飛鳥旬のブログ

自分のアトピーは自分で治そう!

強さとしなやかさ

f:id:asuka-atopi:20191104132853j:plain

散歩道

 

小学校時代の同窓会に参加した。当時、担任だった先生の古希を祝して、男女14名が焼肉のメッカ、大阪市内の鶴橋で合流。楽しい一夜を過ごした。このクラスの同窓会は今までも頻繁に行われていて、自分もかなりの高確率で参加してきた経緯がある。おそらく同窓会なんてものはその場の雰囲気を想像して、自分が「楽しめそう」と思えば参加するし、逆に「楽しめそうもない」と判断すれば参加しない。その程度のものだ。

そんな中、20代後半から30代前半の一時期、私はこのクラス会には参加しなかった。参加すれば楽しいことは分かっていたが、それでも参加しなかった。理由はアトピー。それまで体だけの症状が、顔にまで広がったからだ。当時、アトピーはマスコミでも取り上げられる機会が多くなり、そのせいか世間での認知度も高くなったが、それでも自分のような真っ赤な顔をした重症のアトピー患者の数はまだ少なかった。

同級生達は私がアトピーであることを知らない。従って同窓会に参加すれば当然の流れとして、「.どうしたの?その顔?」となる。当時の私はこの「どうしたの?その顔?」と言うお決まりの質問にはもうウンザリで、とにかく人前に出る行事は全回避だった。そんな自分が今、全く何事も無かったかのように同窓会に参加している。いや、実際、同級生の中でも当時の私を知る人間は限られているし、ましてや当時の私の症状となると、本当のことを知っている人間など皆無だ。

この点に関しては「逆もまた真なり」だ。人間50年以上も生きていると、いろいろな人生模様がある。そのことは同級生達ひとりひとりが各々の歩みの中で背負ってきた(今も背負っている)もので、他人が共有できるものではない。共有できるものではないが、乳がんでステージ3と告知されたM美が5年の経過観察を経て「大丈夫!」と医者から太鼓判を押された話を聞いて思わずハグ。涙が止まらなくなって「ヤバい!」と周囲をこっそり見渡したら、あいつもこいつも泣いていた。

最近思うのだが、人間(特に男)にとって大切なのは「強さ」よりも「しなやかさ」のような気がする。そう言えば誰かが「恐竜は絶滅したがアメーバーは今も生存する」と言っていたが、同級生と話していて感じたことを正直に言うと、それは「強さ」、つまり「強靭さ」は同時に脆さ(もろさ)も兼ね備えていると言うことだ。一見、堅くて強そうな樫の木には衝撃を和らげる性質はない。一方、カナダの常緑樹林(トウヒやマツ)は猛吹雪で枝が厚い氷で覆われる前に枝を垂らす。要するに、避けようの無い力には抵抗せず同調する。

人生で直面するさまざまな厄介な出来事に対して衝撃を吸収せず、抵抗し続けるとどうなるのだろう?過酷な現実を拒み、拒否し続けるとどうなるのだろう?私の場合、理不尽な出来事に対してそれを認めることが「敗北感」へと直結する時もあるが、これは必ずしもそうとは限らないようだ。つまり、猛吹雪の中で大小の枝に積もった雪から身を守るには「強さ」「強靭さ」で対抗するより、枝を垂らすだけの「しなやかさ」の方が理に適っている。

更に言うと、「強さ」にはキリがないと言う点もある。何故なら、対処すべき問題が「強く」て「強靭」であればあるほど、その問題を解決する自分もそれ以上に強くならなければならないが、それは現実的に無理だからだ。要するにキリがない。そして緊張、不安、イライラ、うつ。これらの内面的な葛藤の先には何があるのか?過酷な現実を拒否し続けるなら、自分自身で作り上げた夢の世界に逃避するしかない気がする。

アトピーに悩む20代・30代の男性達へ。
今回のメッセージは、特に君たちに向けて書いた。私は「自分がそうだったから君達もきっとそうだ!」と言うつもりはないのだが、正直、アトピーなんてなんとでもなる。これは本当だ。自分自身を責めることはない。まだまだ人生はこれからだよ。