アトピー完治への道 飛鳥旬のブログ

アトピーは治してナンボ

アトピーを治してみて分かったこと1

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58回目の誕生日。清々しい朝、妻と愛犬で近くの公園を散歩。爽やかなそよ風が肌に心地よい。自生したユリの花が一本、ポツンと咲いていた。ユリは何も主張しないし、何かの功績を残そうともしない。ただそこに咲いているだけ。なのに不思議と存在感を感じる。まるで「生きているだけでいいよ」と語りかけられているようだ。

 

アトピーであること、アトピーを治すこと

アトピーを治してみて初めてわかったことはかなり多い。その反面、アトピーの最中に得たものは殆どない。私の場合、アトピーであること自体は「苦痛」以外の何物でもなかった。得るものなんて何もなくて、思い知ったのは治りたい気持ちの激しさ、一途さだけだった。もっと言うなら、必死になって治そうとしている時間でさえ、私にとっては苦痛だった。裏付けのない希望。根拠のない期待。

「今はアトピーに感謝しています。」
アトピーの克服体験談にこんなコメントがあった。「自分とは違う」と思ってしまう。年を重ねることで「そんな風になるのかな?」と思ってもみたが、年を重ねた今でも、相変わらず「自分とは違う」ままだ。今も、私はアトピーには感謝なんてしていないし、誤解を恐れずに言うと「今はアトピーに感謝しています」と言うコメントは治してこそのものだと思う。アトピーのまま、治った事実が無いままでは感謝の念は生まれない気がする。だから「アトピーは治してナンボ」と私は思うのだ。

逆に、アトピーを治してみて分かったことなら一杯ある。それは身体だけでなく精神面も含めて、一杯ある。で、それらの「分かったこと」は、今も日々生きて行く中で役に立つ。例えば「怒り」。怒りの感情が体に与える影響は絶大。これはアトピーを治して分かったことのひとつだが、イライラして内に怒りを秘めた日々が続くと、心身に異常が出ない方が不思議。と今なら分かる。ので、怒り、恨み、憎みの感情には注意する。

アトピーを治してみて分かったことの一番は、なんと言っても全ては「自分」だと言うこと。レジの行列でもたつく先客、電車の中の酔っ払い、信号が青になっても発進しないクルマ等、イライラする種を言い出せばキリがない。多分、悪いのは相手だろう。自分ではない。いや100%自分以外の人やモノが悪いケースの方が多いかもしれない。で、このようなイライラの種は今までがそうであったように、これからの人生でも起こり続けるだろう。ストリーやシチュエーションは変わっても。

でも、こんなイライラの種に対して「自分」は過敏に反応したくはないと思う。イエス・キリストのように「敵に打たれたら、反対の頬を差し出せ」とはいかないまでも、「そこは黙ってスルー」くらいならできそうだ。黙ってスルーできないこともあるだろうが、少なくてもレジに並ぶ先客や電車の中の酔っ払い、信号が青になっても発進しないクルマの運転手程度なら何とかなりそうだ。

自殺者3万人。うつ病患者100万人。引きこもり60万人。これらの背後にあるものは一体何だろう?先の参議院選挙で候補者が「現状打破!この社会を変えましょう!と連呼していた。

「正社員ではない自分には価値がない」「結婚できな自分には価値がない」「仕事で功績のない自分には価値がない」。そんなものは本来、人間の価値とは関係のないものの筈だ。実際、幼馴染みとか同級生に対して、そんな視点で付き合っている人は少数派だろう。ところがもう少し大きな枠、つまり「社会」と呼ばれるカテゴリーでは自分には「価値」が必要で、そのためには特別な何かをしなければならないと言う一種、脅迫めいた感覚に陥ることがある。こうなると「生きる」ことの意味がグチャグチャになる。と言うのが私の経験則。

私は思う。「ユリの花と人間はそもそも違う」と言うのは少し偏狭な視点で、エネルギーある生命体と言う見方をすれば、ユリの花も人間も共通点はある。ただユリの花は自分に対して付加価値を求めることはしない。それは「ただそこに咲いているだけで十分なのよ。」と語りかけているようにも思える。