飛鳥旬のブログ

自分のアトピーは自分で治そう!

そこに「やさしさ」はあるのか?

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今日の生駒山

前回に続き、今回も「うつ病」に関して。

組織の中で働いていると「いい面」がある反面、「煩わしいなー」と感じることも多々ある。

で、それが「煩わしいなー」程度の話で済めば問題ないのだが、「こーゆうことから、うつ病に移行しないか?」と思うコトがある。

先日、あるコンサルタント会社の「性格診断テスト」なるものを受けた。

それは「これでもか!」と言わんばかりの質問に対して、「そうだ」「どちらかと言えばそうだ」「どちらかと言えば違う」「違う」(だったと思う)の4択から選ぶ形式だった。

で、その答えから、ポータブルスキル(仕事においても適応する能力)とモチベーションタイプ(仕事のスタイルなど個人が働く上での欲求)の2つ項目に分類。

そして、社員が「組織の中のどのポジションにいるか?」が点数化されていた。

ちなみに私、

「あなたの弱みは『否定力』です。相手に指摘したり、ノーと言うのが苦手。相手の意見をそのまま受け入れるのではなく、必要な時にはキッパリ否定する努力をしましょう」とある。

なるほどね。はい。分かりました。(素直)

その一方で、

「あなたの強みは『受容力』です。自分の意見を押し付けることなく、相手に共感しながら意見や要望を聞き、それを受け入れて対応する心の広さが強みです」とある。

いやいや、それほどでも・・・。照れるな。

とまあ、こんな感じなのだが、

私がこの手の「性格診断」とか「○○分析」で「マズイ」と思うのは、その結果を全体と照らし合わせて「数値化」している点だ。

事実、多くの項目で私は受検者全体の平均値を大きく下回っているのだが、点数化された時点で、受け取る側はどうしてもその「数値」に対して敏感にならざるおえない。

「あんた、もっとしっかりしなよ!」
「このままじゃ、組織では生きていけないよ・・・」

「・・・・・・・・」

この数値を見ると、とてもじゃないが「コレを糧にして頑張ろう!」なんて前向きな気持ちにはなれない。

で、「この診断テスト、真に受けて悩む若い社員もいるだろなー」と思っていると、案の定、翌日、若手のK君から相談があった。

K 君曰く、「平均以下だった数値がショックで・・・・」

ちなみに、このK君。

私の評価は決して平均値以下ではない。いや、むしろ平均以上で、そう思っているのは私だけではない筈だ。

で、そのことを正直に伝えると、K君は少し冷静さを取り戻した(ように感じた)

いずれにせよ、その後のK君は元気に働いている。



「それにしても・・・」

と思うのだ。

私自身の話をすると、アトピーを治してからそれ以前とは明らかに「変化」があって、それは、モノゴトの「本質」だけを観るクセが付いたことだ。

簡単に言うと、

「難しいことせんでも、アトピーなんて普通に治るやん!」

である。

で、そういう視点から、「仕事」と言うものを観ると、

それは、

「何からのモノ、サービスを提供してその代価を得る」

と言う、シンプルな結論に至る。

ビジネスには様々なモデルがあり、それに付随するスキルやテクニックも多様と思われがちだが、実際にやっていること観察すると、その構造は極めてシンプルなのだ。

で、私自身今まで働いてきて「何が一番大切?」と聞かれれば、答えは多分「やさしさ&思いやり」になる。

「いい歳して、そんなの甘いよー」
「そんな甘いこと言ってたら、生き残れません!」

と言う意見もあるだろう。

でもそれって、ホントにそうだろうか?

このことは、逆に自分が「何らかのモノ、サービスを受けて代価を払う」側になれば分かりやすい気がする。

実際、私達がモノやサービスを受ける際、そこに求めているのは「スキル」や「テクニック」なのか?

確かに、そーゆう時もあるだろう。

でも、その「スキル」や「経験」も、本当はどこかで「優しさ&思いやり」が根底にあってこそ。と感じているのではないか?

少なくとも私は、顧客のことを「ターゲット」と呼ぶ言い方に抵抗を感じる。

「顧客は獲物(ターゲット)なのか・・・」


「優しさ&思いやり」

現実問題として、私は今までこれで全然問題なかった。と言うか、これを忘れた時の方が返ってトラブルや問題が発生した。

「変化」が必要な時は変える。

でも、変える必要のないなら、そのままでいいのではないか?

「やさしさ」と「思いやり」とはそういうものだ。

で、私自身、痛感していることがある。

それは仕事だけでなく、毎日の生活で「優しさ&思いやり」を意識していると、自分の心が渇かないことだ。で、逆にこれが無いと私の心は「ささくれて」しまう。

それは、今回のような「性格診断テスト」で低い数値が出た時も同じ。



「占い」とか「おみくじ」は楽しむものだ。

また企業内で実施される「性格診断テスト」の類も、それが本人の「励み」となる分には有効だろう。しかし、それを数値化するのはどうか?

ここは意見は分かれる所だと思うし、意見が分かれること自体はいいことだ。

しかも、こういう「数値化」が本人の「励み」ではなく「追い込み」になるなら、そこに何らかの対策が必要になる。

結局のところ、問題はやはりそれを提供する側の心の問題なのだろう。

そこに「やさしさ」はあるのか?