アトピー完治への道 飛鳥旬のブログ

アトピーは治してナンボ

アトピーを治してわかったこと2

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和歌山県 恋人岬

 

33歳の春以降、それまで散々苦しめられた『痒み』は消えた。高校入学以来、実に18年間、この時を境に私のアトピー人生は幕を閉じた。それまでも何度か「治った?」と思うことはあったが、この時は違っていた。それは「治った?」と言うより「治した!」の感覚に近いもので、それ以降、私のアトピーは今日まで一度も再発していない。今後も、他の病気はともかく、私がアトピーになることはもうない。

夏は普通に半袖シャツ。ステロイドを持参することはなく、散髪の時も顔から粉が噴く心配も無くなった。旅先で眠れぬ夜を過ごすことも無くなった。そして仕事でも、相手の眼を見て普通に話せるようになった。「オレはアトピーじゃない!」。その現実がいちいち嬉しかった。と同時に、アトピーを治してみて、初めて観えるものがあることにも気付いた。

今、「私がアトピーになることはもうない。」とキッパリ書いたが、何故そんなことが書けるのかと言うと、それは理由、つまり原因が分かっているからだ。アトピーになるには理由があるし、アトピーが治るにも理由がある。その理由が分かっているかどうか、ここなのだと思う。で、このことは何もアトピーだけに限らず、身の回りを見渡して観ても、似たような例は一杯あるように思う。

例えば農家。私は「これは芸術品か・・・?」と思うほど美味しいトマトを作る方を知っているが、実はこのトマトの美味しさには理由がある。私には「理由がある」ことしか分からないが、それは素人の私が観ても、彼の堆肥の作り方ひとつからして、他の農家さんとは明らかにやり方が違うことで分かる。で、ここが肝心なところなのだが、彼は研究者ではなく実践している人。である。言い換えると、彼は美味しいトマトの研究をしている人ではなく、美味しいトマトを実際に作っている人なのだ。で、私が思うに、彼は芸術品のようなトマトを作れる理由も作れない理由も両方知っていて、一方、そんなトマトが作れない人は作れる理由だけでなく、作れない理由も知らない筈だ。

誤解を恐れずに言うと、私は研究するだけでは分からないことが世の中には多いと思っていて、実は『アトピーを治す』と言うこともその類のカテゴリーに入るように思う。いくら泳ぎの情報を収集して学んでも、実際に水の中で泳いでみないと泳ぎをマスターできないのと同様、アトピー治すには治すためのこと(理由)を愚直に繰り返すしかないだろう。しかもアトピーを治すのにやることなんて難しいことは何も無くて、それは手足をバタバタさせている間に自然と泳ぎを会得する水泳のプロセスと似ているかもしれない。ひょっとすると、お釈迦様が悟りを開いのも何かを研究したからではなく、ただ座って自分の体と心を微細に観察していたからなのかもしれない。