飛鳥旬のブログ

自分のアトピーは自分で治そう!

もろもろ思うコト

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           ライトアップされた御堂筋


コロナが下火になった途端、あちらこちらから会食のお誘いが来た。

小学校の同窓生、高校の野球部の同僚、職場の後輩、中学時代の友人等々。

気付けば、週末のスケジュールは12月初旬まで一杯になっていた。

久々に、大阪ミナミの繁華街を歩いた。

「大阪ミナミ」の名前はそのままだが、それを構成しているひとつひとつの店舗やテナント、高層ビルは変化していた。

「あれ?」
「ココって前、何やった?」

新しいショップを見るたび、そこが以前は何屋さんだったのか思い出せない。

コレって多分、人も同じなのだろう。

飛鳥 旬

名前は変わっていない。

が、自分を構成しているひとつひとつの細胞や思考は常に変化していて、その記憶は断片しか残らない。

10代。
中2で母が急死。その直後にアトピーと診断されて以来、良い思い出は殆どない。
あの頃、家庭は貧しい訳でも裕福な訳でもなかったが、周囲の雰囲気からなんとなく「勉強はしておいた方がいいな」程度のことを漠然と考えていたように思う。

20代。
好きな彼女が出来て付き合うようになって、結婚した。そして二人の子供ができた。その間もずっとアトピーは悪化し続けた。当時、日本経済はバブル期。だが自分はカネや地位、名誉なんかとは無縁の人間だと思った。

30代。
33歳でアトピーを治した。これには京都高雄病院の江部康二医師との出会いが大きいのだが、当時の私は「オレが」「自力で」「治した!」の意識が強く、またこの事実を誰かに知って欲しい願望がいつもあった。

40代。
アトピーが治って万々歳!」と思いきや、人生なんてそんなもんじゃないことを知る。一方。この頃からインターネットが本格的に普及、メールマガジンで「告白!体験者が明かすアトピー克服の鉄則!」を配信したところ、全く予期しないほとの反響に驚くと同時に、読者の方々とのやり取りが自分の人生の宝物として今も続いている。

50代。
アトピーになって良かった」と思えることなんて何一つ無いが、アトピーを治すことで得た教訓がこの年代で活きていることを知る。事実、私は20代より50代の方が元気で、ステロイドのリバウンド中に思った「オレ、50歳まで生きれるのかな?」は杞憂に終わった。

60歳。
不思議な感覚だ。「私」とか「自分」とか「オレ」とか、そーゆう感覚がどんどん薄くなっていく。それは言葉で表現するのは難しいが、自分と他人、自分と自然の垣根が消える、そんな感じが続いている。で、友人や知人と一緒に過ごす時間は楽しいのだが、独りで過ごす時間もまた楽しい。独りでも全然寂しくはないのだ。それは家族がいるからとか、家庭があるからとか、そーゆう理由でもなさそうだ。その証拠に20代の私には「寂しさ」が常にあったから。


ある大学の理事長が逮捕された。

その人は私から見れば「カネも地位も名誉も財産も」あるように映る。が、もしかして、この人には「充足感や安心感、心の自由」は無かったのか?

満たされない心。空虚。
その空虚な心のまま、自分を満たしてくれる何かを求め続けたのか?

「移り行くもの、過ぎ去ってしまうものの中に真実を見出すことはできない」とは誰の言葉だったか?

忘れた。
が、そんな言葉がふと思い浮かんだ。


先週、後輩から「還暦祝い」と称して一万5千円のステーキをご馳走になった。

後輩曰く「大阪ミナミでは『浜村淳さん』ご用達のお店です」。

とても美味しかった。(ありがとうF君。君はいいやつだ。)

で、今日は家族でワンカルビの焼肉の食べ放題へ。

こちらも美味しかった。

で、食べ放題の料金が60歳から安くなっていた。

こっちも、一緒に美味しかった。