アトピー完治への道 飛鳥旬のブログ

アトピーは治してナンボ

努力でなんとかなることとならないこと

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もうすぐ稲刈り


アトピーになって分かったこと。
アトピーを治して分かったこと。は多々ある。

その中でも、その後の人生で自分の考え方に大きく影響を与えたものがある。

それは、世の中には自分の努力でなんとかなる事と、自分の努力だけではどーにもならない事の二つがあるという経験だ。

例えば、

アトピーは努力で治せる病気である。これは間違いない。と言うか、断言してもいいが、アトピーは「治そう!」と決心して、治すための地道な努力を続けることで必ず治る(ようになっている。)

要するに、毎日の生活の中で直面する場面場面において、間違った方向に行かない限り、今では治るのが普通になった。

一方、自分のアトピーを〇〇月〇〇日までに治す。と期限を定めて短期間で治そうとするのは無理がある。と言うか、それは努力の範囲を超えている。

つまり、「治す」は努力で達成できる到達点だが、その到達点を「この日」と自ら定めることは、努力ではどーにもならなら話なのだ。

当然と言えば当然の話だが、この点をしっかり見極めておかないと話がややこしくなる。私自身、このことが分からず、どんどん悪のスパイラルを歩んでしまった。

つまり、こういう話だ。

あれは、自分のアトピーが顔に出始めた頃だった。当時の私は結婚式や展示会とか、それは仕事とかプライベイトに関係なく、とにかく真っ赤に腫上った顔を人前に晒すのが嫌で、目標をその日に定めてアトピーを治そうとしていた。

その結果、アトピーは治らず。
症状的には少し良くなることもあったが、逆に悪化した時もあった。

当然である。

春に植えた稲を、真夏に刈り取ることはできない。夏になれば暑くなり、冬になれば寒くなるのと同様、私のアトピーも来るべき時が来れば治るのに。

このような例はいくらでもある。

英会話なら、コツコツと地道な努力を続けることで喋れるようになるだろう。それは私達に元々、その類の能力が備わっているからだ。事実、アメリカやイギリスに行けば、英語なんて子供でも喋っている。

ところが、空を飛ぶ努力はどうだろう?

ムリだ。いくら努力してみたところで、それは努力が足りないからではない。
私達が空を飛ぶことができない理由は、それが努力の範囲を超えていて、そもそも原理的に無理だからだ。(羽根をくれー!)

で、原理的にムリなことにチャレンジし続けると、どうなるだろう?

それは私の経験では、精神を病んでしまう。
場合によっては、気付かない間にかなりヤバい状況に陥る。

この方向に行くとマズイのは、元々、努力で治る筈のアトピーを自分で治せない方角に舵を切ってしまうからだ。

だからアトピーを治す場合、必要以上の「あーしてやろう・・」や「こーしてやろう・・」の目論見は持たない方が良い気がする。

アトピーなんてものはどんなに症状が酷くても、やるべきことをキチンと継続していれば治るようになっているものなのだ。そこに「一刻も早く」とか「何が何でもあの日までに」等と言う意図が介在すると、それは正直言って邪魔になる。

アトピーになり、アトピーを治してみて、私は何かの問題に直面した場合、それが努力で解決できるものなのか?それとも努力の範囲を超えたものなのか?それを自問自答する癖が付いた。

で、もし解決できるなら、それは短期決戦なのか、それとも長期戦になるのか?そーゆうことも考えるようになった。

一方、自分の努力だけではどうにもできない場合は?

考えない(ことにしている。)何故、考えないか?それは考え出すと、キリがないし、その結果はロクなことにならないからだ。

実際やってみると分かるが、努力してもどうにもならないことに対してあれこれ考えてみた所で、普通はロクなことを考えない。多分、人間とはそういう風に出来ているのではないかと思う。

逆に、「考えない」ことの効果は絶大だ。いいことばかり。
具体的に言うと、夜、熟睡できる。ついでに「飯も美味い」。

難しい理論は分からないが、多分、これだけで私は自分が鬱病とかノイローゼとか、いわゆる「精神疾患」には成らないような気がする。

「努力すれば必ず報われる。」

私はそんな風に教え込まれた世代の人間だ。
そして、それはその通りの時もあったけれど、そうでもない時も多々あった。

何でもかんでも、努力すればイイってもんでもない。
このことはアトピーを治してみて分かった。