飛鳥旬のブログ

自分のアトピーは自分で治そう!

いきものとしての人間

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                 サンセット

今、いきものがかりの「SAKURA」がラジオから流れている。

素直に「いい曲だな」と思う。

さて、それはさておき、


アトピーを治すために、またアトピーを治した後からも健康を維持するために心掛けていることがある。

いや、これは「心掛けている」と言うよりは、むしろアトピーを治す過程の中で自然と身に付いたことなのだが、それは「生き物としての人間」と言う視点だ。

人は、この地球上で生きている他の動物と同じ生き物(生物)である。

この視点から、少なくとも自分は食生活で踏み外すことが少なくなったし、年末年始とかに踏み外した場合でも、比較的早いタイミングで修正できるようになった。

例えば、

誰かが、「アトピーを治したい!」となったとする。

すると過去の自分がそうであったように、大抵の人はこんな風に考える。

「何が悪いのか?」
「どうすればいいのか?」と。

で、同時に、大抵の人はここに行着く。

「何を食べればいいのか?」
「何を食べなければいいのか?」

間違いではない。

事実、食生活は「アトピー完治」の鍵を握っている。なので食生活を無視したままアトピーを治すのは困難だ。

では逆に、

「何を」
「どれだけ」
「どのタイミングで」

食べればよいのか?

このことを「完璧に理解した人」なら確実に治せるのか?

意外とそうでもない。

何故か?

理由はいろいろある。

が、私が思うに、

「何を食べればいいのか?」
「何を食べなければいいのか?」

これは、方法論である。

で、「アトピーを治す」と言うような問題に直面した場合、その解決方法として「方法論」とか「ノウハウ」と呼ばれるものより、「原理・原則」に従う方が結果を残せる。と言うのが私の経験則である。

「方法論」とか「ノウハウ」はダメだと言っている訳ではない。

そうではなくて、アトピー治療に関する限り、まずこの世界の根底にある原理原則を抑えておく方が得策だと思うのだ。その方が「相性が良い」と言ってもいい。

その原理・原則が、「いきものとしての人間」と言う視点。

これである。

で、この視点からすると、

「何を」
「どれだけ」
「どのタイミングで」

食べればよいのか?

なんて疑問が生じること自体、「どーなんだ?」となる。

何故なら、

野生の動物にとっては一食や二食、「食べられない」なんてことは日常茶飯事だし、事実、日本でも一般庶民に1日3食が定着したのは戦後からだ。

この現実を鑑みれば、昼食が食べられなかったからと言って、別に騒ぐほどのこともなくなる。と言うか、昼食にありつけなかった見返りに夕食がすこぶる美味しくなる。

そう。昼食を抜けば夕食は美味い! 

それは「お腹が減っている」からである。空腹だからである。

で、現実的な問題として、本当にお腹が減っている時、空腹で「食べたい!」時、私達は何を選んで食べるのだろう?

肉・魚・野菜・ご飯? 

それとも

チョコレート、ケーキ、アイス?

「何を」
「どれだけ」
「どのタイミングで」食べればよいのか?

このような疑問に対して誰かの方法論やノウハウに従わなくても、原理・原則だけで、答えは自ずと見えて来るのではないか?

いや、この瞬間、

原理・原則は、方法論やノウハウをはるかに凌駕している。


何故、人間には足があるのか?

原理・原則からすれば、それは「歩くため」である。

足は、歩くためにある。

ちなみに、人間以外のいきものは普通、1日8時間も椅子には座らない。

では、自動車ばかり使って「歩かない」生活習慣が定着すれば?

足腰が弱って、腰痛やヘルニア等、そんな流れになるのではないか?

くどいようだが、これが原理・原則。「自然の理」である。


自分の経験からすると、アトピーを始め慢性疾患と呼ばれるものの大半は「いきものとしての人間」を意識した生活をするだけで、大きく改善する。

何故なら、

それは原理・原則に従っているからだろう。