アフターアトピー
アトピーが治ったからと言って、その後の人生が順風満帆なんてあり得ない。
By 飛鳥 旬
経験のある方ならきっと共感頂けると思うが、アトピーなんてものは一旦治ってしまえば、ひと月後にはもう「そんなことあったっけ?」の世界だ。
私達の毎日は忙しい。
そして解決すべき問題が次から次へとやってくる。だからアトピーだった過去を振り返っている暇は無い。
私の場合もそうだった。いや、私だけではない。当然、周囲も私が今までアトピーの人だった事実を離れて、アトピーではない普通の人として接するようになる。
対外的に観れば、このことは嬉しかった。
そして私の場合、アトピーが消えてから対人関係に於いては大きな変化が生じた。
アトピーだった時、私は「相手のことをキチンと観て」「相手の言葉をキチンと聞く」ことが出来なかった。と言うか、相手の目を直視することさえできなかった。
で、頭の中にあるのは常に「自分はどう見られているか?」とか「自分はどう振舞えばいいのか?」と言った、自分が良く見られるための意識だった。
要するに、意識が常に「自分」に向かっていたのだ。
「面白い会話のデキる人」
「オシャレでセンスのある人」
「何でも知ってて知識のある人」
多分、ベースにはこんな理想があったのかもしれない。
ところがアトピーが治った後、私はどうしたことか「聞く側」の人&「見る側」の人に変身していた。
理由は今でもよくわからない。
意図的にそうしようと試みた訳でもないのだが、人と話をする時、相手のことをキチンと観ながら相手の言葉をキチンと聞いている人が少数であることに気付いた。
実際、普段の会話で相手の話を「聞く」ことや、相手のことを「理解すること」の重要性が問われることはまずない。
そんなことをしても「得」は無いから、「何でも知っているオシャレで面白い会話のデキる自分」を目指そうとするのも分からない話ではない。
しかし、この目指した自分の先にあるのは何だろう?
正直、私にはわからない。
しかし、私が今、自分の経験上ハッキリと断言できることがある。
それは、周囲から「自分はどう見られているか?」とか「自分はどう振舞えばいいのか?」みたいなことを気にするのではなく、身近な相手に少しでも関心を持ち、理解しようとすることだ。
何故こんなことを書くのか?
それは、この思考&行為が直接アトピーに効くからだ。で、これは世間一般によくある「アトピーに効く〇〇〇!」的なモノより遥かに持続力もあるのだが、まだ多くの方々はこの事実に気付いていない。
私自身、エラそうなことを書きながら、この事実を知ったのはアトピーを治した後、読者の皆さんとのブログを通じてだ。
ひと昔前なら「そんな精神論でアトピーが治る訳ねーだろ!」の非難コメントがきそうな感じがする。
でも、もういいのだ。着たら着たで。
人間には身体と心があって、その両面からアプローチする方がアトピーは確実に治しやすいのだから。