アトピー完治への道 飛鳥旬のブログ

アトピーは治してナンボ

克服奮闘記2

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手軽&便利&美味しい!


本日、散髪した。

散髪はいつもなら散髪屋さんへ行くのだが、今回は奥さんにやってもらった。
新型コロナウイルスの影響で、いつも通っている散髪屋さんが営業自粛したからだ。「この時期に?」との思いはあったが、他の散髪屋さんに行くのも面倒なので、今回は奥さんに任せることにした。

ちなみに、奥さんはカットに関しては全くの素人。
ユーチューブ動画を参考に試行錯誤しながら、それでも何とか形になった。
道具は愛犬用のカットハサミ&バリカンだが、そこは気持ち的にスルー。

妻にカットして貰っていると、ふとアトピーだった頃のことを思い出した。

それは私のアトピーが顔に出始めた20代後半の頃、バブル経済が弾ける直前の話で、まだステロイドに対するバッシングは始まっていなかった。

当時、アトピー性皮膚炎は社会的にも認知されつつあったのだが、それでもまだまだアトピーのことを知らない人はいて、私は敢えてアトピーことは知らなさそうな個人経営の理髪店に通っていた。

理由は簡単で、散髪中、アトピーの話題が出るのが嫌だったからだ。

当時、私は自分がアトピーであることを認めたくないと言うか、もう自分の前でアトピーに関する話すら出るのが嫌だったのだ。

だからアトピーのことなど知らず、普通に髪を切って普通に顔を剃ってくれる個人経営の静かな理髪店に通っていたのだが、あの出来事はここで起きた。

それは、散髪が終わってシャンプーから顔剃りに移行した時だった。
散髪中、なんとなく「やばい・・・」と言う感じはあった。しかし、そのことに気付いた時は、もう既にタイミングを逸してしまった後だった。

「エラいこっちゃ!」
「顔から粉が噴き出とる!」

「オヤジ、声がでかい・・・」と思ったが、既に万事休す。
アトピーのことなど知らないオヤジが、ここでは完全に裏目に出た。それに普段なら人の少ない理髪店だが、この時に限って小学生が数人順番待ちをしていた。

その小学生達は直ぐに近寄ってきた。

「わーっ!顔、真っ赤や!」
「あれーっ!白い粉がどんどん出てくる!」

小学生達は、まるで理科の実験室のカエルを見るような目で私を観察した。
一方、私はと言えば、この時ばかりは何故か妙に心が据わっていた。

その時はもう恥ずかしいとか、情けないとか、悔しいとか、そんな感情ではなく、自分を観察するような目で見ていた小学生達の姿を、逆に冷静に観察していた。何となく、「吹っ切れた」瞬間だったかもしれない。


時代は変わった。

今、アトピー患者を取巻く環境は、私の時代とは大きく異なっている。ある意味、それはいい意味で恵まれた環境のように私には思える。

例えば、私の時代(1970年代~1980年代)では、アトピーに関する情報は圧倒的に不足していた。つまりどうすればアトピーを治せるのか。ここが全く分からなかったのだ。

ところが今は違う。
ネットで検索すれば、「アトピーの治し方」自体は比較的簡単に知ることができる。多くを調べた訳ではないので断定はできないが、総じて情報そのものもは正しいものが多く、私の時代のような極端でバランスを欠いたような「治療法」は少数派になった。

そういう意味からすると、私は正直に「良い時代になった」と思うし、実際、普段の生活でもその恩恵は十二分に活用させて頂いている。

しかしながら、その一方でこんな風にも思うのだ。
それでもアトピーに関する限り、治し方を知る事と実際に治せる人になる事は違う。と。私の知る限り、この事実は厳然としてある。それは素晴らしい参考書を持っていても、目指す大学に合格出来る人と出来ない人がいるようなものだ。

アトピーを治すのに「治し方」、つまり「良い食べ物」とか「良くない食べ物」と言った基本的な知識は確かに大事。で、その類の情報なら、もう既に世の中には一杯出回っているし、その大半はその通りだ。

しかしアトピーを治すのにもっと大切なもの、それは取組み方だと私は思う。

その取り組み方とは、ストイックではないし、プラス思考とも違う。

アトピーを治す大きな要因。それは「冷静さ」。だと私は思う。
もう少し言うと、それは自分を客観的かつ冷静な眼で観察する力。

これが無いと、いくら「食べて良いモノ」と「食べては良くないモノ」を頭の把握していても、実際、食事の時間になると、そんな知識など吹き飛んでしまう。

ある意味、アトピーは喧嘩相手と似ているかもしれない。

喧嘩と言うのは、常に冷静な方が勝つ。ようになっている。
一時の感情に流される者は冷静な者には絶対に勝てないようになっていて、このことは歴史が証明している。

楽しい時には笑い、悲しい時には泣く。
それは間違いではないし、悪いことでもない。

しかし、見方を変えれば、楽しみがあるから悲しみもある。
つまり、楽しみと悲しみは元々ツインで存在するものなのだろう。

アトピー治療に関する限り、一喜一憂することなく「冷静さ」と共に淡々と対処する。私には、この対峙の仕方が一番のように思える。

この「冷静さ」を失ったまま先に進むとどうなるか?

それは実際に体験しなくても、それを想像できる能力が人間には与えられている。
これは大きな福音なのかもしれない。

今の時代は便利になった。

その典型例がレトルトの玄米粥。こんないいモノ、私がアトピーの時代にはなかった。活用できるものは何でも活用するぞー!