本当に必要なモノ
本来なら、この時期は田植えが終わった散歩道を掲載することにしている。
が、今年は少し様子が違う。
ご覧のように、田植えをされる筈の土地は雑草が生い茂っている。
もしかして・・・
「地主さんが新型コロナウイルスに感染した?」
ふとそんな風に思って、近所の事情通のおじさんにそれとなく理由を聞いてみた。
すると、答えはこうだった。
「売却したんだよ。不動産屋に」
「息子が後を継がないからって・・・」
「3~4年後には宅地開発が始まるよ」
「あぁ。そういうコトか・・・」
考えてみれば、今時、全然めずらしくない事情ではないか。
で、その時に私が感じたのは、「これで夏の風物詩が無くなるな・・・」とか「身近な自然が消えるな・・・」と言った感傷的なものではなく、「世の中は常に変化している」と言うごくごく当たり前の現実だった。
ずーっとそのまま同じ。なんてものはこの世には存在しない。
見方を変えれば、変化するからこそこの世に存在できるのだ。
実際、自分自身がそうではないか?
好きなモノ(者)、嫌いなモノ(者)、考え方、モノの見方。
高校生の自分と今の自分では、全く違うじゃないか。
身体なんて、もっとそうだ。
不変なものなんてなにもない。
で、この「変化」は「良い」とか「悪い」とか「好き」とか「嫌い」とか、そう言う基準を超越しているように感じる。
平たく言えば、この世には「自分の努力だけではどーにもならないことがある」と言うことだ。
で、私が言いたいのは実はここからなのだが、この世には「自分の努力だけではどーにもならないことがある」半面、「自分の努力でどーにでもなる」こともある。と言うことだ。
具体的な例で言うと、
人は死を逃れることは出来ないが、アトピーや腰痛や訳の分からない不定愁訴の類なら、自分の努力でどーにでもなる。
そーいうことが言いたいのだ。
そして今、「自分の努力」と書いたが、大切なのはこの部分で、大抵の場合、多くの人がまず人の経験、人の意見、人の教えを参考にしようとする。
人の経験、人の意見、人の教えを参考にするのは大事なことである。
しかし、もっと大切なことがあって、それはとにかく自分でひとつひとつやってみることだ。
例えば、「アトピーを治す」と言う作業。
ここは話を分かりやすくするために敢えて「作業」と表現するが、それはカップ麺にお湯を注いで3分待てば出来上がり!と言うような単純な作業ではない。
一杯のラーメンをイチから作る。そういう作業なのだ。
この麺とこのスープの組み合わせてみよう!
じゃ
この麺を作るには?
このスープを作るには?
こーゆう作業を繰り返している間に、嫌でも見えてくるものがある。
それが、自分のアトピーを治す術なのだ。
今時、ユーチューブを観れば、いろんな人がいろんな情報を発信している。結構な時代である。そこにはヒントが一杯詰まっている。
でも、治すのは自分のアトピーなのだ。
そこに、一般論の限界がある。
と書くと、なんとなく小難しい話になるのだが、今まで歩んできた人生を振り返ってみると分かる気がする。
仕事でも趣味でも、スポーツでも格闘技でも、人のマネには限界がある。
アトピーを治す。アトピーとは全く無縁の人生を送る。これは可能な話なのだ。ただそこには「手っ取り早い裏技」は無いと思う。