飛鳥旬のブログ

自分のアトピーは自分で治そう!

心と体

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近くの田んぼ

 

1991年2月14日。小雪が舞い散る聖バレンタインデーの午前、私は京都にあるT病院に入院した。入院以外の選択肢は無かった。仕事はおろか、日々の生活さえロクに過ごせない。今までもアトピーが劇的に悪化したことはあったが、あの時は異次元だった。

 

あの時点で、私のアトピー歴は15年。
さすがに「そろそろ来るな・・・」とか「ちょっとヤバイな・・・」と言う悪化に対する事前通告みたいなものは経験できるようになっていた。しかし、あの時は状況が全く違った。40度近い高熱が一向に下がらず、もう限界だった。

 

後の検査で分かったことだが、案の定、私のアトピー感染症を併発していた。掻き壊した皮膚から黄色ブドウ球菌(と思われる)が感染。それは藁にもすがる思いで信じていた民間療法の『好転反応』とは全く違うものだった。

 

で、結論から言うと、私のアトピーはこの病院での入院治療を経て劇的に良くなった。1か月の入院期間にやったことと言えば、絶食療法を3クール(1クールは7日間)だけ。絶食療法と言うのは3日間の「すまじ汁断食」を行うため、その前後の食事の量をゆっくりと減らし(増やし)する療法で、感覚的にはデドックス(毒出し)に近い。

 

この入院治療を経て、私のアトピーは劇的に良くなった。そしてこの入院治療中に自分なりに計画を立て「アトピー完治への道」を歩むことができるようになった。

 

と、書くと、いかにも絶食療法(デドックス)がアトピーに効くような印象を与えるかも知れないが、実はそうではない。これは現在、入院治療を検討されている方々の参考になればと思って書くのだが、私のアトピーが入院中に良くなった要因は、体を対象にした治療よりも心のケア、つまり精神的に癒された感の方が強い。

 

もう少し書くと、当時の私には全くと言っていいほど「心の余裕」が無く、何をしても、どこへ行っても、いつも何かに急き立てられるような感じだった。当然、『アトピーである』と言う現実はその「心の余裕の無さ」を容赦なく加速させるのだが、この病院での入院中、私は「心の余裕」を取り戻していった。それは今振り返ると、自力と言うより、病院スタッフの方々によるサポートの部分が大きかったと思う。

 

で、「心の余裕」とはどういうものかと言えば、ごく普通に人間的な心と言うか、看護師さんの患者に対する優しい接し方と言ったレベルの話なのだが、実はこの部分が自分に与えた影響が大きかったと思う。

 

話は少し逸れるが、今も医療機関に行くと、そこで働いている人の心情がよくわかる。人は自分の気持ちを隠そうとしても限界がある。自分では上手くやっているつもりでも、周囲は気付いている。それはその人の考えていることが、その人の発する言葉の端々や行動・動作から滲み出てしまうからだろう。

 

誤解されると困るのだが、私は医療機関で働く人達を批判している訳ではない。他人に対する「優しさ&思いやり」の心がアトピーだけでなく、あらゆる疾患を癒す可能性のあることを言いたいのだ。

 

ところで、

 

アトピーになる。或いはアトピーが悪化する。この原因だけを挙げるなら、それほど難しくは無い。環境の変化、食生活の変化、暴飲暴食などなど。でも、その背後には必ずと言っていい程、心の問題がある。多かれ少なかれ、心は身体に影響を与えるからだ。

 

では、自分はどうか?私は今、アトピーではないし、今後もアトピーになる可能性は限りなく低いと思う。では、それ以外の病気に関してどうか?それは正直分からない。
今は健康だが、いつかは病気になるかもしれない。でも、ひとつだけ自負していることがあって、それは「自分は心身症には罹らない」と思うのだ。

 

思うに、うつ病等の心身症を発症する人には共通する点がある。それは簡単に言えば、過去や将来や空想の世界に浸る時間の多いこと。これは言い換えると、今、この瞬間に生きていないことを意味する。これは私自身も経験のあることだが、悩みだすと、問題の本質を見極める方向ではなく、その周囲をグルグル回るだけの時間を過ごしていることが多い。そんな時は要注意だ。

 

そんな時、私は自分に言い聞かせる。「過去にも未来にも空想の世界にも、オレが生きる場所はない。生きることができるのは今だけ」。そう思って、クルマの運転をする時はクルマの運転に、歯を磨く時は歯を磨くことに集中する。すると、あまりへんな方向に行くことなく、真っ当な一日を過ごせることが多い。これは事実だ。

 

好きと嫌い

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東京のメルマガ読者M君と京都の嵐山へ。

あれは小学生の3年頃だったと思う。
缶詰の「アスパラガス」を食べて吐きそうになった。で、「これは食べ物じゃない!」と。同じ頃、初めてチェルシーのヨーグルト味を知って、「こんな美味しいものが世の中にあるのか!」と感動した。その後、私の中でアスパラガスは「嫌い」。チェルシーのヨーグルト味は「好き」なものの典型となった。

 

で、その「好き」と「嫌い」が今もそのまま続いているかと言えば、そうでもない。その後「アスパラガス」は好物となり、チェルシーのヨーグルト味は好きでも嫌いでもない、と言った感じ。

 

ところで、この「好き」と「嫌い」は、人間関係でも同じようだ。
ある女の子に対して、「好き」と思ったのは中学3年の時。一方、30代の頃、職場でどうしても好きになれない、と言うより、正直「嫌い」な後輩に手を焼いていた。この「好き」と「嫌い」の感情は比較的長い期間続いた。

 

で、その「好き」と「嫌い」が今も続いているかと言えば、全然そうではない。
当時「好き」だった彼女とは、今、会おうと思えばいつでも会えるけれど、自分から会いたいとは思わない。一方、当時あれほど手を焼いた後輩が、今では本音トークのできる数少ない後輩となっている。

当然、「好き」なままな人もいれば「嫌い」なまま人もいる。
でも、それは必ずしも「絶対的」なものではない気がする。

 
で、「好き」「嫌い」と言えば、今も思い出すのは30代後半の女性Hさん。
彼女は三重県在住。5年位前にアトピーの相談を受け大阪市内でお会いした。
余談になるが、私がアトピーの相談を受けるのは何故かこの年代の女性が多い。比率で言えば70%位が女性だが、年齢的には30代半ば~40代前半までに何故か集中していて、逆に男性の場合は20代後半から30代半ばに集中する。

で、女性の場合、会話の進行は大抵2パターンに分類される。
ひとつは、いわゆるマシンガントーク。で、もうひとつは、受講生タイプ。
ちなみにHさんは典型的なマシンガンタイプ。このタイプはとにかく「聞く」ことが大事で、これに専念しなくては信頼関係は築けない。

 

私はアトピーの相談を受ける際、何が一番大切かと言えば、それは信頼関係だと思っている。これは理屈ではなく経験則なのだが、たった半日程度の出逢いでも信頼関係が無ければ、双方にとってそれは勿体ない時間になってしまうのだ。

話を戻してHさん。
マシンガントークが始まって間もなく、突然、「私は主人が嫌いです!」とバッサリ。その後も「嫌い」な主人を滅多切り。長女が非行に走った原因他、何より彼女のアトピーが劇的に悪化したのも「嫌い」な主人が原因との分析だった。


結論から言うと、私は主人のことが「好き」でも「嫌い」でも、どっちでも構わないと思う。客観的に観れば、雨を善悪で語れないように、究極的に観ればHさんのご主人も善悪では裁けない(と言うか、他人には分からない話)。でも自分の夫を「嫌い」と感じる心は苦そのものだ。夫のことを「嫌い」と感じたその瞬間、表面上は気付かなくても心の深い部分は苦を感じている。そして苦に満たされた心の持ち主、つまり私は、そのこころ故に自ら苦しむことになる。私は、この苦しみこそ諸悪の根源だと思う。

 

もう少し言うなら、「好き」とか「嫌い」と言う感情も、それを自覚した瞬間、それに気付いた瞬間、そのまま手放してしまえばどうってことない気がする。何故なら、「好き」や「嫌い」なんて、実は明確な根拠や実体がある訳ではなく、その時の気分とか環境に影響されていることが多いのだから、時間が経てば勝手に解決!なんてこともあるからだ。逆に、一番ダメなのは執着すること。

 

この歳(57歳)になって思うこと。
それは、良いことも悪いことも好きも嫌いも、とにかく執着はダメだと言うこと。世の中は生成と消滅の繰り返しと言うか、とにかくいろんなものが次から次へと生まれ、そして消える。そんな状況で、何かに執着すると身体にも心にもよくない。そんな気がします。もちろんアトピーにもね。手放そう!


余談。

昨日、京都の嵐山でお会いした東京のM君(25歳男性)との時間は最高だった。
アトピーの相談が中心かと思えばそうではなく、(実際アトピーは殆ど分からない状態。)で、本人曰く「とにかく飛鳥さんに会ってみたかった」と。
で、お互いこれと言った会話をする訳でもなく、二人並んで嵐山のそよ風を感じていた。本当に1時間位、無言でじっと座っていただけ。会話が弾むのはそれはそれで楽しいけれど、私はこんな出逢いも大好きだ。こんな贅沢な時間があっていいのだろうか・・。その時間、その空間に一緒にいることが大事。そんな彼とお盆休みに再会の約束をした。次は伊豆で会おう!と。今から楽しみ。

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自宅の近くで田植えが始まった。

 

私は、米作りを見るのだ大好きだ。

田起こし ⇒ 代かき ⇒ 田植え ⇒ 除草 ⇒ 追肥 ⇒ 稲刈り ⇒ 乾燥

 

ざっと思いつくだけでも、これだけの作業がある。
でも、実はこれ以前にしなくてはならないことも一杯あって、農家の方以外、それを私達が直接目にすることはあまりない。

 

一方、たんぼの中では、数々の生命の営みがある。アメンボ、おたまじゃくし、タニシ。そして僅かだが数匹のホタル。その姿を見ると「何してるの?」「今までどうして過ごしていたの?」って聞きたくなるほど愛らしい。

 

コンビニの『おにぎり』も、ファミレスの『ライス』も、我が家の『ご飯』も、土があって、太陽があって、雨が降って、全部ひっくるめて存在するのだけれど、普段の私は、そんなことまるで考えていない。で、それを考えないからと言って、何か問題があるのかと言うと、別に都合の悪いことはない。

 

では、本当に「都合の悪いことはないのか?」と自分自身に問い掛けると、「そーじゃないな・・・」と最近は思う。

 

パソコンがどうして動くのか?SNSの仕組みがどうなっているのか?

私は全然知らない。でも、それはそれで良いと思っていて、特に引っかかることはない。ところが、食べるものは違うように感じる。では「何が違うの?」と聞かれれば、明確な答えはないが、多分それは「生命」に関することだ。

 

野菜、魚、肉、卵。

普段、私達は他の生き物の生命を頂いて自分の生命を維持している。私達は工業製品を食べて生きることはできない。これからどんなに医学や栄養学の研究が進んでも、サプリメント一粒で、ヒトの命が維持できるようになるとは思えない。

 

食事の時、両親から「お百姓さんに感謝しなさい」と言われた。

正直、今でもそれは守れていないし、「感謝」と言われても、まだまだピンと来ない部分があることも事実だ。でも、田植えを見ていると、自分と食べものとの距離が不思議と縮小される気がする。そして、私の心はそれだけでもホッとする。

 

この、ホッとする感覚が私にはすこぶる大事な気がする。

このホッとする感覚があるだけで、自分が癒され、解放された気になる。

このホッとする感覚があるだけで、私は統合失調症うつ病にはならない気がする。

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自宅で咲いた水仙の花。

 

自殺者3万人。うつ病患者100万人。

 

最近、身の回りでも心身症を患う人が目立ってきた。

 

うつ病患者100万人と言うことは、日本の総人口の約百分の一。

つまり100人いれば、誰かひとりが「うつ病」の計算になってしまう。

 

どうして、こんなことになったのだろう・・・

 

いつもイライラしていて、攻撃的な人。

いつも騒々しくて、落着きの無い人。

そんな人が最近、めっきり増えた気がする。

 

落着きが無くイライラしている人と接すると、大なり小なり自分も影響を受ける。

 

イライラと言えば、私と同じ職場だった女性を思い出す。

 

最初、彼女に遇った時の印象は聡明な人。頭の回転が速い人。だった。

ところが、彼女は次第に誰に対しても攻撃的で、いつも怒ったり、腹を立てながら仕事をするようになった。

 

ある日、そんな彼女に私は尋ねた。

 

「どうして、いつもそんな怒っているように仕向けながら働いているの?」

 

私は、彼女の本来の性格を知っている。
彼女は元々攻撃的な性格ではないし、周囲とのバランス感覚も持ち合わせている。

なのに仕事では、敢えて攻撃的で不機嫌な役を演じているのだ。

 

彼女曰く。

 

「自分でそうしていることはわかっているよ。」

「怒るとエネルギーが出るの。怒っていなと自分が弱々しく鬱っぽく感じるから。」

 

怒りでエネルギー・・・

 

「・・・・」

 

言われてみれば、その通りかもしれない。

怒りも、一種のエネルギーであることには違いない。

 

「怒ると、よりエネルギーが出るのよ」

 

実際、彼女はとても聡明で、他人の間違いは直ぐに見つけてしまう。

で、彼女の言い分はこうだ。

 

「自分の間違っていることが分からないなんて、愚かでしょ?」

 

彼女はとても賢いけれど、「幸せ?」かと聞かれれば、全然そんな風には見えない。

と言うか、その後の人生を見る限り、むしろ「不幸」なような感じがする。

 

賢くて、聡明だけと「不幸な人生」。

スマートじゃないけど、賢くないけど多くの人と笑顔で過ごせる「幸せな人生」。

 

ちょっと極端かもしれないけど、どちらを選ぶかはその人の自由だろう。

 

はじめまして。

初めまして。飛鳥 旬です。

 

アトピーを治すための情報を提供して、もうかれこれ20年になろうとしています。

 

20年もアトピーの情報を配信していると、一応、この世界では有名みたいです。

なので、名前くらい.はご存知の方もおられるかも。


ところで、

ここ10年位の間で、アトピー患者を取巻く環境も随分変化したように感じます。
その典型例が、身体から精神(こころ)への変化。

 

ちなみに、私が自身の体験から『胃腸の健全化』を公開したのが約20年前。

 

で、その当時の反響と言えば・・・

 

アトピーと胃腸、何の関係があるの?」

「痒いのは皮膚で、胃腸は悪くないのですが・・・」

 

と言うのが大半。

 

当時、アトピーはまだ「皮膚の病気」と言う認識が一般的で、私が『胃腸の健全化』を唱えても、ピンとくる人は少数派でした。

 

ところが、


間もなく、この『胃腸の健全化』は、ネット上で大きな反響を呼ぶことになりました。

そして現在、腸内細菌に注目したアトピー治療は多くの方々の指示を得るまでになりました。(「胃腸の健全化」は、腸内細菌に注目した治療とは微妙に違いますが・・・)

 

で、身体から精神(こころ)への変化の話に戻りますが、

 

アトピー患者さんと直接接していると、ふと、私の中に新たな感覚が芽生えたのです。

 

それは患者さんの傾向と言うか、共通点と言うか、とにかく、それは身体的なものではなく、メンタル的なこと。つまり精神面に属するものでした。

 

職場での人間関係、パートナーとの関係、子育てに関して、仕事そのものに関して。

 

シチュエーションは様々。さらにストーリーもさまざま。


でも、その背景にあるのは全て、「こころ」に起因したものばかり。

 

アトピー以前に心が病んでいる・・・」

 

実は、私は今でもアトピーを治す上で「胃腸の健全化」が有効であることに対しては、何の疑いも持っていません。と言うか、私が今も健康なのは、まさに「胃腸の健全化」のお蔭だと思っています。

 

その反面、直接アトピー患者さんと接していると、「心の部分を無視して身体だけ良くするのも限外があるな・・」と感じているのも事実。

 

で、ここ10年(本当に10年経ったしまった!)は、自分自身を実験台にして、心に視点を置いた健康について模索してきました。

 

で、ようやく、「人に公開できるようになったかな」と言う程度になりました。

 

なので、今後はツイッターやブログを通じて、

 

自分が実践していることを自分の言葉で話し、自分の話していることを実践し続けようと思っていますので、良ければ見に来てください。

 

で、最初なので、簡単な自己紹介を。

 

趣味とか、今は特に無いですが、釣りとか自然に触れるのが好きです。

中でも、奈良県にある十津川村の「源泉かけ流し温泉」はお気に入りです。

 

アトピーでお悩みの方、気軽にご相談下さい。