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自宅の近くで田植えが始まった。
私は、米作りを見るのだ大好きだ。
田起こし ⇒ 代かき ⇒ 田植え ⇒ 除草 ⇒ 追肥 ⇒ 稲刈り ⇒ 乾燥
ざっと思いつくだけでも、これだけの作業がある。
でも、実はこれ以前にしなくてはならないことも一杯あって、農家の方以外、それを私達が直接目にすることはあまりない。
一方、たんぼの中では、数々の生命の営みがある。アメンボ、おたまじゃくし、タニシ。そして僅かだが数匹のホタル。その姿を見ると「何してるの?」「今までどうして過ごしていたの?」って聞きたくなるほど愛らしい。
コンビニの『おにぎり』も、ファミレスの『ライス』も、我が家の『ご飯』も、土があって、太陽があって、雨が降って、全部ひっくるめて存在するのだけれど、普段の私は、そんなことまるで考えていない。で、それを考えないからと言って、何か問題があるのかと言うと、別に都合の悪いことはない。
では、本当に「都合の悪いことはないのか?」と自分自身に問い掛けると、「そーじゃないな・・・」と最近は思う。
パソコンがどうして動くのか?SNSの仕組みがどうなっているのか?
私は全然知らない。でも、それはそれで良いと思っていて、特に引っかかることはない。ところが、食べるものは違うように感じる。では「何が違うの?」と聞かれれば、明確な答えはないが、多分それは「生命」に関することだ。
野菜、魚、肉、卵。
普段、私達は他の生き物の生命を頂いて自分の生命を維持している。私達は工業製品を食べて生きることはできない。これからどんなに医学や栄養学の研究が進んでも、サプリメント一粒で、ヒトの命が維持できるようになるとは思えない。
食事の時、両親から「お百姓さんに感謝しなさい」と言われた。
正直、今でもそれは守れていないし、「感謝」と言われても、まだまだピンと来ない部分があることも事実だ。でも、田植えを見ていると、自分と食べものとの距離が不思議と縮小される気がする。そして、私の心はそれだけでもホッとする。
この、ホッとする感覚が私にはすこぶる大事な気がする。
このホッとする感覚があるだけで、自分が癒され、解放された気になる。