて「分かる」ことがすごく多い。今まで想像していたこと、頭の中だけで考えていたことを直接経験することによって、真実がそれまで抱いていた世界とは全く別モノであることに愕然とする。アトピーを治してみて思うこと。それは「なった経験がないから当然そうなるね。」と思うことの多さだ。経験していないこと、未体験が全て無駄と言うつもりはないが、自分が直接体験していないことに対する警戒心の強い性格は、アトピーを治す過程で形成された気がする。

 

アトピーは掻くと治らない」。私がアトピーだった時代、これはどの医療機関へ行ってもほぼお決まりのアドバイスだった。いやアドバイスと言うよりは、むしろこれが唯一の治療法であるかのような力のあるメッセージで、それはむしろ「忠告」に近かった。「掻くと治らない」いや「掻くから治らない」。この言葉を真剣に受け止めた当時高校生の私は、とにかく「掻かない」ことでアトピーを治そうと本気で取組んだ。タオルで手首を縛り、就寝中も手が勝手に動かないように固定した。

 

ところが、実際、アトピーを治してみると分かるが、真実は逆なのだ。「掻く」とか「掻かない」とは無関係に、アトピーは治る時は治るし治らない時は治らない。ましてや「アトピー患者は本当は痒くないのに掻くことが習慣になっている。」(嗜癖的掻破行動)などと言われた日にゃ「それは全然違うやろ」と言いたくなる。私は、皮膚は痒いから掻くのであって、痒くなければ誰も掻かないのが普通だと思う。(痒くも無いのに掻いていたら、それはちょっとアレやろ・・)

 

それからもうひとつ。アトピーは「遺伝だから治らない」と言う「忠告?」があって、これで当時の私はかなり(いや滅茶苦茶)苦しんだ。その理由は当時、私の父も祖父も同時に皮膚病を患っていたからだ。つまり、私は子供の頃から父&おじいさんが体に軟膏を塗るのを見て育ったのだ。だから医者から「遺伝」と言われると何かを言い返す気力も無く、ただただ落ち込むしかなかったのだ。

 

では現在、私&私の子供達はどうなのか?と言えば、アトピーとは全く無縁の生活を送っていて(ちなみに私の祖母、母、妻は皆、アトピーとは無縁)、私はアトピーは遺伝的な要因があったとしても、全然普通に治せると確信している。だから自分の子供がアトピーを発症しても、そのことに対して両親は自責の念に苛まれる必要は無い。と言いたい。そしてそんなことを考える時間があるなら、その分を「治す」エネルギーに転化して欲しいと思う。

 

そんなことを考えていると、やはり何事も「人任せではいけないなー」と思う。いや、厳密に言えば、任せる所は任せて、自分でやるべき所は自分がちゃんとやる。これが大事なんだろうと思う。

間違いだらけのアトピー常識 その1

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散歩コース

人生には、自分が本当に経験してみることで初めて「分かる」ことがすごく多い。今まで想像していたこと、頭の中だけで考えていたことを直接経験することによって、真実がそれまで抱いていた世界とは全く別モノであることに愕然とする。アトピーを治してみて思うこと。それは「なった経験がないから当然そうなるね。」と思うことの多さだ。経験していないこと、未体験が全て無駄と言うつもりはないが、自分が直接体験していないことに対する警戒心の強い性格は、アトピーを治す過程で形成された気がする。

 

アトピーは掻くと治らない」。私がアトピーだった時代、これはどの医療機関へ行ってもほぼお決まりのアドバイスだった。いやアドバイスと言うよりは、むしろこれが唯一の治療法であるかのような力のあるメッセージで、それはむしろ「忠告」に近かった。「掻くと治らない」いや「掻くから治らない」。この言葉を真剣に受け止めた当時高校生の私は、とにかく「掻かない」ことでアトピーを治そうと本気で取組んだ。タオルで手首を縛り、就寝中も手が勝手に動かないように固定した。

 

ところが、実際、アトピーを治してみると分かるが、真実は逆なのだ。「掻く」とか「掻かない」とは無関係に、アトピーは治る時は治るし治らない時は治らない。ましてや「アトピー患者は本当は痒くないのに掻くことが習慣になっている。」(嗜癖的掻破行動)などと言われた日にゃ「それは全然違うやろ」と言いたくなる。私は、皮膚は痒いから掻くのであって、痒くなければ誰も掻かないのが普通だと思う。(痒くも無いのに掻いていたら、それはちょっとアレやろ・・)

 

それからもうひとつ。アトピーは「遺伝だから治らない」と言う「忠告?」があって、これで当時の私はかなり(いや滅茶苦茶)苦しんだ。その理由は当時、私の父も祖父も同時に皮膚病を患っていたからだ。つまり、私は子供の頃から父&おじいさんが体に軟膏を塗るのを見て育ったのだ。だから医者から「遺伝」と言われると何かを言い返す気力も無く、ただただ落ち込むしかなかったのだ。

 

では現在、私&私の子供達はどうなのか?と言えば、アトピーとは全く無縁の生活を送っていて(ちなみに私の祖母、母、妻は皆、アトピーとは無縁)、私はアトピーは遺伝的な要因があったとしても、全然普通に治せると確信している。だから自分の子供がアトピーを発症しても、そのことに対して両親は自責の念に苛まれる必要は無い。と言いたい。そしてそんなことを考える時間があるなら、その分を「治す」エネルギーに転化して欲しいと思う。

 

そんなことを考えていると、やはり何事も「人任せではいけないなー」と思う。いや、厳密に言えば、任せる所は任せて、自分でやるべき所は自分がちゃんとやる。これが大事なんだろうと思う。

アトピーは死ぬ病気ではない。に思うこと

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散歩道

 

一般的な常識を鵜呑みにしていると、実は思わぬ所で痛い目に遇うケースがアトピーには多い。例えばアトピーは死なない病気だと一般的には思われている。事実、医学的にも「アトピー性皮膚炎は死に至る病気ではない。」とされていて、実際、アトピーが直接的な原因で死に至ったケースはない。ところがこの話には裏があって、それはあくまで「直接的」と言う部分に限定されている点を見逃してはいけない。

見方を変えれば、アトピーが引金となって「間接的」に死に至ったケースなら枚挙にいとまがないだろう。例えば体の面から言えば、掻き壊した皮膚から黄色ブドウ球菌が侵入、心臓の弁膜に付着したまま気が付かずに命を落としたケースがある一方、精神的な面ではアトピーによる対人恐怖症から引きこもりへ、そして情緒不安定な状態が長年続いた揚句、自ら命を絶つケースもある。だから「アトピーは死なない病気」なんて言葉は無視して、とにかく治すことに専念した方がよい。

それから、もうひとつ厄介なことがある。それはアトピーが「死なない病気」であるが故に、いろんな人がいろんなことを無責任に言うことだ。一昔前の例を挙げれば、ステロイド外用薬に長期間依存していた患者だけでなく、内服をしている患者に対しても「即ステロイド断ち」を奨める人達がいたのだが、これは危険極まりない行為だ。私自身、この話を信じたために、大切なものを失ってしまった経験がある。

だから私は思う。「アトピーは一歩間違えば死に至る病気」だと。常にそういう可能性は確実に秘めている。のだと。百歩譲って死なないとしても、人生を滅茶苦茶にされてしまう可能性は否定できない。だからアトピーは「治してナンボ」なのだ。案ずることはない。そんな危険なリスクを背負わなくても、アトピーは自分で治せるのだから。学校に通いながら、会社に勤めながら、日々コツコツと地道な努力を積み上げるだけだ。と言うか、アトピーを治すにはこれ以外の方法は無いと思う。いや、アトピーだけではないだろう。

元メジャーリーガーのイチロー曰く「夢や目標を達成するにはひとつしか方法はない。小さなことを積み重ねること。小さなことを積み重ねることが、とんでもないところへ行くただひとつの道。」「特別なことをするために、特別なことをするのではない。普段通りの当たり前のことを繰り返すから特別な結果が出ると思っています。」


アトピーの原因

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近くの公園

 

アトピーの原因については多くの人が多くの説を唱えている。それは特定の栄養素、例えば亜鉛とかビオチンの不足から始まり、飲料水の塩素や大気汚染、酷いのになると前世からのカルマまで登場する。が、私に言わせればアトピーの原因なんてものは、ひとつに特定できるものではない。見方を変えれば、原因が複合的だからアトピーなのだ。

だからと言って、その複合的な原因をわざわざひとつひとつ入念にチェックする必要も全然ない。と言うか、原因を特定しても、それはアトピーを治すことには役立たない。通常、私達は何か問題に直面すると、原因を究明して対策を打とうとする。これは正しいアプローチだ。例えば、病原菌に対する抗生物質の投与等が良い例だろう。事実、このアプローチの仕方で大抵の問題は解決する。

ところがアトピーに関する限り、このアプローチの仕方は全く有効ではない。と言うか通用しない。逆にこのアプローチを続けている限り、袋小路になって行き詰ってしまうようになっている。このことは過去のアトピー治療がハッキリ物語っているし、今後も変化することは無いだろう。もうそういう流れなのだ。だから患者は原因なんて追究するより、「こうすれば治ることが分かっている方法」だけに専念すればよいと思う。

ちなみに18年前。私はメルマガで「アトピーの原因を探しても特効薬が発明されることはないだろう。」と書いた。そして「20年後も特効薬は出ない。」と。あれから20年。私はまた同じことを書こうと思う。今から20年後、つまり「2040年になってもアトピーの特効薬は販売されていない」と。

アトピーを治す方法はとてもシンプルだ。そして分かり易い。難しいことなどひとつもない。それは「出すこと」「出し切ること」。もうこれに尽きる。食べたものをしっかり排泄できるようになれば、アトピーは嫌でも治る。これだけでアレルゲンは近づけない。では「出し切る」にはどうすれば良いのか?「腸内環境を整える」だけでは弱い。

腸は消化器官の一部でしかない。河川全体を浄化する場合、下流の人だけ頑張れば良いのか?虫歯だらけで胃下垂の人がそんなにうまく腸内細菌だけを整えられるのか?全て繋がっているのに・・・。大切なのは入口(口)から出口(肛門)まで全部。だから私は「胃腸の健全化」。つまり消化管そのものを健全化する必要があると思う。

難しく考える必要はない。要は「快食」「快便」「快眠」。この3つは繋がっていて、全て健康な身体を維持するための基本なのだ。何のことはない。いろんな人がいろんなことを言っているが、真実は常にシンプルだと言うこと。つまりアトピーだけを治す特別な治療なんて無いし、健康になればアトピーは消えてしまう。それだけなのだ。

よく噛んで(200回)食べる。パン、パスタ、ラーメン等、グルテンを含む小麦中心の食生活からコメ(ご飯)、味噌汁、お漬物中心の和食へ。まずは2週間。これだけで体には変化が生じることだろう。

ご飯 or パン

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スズメのねぐら。

 

散歩中、雀の塒(ねぐら)を見つけた。チュンチュンとやたら鳴き声がするので近づいて見ると、おびただしい数の雀が枝にとまっていた。稲刈りの終わった田んぼで虫を探しては、ここで群れを成して眠るのだろう。確かにこの木の中だと、外敵からも発見されにくいだろう。

先日、読者の方からお問合せを頂いた。内容は「何故アトピーにはパンよりご飯の方が良いのですか?」。答えは簡単。それは「コメに比べて小麦は消化するのが大変だから」。ちなみに「パン」は小麦の代表と言うだけで、パスタもヤキソバもラーメンもうどんも意味は全部同じ。小麦に含まれているグルテンは、コメに比べて消化に要するエネルギーが高く、これがアトピーを治す場合には良くない。

これは実際やってみると結果はハッキリ。簡単に「体感」できるだろう。試しに2週間、小麦材料のものを一切食べないか、あるいは極端に減らしてみよう。いや、期間は1週間でも良い。朝食のパンをお粥に。午後はラーメンやパスタを控え、ご飯とみそ汁(本物の味噌)をベースにする。これだけで身体の調子は良くなる。

その際、同時にやることがある。それは「よく噛む」こと。よく噛むことの恩恵はたくさんあって書き出せばキリがないのだが、アトピーには唾液で消化が促進される点と、少食で満足できる点が大きい。アトピーを治す場合のポイントは消化と吸収に尽きると言ってもよく、食べたものがしっかりと消化されないと、当然、吸収も上手くゆかない。言い換えると、消化にばかりエネルギーを消耗して吸収に回らないと、代謝がうまく機能せずアトピーはいつまで経っても治らない。

過去、20年アトピーの治し方に関する質問を受けてきて思うこと。それは「治し方」そのものはシンプルなのだが、後は本人がその「治し方」に対してどう取り組むか。全てはここに帰結するように感じる。「よく噛む」なんて誰でもできることで、お金も掛らない。パンやパスタやラーメンだってアトピーが治ってしまえば食べればいい訳で、何も死ぬまでストイックな禁欲生活を送る訳ではない。

アトピーを治せない多くの人が誤解している点もここだ。まず断言していいと思うが、今やアトピーは普通に治せる病気で、その治し方(方法論)もほぼ出尽くしている。だから、後はやるだけ。それは掛け算ができるように九九を覚えたり、自転車に乗れるように練習したのと同じこと。純粋でひたむきな努力しかない。この努力を回避できるよなノウハウなど存在しない。

それからもうひとつ。実は、アトピーだけを治す特別な方法なんて存在しない。例えばご飯(おコメ)中心に和食を心掛けていると、訳の分からない体のだるさや倦怠感から解放される。これは私の場合だが、小麦中心の食事(ラーメン&パスタ)が重なると、決まって片方の鼻が詰まる。そして便通も悪くなる。だから自分の体調を良い状態のままで維持するなら、自ずと和食になる。

先日、人間ドックで健康診断を受診した。全て「異常なし」。だからと言って特別なことは何もしていない。和食を中心に良く噛んで食べるだけ。勿論、甘いモノも食べるし、ラーメンやパスタも食べる。自分はベジタリアンではないし、ストイックな食生活が出来るタイプの人間でもない。それでもアトピーは治せた。要は何とでもなるのだ。だからこそ思う。アトピーは治してナンボだと。

アトピーにお奨め温泉 NO1

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奈良県十津川村

 

昨日、奈良県十津川村を訪れた。行先は湯泉地温泉の公衆浴場「泉湯」。ちなみに十津川村にはこの温泉の他、十津川温泉と上湯温泉の合計3つ温泉地があるが、すべてが「源泉かけ流し」。「源泉かけ流し」=「よい温泉」とは言わないが、それでもこの村の温泉はすべて手放しでお奨めできる。

中でも、今回訪れた湯泉地温泉の公衆浴場「泉湯」と「滝の湯」はお奨め。泉質は単純硫黄泉で源泉の温度は60℃。一方、ナトリウム炭酸水素塩泉(源泉温度は70℃)の十津川温泉や上湯温泉(源泉温度は85℃)は、これから冬のシーズンがいい。そう言えば「泉湯」は今年4月、出川哲郎が「充電させてもらえませんか?」の番組収録で立ち寄っていた。

ハッキリ言って、私は温泉療法でアトピーが治る(完治する)とは思っていない。一年以上の長期療養ならともかく、2・3日温泉に入ったからと言ってそれでアトピーが治るなんてことはないと思う。それでも私がこの温泉を奨める理由は、少しでもイライラ、ストレスが軽減できればよいと思っているからで、事実、私自身、この大自然の中の露天風呂に入ることで癒されている。

考えてみれば、私達人間は身体や心が病んだ時、自分以外の人間や動物や自然によって癒される存在だが、逆に他の人間から癒しではなくイライラやストレスの種を貰うことも少なくない。そんな時、一番良いのは自然に親しみながら体を動かすこと。そして、そのことに没頭すること。私はこれで危機的な状況を乗り越えてきた気がする。

仕事で行き詰った時、あれだけ考えても出てこなかった答えやヒントが、仕事を離れて自然の中で何かに没頭しているまさにその瞬間、ふっと湧き出たことは多々ある。仕事以外でも、最近は何らかの厄介な問題に直面した場合、大切なのはそれを解決するスキルではなく、むしろその問題との距離感のような気もする。言い換えれば、どんな重大な問題でも距離さえキチンと保てていれば、解決策は自ずと見えてくるもののように思える。

強さとしなやかさ

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散歩道

 

小学校時代の同窓会に参加した。当時、担任だった先生の古希を祝して、男女14名が焼肉のメッカ、大阪市内の鶴橋で合流。楽しい一夜を過ごした。このクラスの同窓会は今までも頻繁に行われていて、自分もかなりの高確率で参加してきた経緯がある。おそらく同窓会なんてものはその場の雰囲気を想像して、自分が「楽しめそう」と思えば参加するし、逆に「楽しめそうもない」と判断すれば参加しない。その程度のものだ。

そんな中、20代後半から30代前半の一時期、私はこのクラス会には参加しなかった。参加すれば楽しいことは分かっていたが、それでも参加しなかった。理由はアトピー。それまで体だけの症状が、顔にまで広がったからだ。当時、アトピーはマスコミでも取り上げられる機会が多くなり、そのせいか世間での認知度も高くなったが、それでも自分のような真っ赤な顔をした重症のアトピー患者の数はまだ少なかった。

同級生達は私がアトピーであることを知らない。従って同窓会に参加すれば当然の流れとして、「.どうしたの?その顔?」となる。当時の私はこの「どうしたの?その顔?」と言うお決まりの質問にはもうウンザリで、とにかく人前に出る行事は全回避だった。そんな自分が今、全く何事も無かったかのように同窓会に参加している。いや、実際、同級生の中でも当時の私を知る人間は限られているし、ましてや当時の私の症状となると、本当のことを知っている人間など皆無だ。

この点に関しては「逆もまた真なり」だ。人間50年以上も生きていると、いろいろな人生模様がある。そのことは同級生達ひとりひとりが各々の歩みの中で背負ってきた(今も背負っている)もので、他人が共有できるものではない。共有できるものではないが、乳がんでステージ3と告知されたM美が5年の経過観察を経て「大丈夫!」と医者から太鼓判を押された話を聞いて思わずハグ。涙が止まらなくなって「ヤバい!」と周囲をこっそり見渡したら、あいつもこいつも泣いていた。

最近思うのだが、人間(特に男)にとって大切なのは「強さ」よりも「しなやかさ」のような気がする。そう言えば誰かが「恐竜は絶滅したがアメーバーは今も生存する」と言っていたが、同級生と話していて感じたことを正直に言うと、それは「強さ」、つまり「強靭さ」は同時に脆さ(もろさ)も兼ね備えていると言うことだ。一見、堅くて強そうな樫の木には衝撃を和らげる性質はない。一方、カナダの常緑樹林(トウヒやマツ)は猛吹雪で枝が厚い氷で覆われる前に枝を垂らす。要するに、避けようの無い力には抵抗せず同調する。

人生で直面するさまざまな厄介な出来事に対して衝撃を吸収せず、抵抗し続けるとどうなるのだろう?過酷な現実を拒み、拒否し続けるとどうなるのだろう?私の場合、理不尽な出来事に対してそれを認めることが「敗北感」へと直結する時もあるが、これは必ずしもそうとは限らないようだ。つまり、猛吹雪の中で大小の枝に積もった雪から身を守るには「強さ」「強靭さ」で対抗するより、枝を垂らすだけの「しなやかさ」の方が理に適っている。

更に言うと、「強さ」にはキリがないと言う点もある。何故なら、対処すべき問題が「強く」て「強靭」であればあるほど、その問題を解決する自分もそれ以上に強くならなければならないが、それは現実的に無理だからだ。要するにキリがない。そして緊張、不安、イライラ、うつ。これらの内面的な葛藤の先には何があるのか?過酷な現実を拒否し続けるなら、自分自身で作り上げた夢の世界に逃避するしかない気がする。

アトピーに悩む20代・30代の男性達へ。
今回のメッセージは、特に君たちに向けて書いた。私は「自分がそうだったから君達もきっとそうだ!」と言うつもりはないのだが、正直、アトピーなんてなんとでもなる。これは本当だ。自分自身を責めることはない。まだまだ人生はこれからだよ。