アトピー完治への道 飛鳥旬のブログ

アトピーは治してナンボ

アトピーは治してナンボ

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箕面の滝


アトピーは「治してナンボ」と思っている。
このスタンスは昔から変わらないのだが、最近、益々そう思うようになった。

アトピーは治してナンボ。
つまり「アトピーはやはり完治させなきゃ・・」と言いたい訳だが、だからと言って、それは必ずしも「結果がすべて」と言う意味ではない。

この点に関して、むしろ自分は結果論者ではないと思っていて、これは自分が今まで歩んできた経験に照らしてみてもそうだ。要するに、大切なのは「結果」より「過程」、つまりプロセスであり、プロセスこそがその後の人生の糧であり、結果なんかに縛られているとロクなことにはならない。と思っている。

身近な例として、仕事上の失敗がある。

仕事でミスをしたとする。
そして、そのことで周囲に迷惑を掛けてしまったとする。ミスしたことは事実。また迷惑を掛けたことも事実。それはひとつの結果ではある。

だが人間と言うのはそもそもミスや失敗を犯す生き物だし、見方を変えればミスや失敗を犯さないなら、それはもはや人間ではない。ともいえる。

つまり、この世に生きている以上、他人に迷惑を掛けず生きていける者は誰もいないのが現実で、そういう前提なら、重要なのは失敗しないことより、失敗に至ったプロセス(過程)を直視すること。或いは失敗に対しては、自他ともに寛容になること。と言った人生訓のような流れになる訳だが、これはこれで自分も「確かに・・」と思う部分はある。

事実、何かの失敗をした場合、その失敗の原因を究明することで、その後、少なくとも同じ類の失敗の数は減る。これが現実だ。

ところが、
とろころが・・・。である。

アトピーだけは事情が違う。と思うのだ。
つまりアトピーの場合、完治させない限り、そこに至るまでのプロセスには殆ど意味が無いように思うのだ。言い方を変えると、アトピーと言う病気はは治してこそ、初めてそれまでのプロセスの意味が見えてくる仕組みになっている。

その証拠に、今、アトピーの人がその原因を究明しようと頑張ってみても、多分、原因は見えてこない。そうではなくて、アトピーを完治させてこそ初めて、「あれが原因だったのか・・・」となる。これが現実なのだ。

だから、アトピーは治してナンボ。

で、こんな風に言うと少し大袈裟に聞こえるかも知れないが、自力でアトピーを治してみると、そこにはその本人しか知ることの出来ない体験ゾーンと言うか、人生からのプレゼントと言うか、上手く表現できないけれど、要するに完治に至るまでの過程(プロセス)が、その後の人生への大きなプレゼントになっていることを経験するはずだ。

生きている限り、良いこともあれば、悪いこともある。

良いことばかりが続かないように、悪いことばかりも続かない。と言うか、巨視的に観れば、「良い」も「悪い」もないかもしれない。

アトピーは自分で治そう!と決心して治せる病気であり、誰かに治して貰う病気でもなければ、クスリでコントロールするような疾患でもない。

で、必ずしもクスリで症状をコントロールすることが悪いとは言わないが、それは「完治」とは雲泥の差であることだけは事実である。

私は自分経験から、アトピーごときに人生をメチャクチャにされるのは避ける方が良いし、それは十分可能だと言いたいのだ。正直言って、アトピーと対峙している時間は勿体ない。それなら、その時間をもっと有意義なことに使う方が良いと思う。

それは充分可能なのだから。