ん?
サクラ さくら 桜
多分、今年も中止になる筈であろう町内会のバーベキュー大会。
その件で回覧物をお持ち頂いたSさん(女性、推定30代後半)の顔を見た瞬間、
「ん?」となった。
ちなみに、自分の知っているSさんはアトピーではない。
「・・・・・」
今、自分にはこの国のアトピー事情が大きく変化しているように映る。
その典型例が、今回のSさん。
つまり、今までアトピーとは無縁だった人が30才を過ぎて、いや40歳、50歳を過ぎてから初めてアトピーになる人が必ずしも珍しくなくなってきた。
私がアトピーだった時代、アトピーは「子供の病気」と言われ、成人のアトピー数はごくごく少数派だった。
で、あまりと言うか、全然嬉しくない話だが、その時代にアトピーになった私としてはある意味、Sさんのような方の気持ちが本当に肌を通じて分かる気がする。
結論から言うと、
今回、Sさんとのやり取りは時間にして約1分。雑談は一切なし。Sさんが連絡事項を一機にしゃべりまくって終わり。これは明らかに今までのSさんと違うのだが、その行動の背景にあるのは忙しいとか、時間に追われているとか、そんな理由ではきっとない。
アトピーである。
自分が思うに、アトピーは症状が顔に出た時点から、人生を変えるほどの影響力を持つケースがある。
就職。恋愛。結婚。そして日々の仕事。
私自身、人生の節目節目でアトピーが登場。その度に痛い目に遭ってきた訳だが、それは年齢には関係なく、無いなら無いに越した筈のものなのだ。
「若い時の苦労は買ってもせよ」とか「人生は何事も経験」とかよく言われる。
確かに、そういう一面もあるとは思う。
が、それが「必ずしもそうか?」
と、問われれば。
「必ずしもそうとは思えない・・・。」と感じるのも事実。
と言うか、アトピーで苦労するくらいなら、もっと他の苦労の方がマシと思う自分がいて、更に言うなら、アトピーなんかで苦労するな。とっとと治そう!と思う。
でも、そんな自分ではあるが、Sさんには何も言えなかった。
アトピーのことは無論、それ以外のことも・・・。
今まで多くのアトピーの方々と接してきた。地域なんて関係なく、それこそ日本国中、ネットを通じて、SNSを通じて。
でも、身近に住むご近所さんや職場の知り合い等、そういう人達へ自分の方から直接、アトピーの話題を切り出すことはしない。
それが、自分の流儀。
それが、飛鳥旬の役割なんだ。