アトピー完治への道 飛鳥旬のブログ

アトピーは治してナンボ

何もかもひっくるめての人生

f:id:asuka-atopi:20210214204115j:plain

春はもうすぐ

福島県を中心にまた大きな地震があった。

「また東北か!」

そう思いながら、ふと十年前の記憶がよみがえった。

十年と言えば、やっと復旧の目途が立った頃ではなかったか?いや、詳しいことは分からないが、まだまだ復旧の目途さえ立っていない地区も多いと聞く。

いずれにせよ、このまま地震が沈静化することを願うばかりだ。


「それにしても・・・」と思う。

地震、台風などの天変地異からウイルスによる世界的な感染症の流布まで、今まで経験したことのない規模の出来事が次々と起こるのは何故だろう?

当然、答えなんて出る筈もないのだが、私はこんな風に思うことにした。

「それが自然現象なのだ」「それが人生なのだ」と。

天変地異があるからこそ、何気ない普段の生活が愛おしく感じられる。
ウイルスが蔓延するからこそ、平和で健康な日々の大切さが身に染みる。

そして、死があるからこそ、生きている時間の尊さも実感できる。

アトピーだった頃、私はいわゆる「自分探しの旅」に出で、「生きる意味」を模索したいと思ったことがある。

アトピーの自分にホトホト嫌気が差していた二十歳過ぎの頃だった。で、それは結局実現しなかったが、それで良かったと今なら思う。

それは、旅に出たみたところで「自分」なんて見つからないし、まして「生きる意味」なんて絶対にわかる筈がないからだ。

もし本当に「生きる意味」を知りたいなら、それは「死」と真剣に対峙するしかないし、そのことは生きたまま「今の場所」でも可能だと今なら思うからだ。

それはさておき、

「良い」とか「悪い」とか、また「好き」とか「嫌い」とか、そう言うことはある意味仕方ないけれど、これが極端になると、たちまちしんどくなるのは何故だ?

「良い」も「悪い」も「好き」も「嫌い」も、大局的に見れば、どちらでもいいケースは意外と多いことに後になって気付く。

だったらなにも、自分からしんどくなることもないだろう。

自分は、良いも悪いも、好きも嫌いも、両方ひっくるめての人生を進もう。