大切なのは問題より、その問題に対処する態度
庭に咲いたシバザクラ
人生も60年近く生きていると、いろんな体験をする。
私が思うに、その体験は「良いこと」よりも「嫌なこと」「大変なこと」の方が多いような気がする。
巨大地震、津波、原発事故、集中豪雨による河川の氾濫等、天変地異に始まり、世界的な金融破綻や国家レベルでのテロ事件。現在進行形のものまで含めると、「嫌なこと」「大変なこと」のオンパレードだ。
そこに、「これでもか!」とやってきた今回の新型コロナウイルス。
感染の拡大により世界中が大混乱。
日本政府は「緊急事態宣言」を全都道府県に拡大させた。その一方で、今後、多くの人が経済的に立ち行かなくなる可能性も示唆されている。
「他人事ではない・・・」
「明日は我が身か・・・・」
そう思う反面、意外なほど肚の座った自分がいる。
呼吸が浅くなって、口の中が乾ききって、食欲が全く無く、何を食べても砂を噛むようで、夜は不安で一睡もできない。そして突然、大声で叫びだしたくなる。
過去、私はそんな経験を2回程しているのだが、この時の体験がその背後にあるのかもしれない。いや、きっとある。
そんな体験を踏まえて、今、私はこんな風に思うのだ。
生きている以上、生じてくる問題そのものは自分で選ぶことはできない。
しかし、問題への態度(姿勢)は自ら選べる。
呼吸が浅くなって、食欲が無くなって、夜は不安で眠れない。
こんな状態に陥ってしまう理由を簡単に言えば、それは自分がその問題と同一化してしまっているからだ。よくよく自身を観察すると、そこが見えてくる。
その証拠に、
ピンポーン!「宅急便です!」「お荷物をお届けに来ました!」と言われて、印鑑を手に玄関で荷物を受け取っているその瞬間、問題のことは忘れている。(問題とは同一化していない)
で、荷物の中身を確認して落ち着くと、「そういえば・・・」と悩みが再現。
私の経験上、それはどんなに大きな、あるいは小さな問題(悩み)でも、同じ。
天変地異やウイルスだろうが、失恋だろうが、対人関係だろうが、皆、同じ。
これって、どういう事だろう?
結論から言うと、
問題は問題。自分は自分。
多分、そういうことだ。だから問題と自分を同一化する(苦しむ)必要はない。
例えば、人は失恋すると自分の欠点を探そうとする傾向にあるようだが、多分、問題の本質はそこなところにはない。
それは自分の欠点が理由ではなく、簡単に言えば、「縁が無かった」だけの話。だから、失恋は失恋。自分は自分。そういう事で、失恋と自分を同一化させて苦しむ必要は無いし、まして自殺なんてしちゃいけない。(失業も倒産も受験の失敗も皆、同じ)
それから、もうひとつ。
「問題」は必ず終結するということだ。
これは過去、つまり歴史を見れば一目瞭然。
京の都を焼き尽くした応仁の乱。日本中を焦土と化した太平洋戦争。
そして1918年、第一次世界大戦中に始まり全世界で約5000万人が死亡したとされるスペイン風邪。過去の出来事は全て、今は収束している。
だから、新型コロナウイルスも時期が来れば必ず収束する。
この世で発生する問題、それらは全て「生成」と「消滅」を繰り返しているかのようだ。そしてこのこと自体、「良い」も「悪い」も超越しているように思える。
だから、私にとって「それはそれ。自分は自分。」
そう思うようにしている。
そうして、自分と問題との間に少しだけ「距離」が持てるようになって、今、生きることが楽になったような気がする。