飛鳥旬のブログ

自分のアトピーは自分で治そう!

満たされてる?

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人の顔みたいなパンジー


今朝は小雨。

なので散歩は止めて、朝イチは新聞(我家は毎日新聞)を読むことに。

日曜日、私が毎回目を通すのは海原純子さんのコラム「新・心のサプリ」で、今回は「生きててよかった」のタイトルだった。

登場人物は、海原さんの同級生のお医者さん。

で、今回はそのお医者さんがルール違反をした車にぶつけられ、不自由な目に遭われた時のお話で、要するに「巻き込み事故」に遭遇されたのだろう。

普通、私達は自分が何も悪いことをしていないのに、全く見知らぬ人から一方的に迷惑を掛けられたら怒る。そして憤りを覚える。

ところが、このお医者さんの場合はどうも違うらしい。

海原さんが「大丈夫なの?」「大変だったよね?」とメールすると、「生きててよかったよ」「普通はなかなかできない経験したからね」との返信。

そこには怒りも苛立ちもなく、返ってその言葉が海原さんは胸に刺さった。と。

続けて、

「生と死の境のギリギリでこの世界に踏みとどまった人は、精神性が私のような人間とは違う次元にいるのかもしれない」「怒りや恨みはなく、ただ今この時生きているということの大切さに気づいているのだろう」

と感想を述べた後、

「今、自分が生きていることを大事にしてそれに集中してみたい」「そうするところに浮かぶ雑念が消えるはずだ」と結ばれておられる。

ここまで読まれて、皆さんはどう思われるだろうか?


海原さんの同級生(のような方)。

つまり、怒りとか妬みとか、そういう感情が極めて低いタイプの人である。

実際、私もそんな方にお会いしたことがある。また必ずしも数は多くないが、実際にお合いしなくとも、雰囲気からしてそうと確信できる人もいる。

ところで、このようは方々と私のような凡夫との違いとはなんだろう?

このことに関しては以前よく考えた。いや「考えた」と言うより悩んだ。劣等感を感じたからだ。が、今はもうスッキリしている。

で、その理由は海原さんの言うような、

「生と死の境のギリギリでこの世界に踏みとどまった人の精神性が私達とは違う次元にいるから」だろうか?

とは、違う。

私が思うに、そもそも人間としては「海原さんの同級生」も「私」も変わらない。で、「生と死の境のギリギリの世界」とか「精神性の次元」云々なんかも関係ない。

では「何が関係しているのか?」なのだが、私はそれは「世界観」とか「人生観」みないな気がする。

簡単に言えば、突然の交通事故に遭遇するのも人生なら、予期できない不幸な出来事に遭遇するのも人生。楽しいこと。不幸なこと。どちらにどう転んでも、それが自分の人生なのだ。と。

そういう世界観である。

事実、私のアタマは「良い」とか「悪い」とか色々と断していて迷ったりするのだが、私の生命そのものは、そんな私のアタマの「良し悪し」とは全く関係ない。

事実、私の生命は私のアタマが作り出す「良い」「悪い」の世界(虚構)とは全く関係なく、今、そのまま、ありのままで瞬間瞬間を生きている。

だから、アタマに支配されたまま生命を見失った生き方をするか、いつも生命を意識しながら、同時にアタマの世界を支配するか。この違いはある。

右か左か?

そういう極端な話ばかりではないが、これが結構、幸不幸を左右したりする。

ん?

高校野球のニュースを見ていて、アタマの中の「良し悪し」で思い出した。

自分が高校球児だった頃は「練習中に水は飲むな!」が当たり前だった。で、喉が渇いても水が飲めない私は不幸までではないが、正直、辛かった。

で、水がダメな理由は「バテるから」だったと思うが、当時はそれが当たり前なので気の弱い自分はそれに従っていたのだが、今ならそれは自殺行為。

で、今は練習中は水分補給が当たり前らしい。

ひと昔前の「悪い」が今では「良い」典型例だが、そう考えてみると、普段、私達が「好き」「嫌い」と判断している基準も曖昧なものだ。

将来、「昔ね、タワーマンションとかベンツとか高級車に乗っている人のこと、上級国民って言ってたらしいよ~」と言う日が来るかもしれない。

その証拠に自分は今、「刀」や「ちょん髷」が武士の魂とは思わないのだが、十二単を着た平安貴族の女性には一度お目に掛かりたい気もする。