入院中に考えたこと
三寒四温。
多分、これは三日間寒い日が続いた後は暖かい日が四日間続く。つまり「春はもう直ぐ」と言う意味だろうが、実際は昼間暑くて朝夕は寒いから、夏と冬しかないみたい。そんな感じの今日この頃である。
さて、今回は私がアトピーで入院していた時の話。
1991年2月14日、私は京都の高雄病院に入院した。
それは、それまで10年以上使い続けたステロイドを一機に切ったら、強烈なリバウンドを食らった。と言うごく自然な流れの話だが、当時の私はこの必然すぎる流れをイマイチ把握していなかった。
で、そのリバウンドの強烈さは、それまで私が大切にしていたものを全て一瞬で吹き飛ばしてしまうほどの威力を持っていた。
「終わった・・・」
正直、あの時はそんな風に思った。
「若かった」と、今なら思う。
実際、本当の意味で私が失ったものは何もなく、逆に、その後の私の人生は順風満帆ではないにせよ、少なくともアトピーに関してはもう過去の出来事だ。
ここで言う「本当の意味」とは、「それが無くては生きてはいけないもの」のことで、本当のことを言えば、それはアトピーなんかで失うようなものではない。
「ピンチはチャンスだ!」とか、そーゆうことを言いたい訳ではない。
「ピンチもチャンスもない」
「そんなものはどっちも最初からない」
強いて言うなら、あの時の経験は私にそう投げかけているようだ。
入院中、最初に私がやったこと。
それは「思考を停止する」だった。
これは「やった」と言うより、「そうする他なかった」と言う方が現実に近いのだが、とにかく気付くとロクでもないことばかり考えている自分がいる。で、その思考(妄想)によって自分自身が苦しめられている。これが一日中続くのだ。
「このままでは発狂してしまう・・・」
この仕組みに気付いた時、私は「思考を停止する」ことにした。で、ベットから天井の一点を見詰めながら、ひたすら「考えない」ように努めた。
すると、不思議なことに気付いた。
これは多分、テレビを観るとか誰かとお喋りするとか、そういうやり方の気分転換なら気付けない事実だと思う。
で、この時、私が気付いたこと。
それは、いくら「思考を停止」しようとしても、それは不可能だと言うことで、実際、これを証明するには1分も掛からない。自分でやってみると直ぐ分かる。
今から1分。何も考えず、例えば呼吸に集中するとか、身体のどこかに集中するとか、何かの音だけに集中するとか、なんでも良いので試みてみると分かる筈だ。
できない。筈である。
気が付くと何かを考えている、何かを思考している、何かを妄想している。そんな自分に気付く筈。その思考は過去のことかもしれないし、将来のことかもしれない。単なる妄想の時もある。が、とにかく「思考停止」の状態ではない筈だ。
では、何故そうなってしまうのか?
これをよくよく観察してみると、そこにはそうなる前に必ず映像とかイメージとか雰囲気とか、とにかく思考させる何かが、思考に先立って生じていることに気付く。
「・・・・」
「なんで?・・・・・」
で、妻にも確認した。子供にも確認した。
すると、やっぱり皆同じ。
自分だけでなく、どうも人間は皆、こーゆう仕組みになっているようだ。
この事実に気付いた意味は大きい。とてつもないサプライズである。
何がどう大きくて、何がサプライズなのか?
だってこのことが分かればうつ病とか神経症とか、そーいうメンタル面の病気や疾患、その類のリスクを事前に回避できる術が身に付くではないか!
仕事で嫌なことがあった時、辛い!苦しい!と感じた時、全部自分で対処できる。
やり方?
ひとつひとつの動作に集中する。これだけ。
ご飯を食べる時、お茶碗を持つことに集中。お箸を持つことに集中。ご飯を口に入れることに集中。おかずを口まで運ぶことに集中。
全部これで問題なし。
これで、変な妄想や思考をしていない状態の自分になれる。
実際、これで私は極端な妄想や空想に苦しめられる機会は激減した。
「パニックに陥る」
生きている限り、これは可能な限り避けたい。難しい話ではあるが・・・。
それでも入院中のあの経験が無ければ、多分、私は今でも「パニック」を回避する術を知らないままのような気がする。