飛鳥旬のブログ

自分のアトピーは自分で治そう!

自殺について

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生駒山麓公園


ある女優さんが自殺した。
先日、ある俳優(男性)さんが自殺したばかりなのに・・・

生死の問題。

「人はなぜ生きるのか?」「生きるとは何なのか?」「人は死ねばどうなるのか?」

この問題は若い頃から常に自分の中にあって、正直、今でもまだ決着は付いていないのだが、この歳になって何となく見えてきた感じはある。

大震災、コロナウイルス禍、その他諸々。


この世で生きていると、とにかく予測できない事ばかり起こる。それは個人レベルのことから社会全体の現象まで予測不能なことのオンパレード。コロナ禍がいい例だ。

こんなものは、最初から人智を超えていてる。つまりどんなに科学が進歩しても、未来を完全に把握することなど誰にもできない。

ところが、こんなこんな世の中でも1つだけハッキリしていることがある。

それは国や肌の色や貧富の差に関係なく完全に平等。不公平は一切なし。しかも誰もが確実に体験するもの。

死。これだけは決定的に確実だ。

生きている以上、これは誰も避けることができない。

ところが、

私自身どうかと言うと、過去、この「死」に関しては考えることさえ先送りしてきた。が、50歳を過ぎた頃から、この「死」が現実味を帯びてきた。

身内、友人、知人・・・。
自分と同年代の人達が、ポツリポツリと逝きはじめたからだ。

で、色々あって、今はこんな風に思うのだ。

「人はなぜ生きるのか?」とか「生きる意味」とか、そういう問いは「死ぬこと」から目を離したままでは答えは出ない。逆に言うと「死ぬことの意味」が分かって、初めて「生きることの意味」も分かる。

と、エラそうなことを書いたが、冒頭にも書いた通り、自分自身、この生死の問題はまだ決着は付いていない。

だから、自分は何があっても命ある限り「死ぬ」ではなく「生きる」を選択したい。世間から社会からどんな風に思われても、自分は「生きる」を選ぶ。

格好悪くてもいい。ブサイクな生き方でもいい。贅沢なモノが食べられなくてもいい。高級車が乗れなくたって、仕事が出来なくたって、そんなの関係ねー。だ。

「生きる」と言うことは、そんなこととは全く無関係な所にある。

表現が下品ですこぶる恐縮なのだが、生きるとは、生命活動とは、究極、寝て、食べて、排泄する。たったこれだけのことなのだ。これが本質なのだ。

仕事をしっかりやること。オシャレを楽しむこと。美味しいモノを食べること。趣味を楽しむこと(釣りにいくこと)。全てオーケーだ。

でも、これが出来ないからと言って、地位や名誉や財産が無いからと言って、まるで人としての価値が無いかのように自分や他人を評価し合って苦しむ必要はない。

そんなことしても、結局はしんどいだけなのだ。苦しくなるだけなのだ。

生きよう。


竹内結子さんのご冥福をお祈りいたします。