飛鳥旬のブログ

自分のアトピーは自分で治そう!

「治す」よりも「治る」

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散歩道にある稲


「治す」よりも「治る」。

アトピーの場合、こっちの方が現実的な感覚に近い気がする。

15歳で発症したアトピーが、キレイさっぱり完治したのは33歳の時だが、その時の印象は、こんな感じ。

「こんなもんか・・・」「やれやれ・・・」

痒みが消えたこと自体は嬉しいのだが、「治った」と言う現実に対しては少し拍子抜けした感じ。それは全然衝撃的ではなかったし、感動的でもなかったからだ。

「これをこーすればこうなるよね」的な、極めてシンプルな世界。

それが、アトピーを治すと言うこと。つまり治療なのだと言うことを身を以て知った。そしてこの経験は、その後の私の考え方や人生に影響を与え続けた。

アトピーを自力で治す。

このように書けば、いかにも自発的で能動的な感じがする。で、そのことは必ずしも悪いことではないのだが、現実に即して言えば、自発的でなくても能動的でなくても、アトピーアトピーを治すための考え方と行動が身に付ければ治る。これが真実だ。

そして、そこには『私」とか「彼」とか「彼女」とかの制限はなく、単に原因と結果の世界があるだけ。だから「治す」と言った主観的な言葉より、「治る」と言った客観的な言葉の方が現実に即している気がする。

ところが、人生は面白い。

私が、自分のアトピーを治したのは33歳。この時、私は自分のアトピーを自分の力で「治した」と思っていたので、とにかくその事実を誰かに伝えたくて仕方なかった。

要するに、それは当時の医療機関アトピー治療に対していかに無力であるか、そして、その厄介なアトピーを自力で治した自説&持論を聞いて欲しかったのだ。

で、私が何をしたかと言うと、会社の後輩に話しまくった。

後輩だけではない。私がアトピーだったことを知らない人がいれば、とにかくその話を持ちかけた。今思えば迷惑な話だが、当時の私はそれほど「オレは自分でアトピーを治したんだ!」と訴えたかった。

で、その結果だが、アトピーに関心のない人に対してアトピーの話をしても、当然、興味はない。それはギャンブルに感心の無い人に対して、競馬必勝法やパチンコ攻略法を自慢げに語るようなものだ。と言うことに気付いた。

と同時に、この時、私はハッと目が覚めた。

「自分がアトピーであることなんて、他人は全然気にしていない。」

私は自分がアトピーの時、周囲の視線が気になって仕方なかった。それはアトピーである自分を人はどのように観ているか?に対する恐れに近い感覚だったのだが、そんなものは幻想に過ぎないことを、この時、気付いた。

自分がアトピーのことばかり考えていた時、他の人は私のアトピーのことを考えている訳ではなく、自分のことを考えていたのだ。それは自分の小さなニキビのことかもしれないけれど、とにかくそこに種類や程度は関係なく、圧倒的な時間、人は自分のことを考えている。このことに気付いた。

話を戻そう。

アトピーを治す場合、私は一旦「自分自身」から少しだけ距離を置いて接するのがいい気がする。できるなら「自分」「自分」「オレが」「オレが」と言うスタンスではなく、一旦、主観的な見方から離れてしまう方が良いように思うのだ。

何故なら、主観が入ると、それに伴って肩に力が入るように思えるからだ。どこかに力みが入り、自然体でいることが難しくなる。これが良くない。

力んでも力まなくても、アトピーは治る時は治るし、治らない時は治らない。
それは、原因と結果が根底にあるからで、自分とかオレとか、そういうものは殆ど関係がない。だから、本気でアトピーを治したいなら、アトピーを治すための日常を淡々と続けるだけ。これが原因となる訳で、その結果が完治。

だがら、私(オレ)が「治す」よりも、自ずと「治る」。

台風10号接近中。

ご注意あれ。