飛鳥旬のブログ

自分のアトピーは自分で治そう!

アトピーと感染症

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週末の散歩は曇り空


新型コロナウイルスのワクチン接種が本格化している。

妻(医療機関での事務)は既に接種済みだが、自分はまだ順番を待つ身。

2度目の接種が終わった際、熱が出て寝込んでしまった妻の様子と見る限り、その日は大事を取って休む等、一応、用心はしておいた方が良さそうな気もする。

さて、今回は感染症の話。

実は私、アトピーが治る前までは非常に感染症に罹りやすい体質だった。

元々、生まれつき身体は丈夫な方ではない。

それに加えてアトピーになってからは、常に感染症とは隣り合わせの生活を余儀なくされた感がある。

具体的に言うと、ヘルペスは日常茶飯事。で、掻き壊した皮膚から侵入したと思われる黄色ブドウ球菌からか、突然、熱を出しては寝込むことも度々あった。

感染症の場合、高熱の場合は比較的分かりやすい。

一方、数週間も続く微熱の場合だと、医療機関に行くか行かないかの判断さえも難しく、これが「命取りになりかねない場合」もある。

事実、私はこの「命取りになりかねない場合」を経験しているのだが、それは脱ステロイドを強行した時の微熱を、「好転反応」と勝手に判断してしまった失敗による。

アトピー患者、感染症で死亡」

黄色ブドウ球菌が心臓の弁に付着して命を落としたアトピー患者の存在を知ったのは、この時が初めてだったが、それ以来、私の「感染症」に対する認識は一変した。

と言うのも、それまでの私は「感染症なんて抗生物質の投与で完結でしょ?」程度の認識だったからだ。

だが、あの時は自分が死んでもおかしくない状況だったのだ。

実際、あの時、脱ステによる熱を「好転反応」などと思ってもう1週間頑張っていたら、いまこのブログを書いている飛鳥旬は無い(と実感として思える)。

そのお陰か学習効果なのか、アトピーが治ってから今日に至るまでもう25年以上、感染症には罹っていない。

いや、厳密に言うとインフルエンザウイルス等、感染はしたのかもしれないが、発症はしていない。

「感染しても発症はしない」

この感覚をご理解頂けるだろうか?

例えば、

職場で、「ん?熱っぽい・・・」と感じた時。

帰宅して確認すると、確かに微熱がある。

そんな時、私は迷わず市販の風邪薬を飲んで寝てしまう。入浴する時もあるが、面倒な時は迷わずそのままベットに直行する。

すると翌朝。

何事も無かったかのように、身体は元に戻っている。

で、そんな時は大抵、12時間以上は眠る。相当量の汗も出ている筈だ。

と言う、ちょっとした対応なのだが、私はこれで一度もインフルエンザに罹ったことはない(今後の話は別として)。


さて、

「ワクチン接種は受けない方がよい」

そんな説もあると聞く。

医学的な話は分からないが、今の私にはこの説を受け入れる選択肢はない。

感染症に有効な手段があるなら、例えそれが100%の可能性ではなくても享受する。

そう思えるのは「世間一般がそうだから」ではなく、文字通り自分自身の死ぬほど苦い経験が過去にあるからだ。


糖質制限食に付いて思うこと

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散歩道

アトピーを治すのに糖質制限は必要ですか?」
「飛鳥さんは糖質制限食をどう思われますか?」

最初にこの類のご質問を頂いたのはおよそ10年くらい前。つまり2010年代に入ってまだ間もない頃だと記憶している。

糖質制限食と言えば京都高雄病院の江部康二先生がその第一人者だが、私個人にとっての江部先生はアトピー患者と主治医、と言う関係である。

江部先生ご自身が糖尿病を発症されたのが90年代の後半とお聞きしているので、当然、私が高雄病院でアトピーの入院治療をしている頃は、「糖質制限」と言う言葉さえお聞きしたことはなかった。

「じゃ、私自身のアトピーは?」と言えば、糖質制限食で治した訳ではない。

事実、私は高雄病院での入院期間中に「絶食療法」は経験したが、糖質制限食は経験していない。と言うか、その「絶食療法」でさえ主食は玄米食、カロリー計算は栄養士さんの指導の下で行われていた。

つまり、糖質の制限は一切していない。と言うことだ。

で、平たく言うと、私はこの入院期間中にアトピーが治ることを確信したのだが、その方向性と言うか、方法論が何かと言えば、それはあくまで「少食」だった。

  1. 甘いモノを避ける(白砂糖断ち)
  2. 加工食品を摂らない
  3. 小麦粉よりもお米(ご飯食)

等々、もちろん最低限のお約束事はあった。だが、「炭水化物(糖質)ではなく蛋白質を積極的に摂取!」はなかったのだ。

では、

「炭水化物を摂取しながら、どーしてケトン体を維持するのだ?」と、少しでも「糖質制限食」を知っている人なら疑問に思う所だが、私の知る限り、当時の答えはやはり「少食」だった。

時間のある人は図書館に行って、甲田光雄医師の著書を確認して欲しい。

ケトン体回路の確立は「蛋白質の摂取」ではなく、「炭水化物(玄米菜食)の超少食療法」の筈だから。(私の読み違いでなければ・・)

これが、当時の主流だったのだ。

話を戻そう。

アトピーを治すのに糖質制限は必要ですか?」
「飛鳥さんは糖質制限食をどう思われますか?」

このご質問に対する返答である。

正直な所、私はアトピー治すだけならスーパー糖質制限食は必要ないと思う。(但し、糖尿病を併発して場合は別)。

理由は単純で、「続かない」から。

では、なぜ続かないのか?

その理由も単純で、平たく言えば「お金」と「時間」、そして最大の理由は「食べたいものが食べられないから」だと思う。

だからと言って、糖質制限食を否定するつもりは全然ない。

例えば

「お腹減った!」と感じて食べる場合、ラーメン&チャーハンを食べた時と焼肉だけを食べた時とでは、その後の倦怠感がまるで違う。

焼肉だけで済ませた場合、少なくとも食後に眠くなることはない。

これは厳然とした事実なので、認める他ない。

一方、脂質を増やしてケトン体の摂取を上げることが身体にとって良いのかどうかは、はっきりと結論づけることができない。と言う意見もある。

いずれにせよ糖質制限食の是非は、時間が証明してくれると思う。

と言う訳で、

糖質制限食。私自身はある程度糖質を意識した食生活を心掛ける一方で、それは無理のない範囲にとどめるつもりだ。

但し、血圧、血糖値、コレステロール値に問題はないが、今後、この数値に少しでも変化があれば、糖質制限食は真っ先に取組んでみたいと思う。

ご質問頂いた皆様。こんな感じです。


アトピーの痒みに関する話

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自宅の庭に咲いた紫陽花


アトピーの痒み対策があれば教えて下さい。」
「痒くて痒くて仕方ない時、飛鳥さんはどうしていましたか?」

相変わらず、「痒み」に対する質問が絶えることはない。

で、先日は30代男性からの相談。

「掻いてはいけない」と頭では分かっています。でも気付いた時は万事休す。掻き壊した後の悲惨な肌を見ては自己嫌悪。もうこの繰り返しです。

アトピーの痒み対策。

結論から言うと、即効性のある対策はひとつしかない。

「冷やす」

これだけだ。

が、もちろん「冷やす」と言っても、その効果は限定的。猛烈な発作的な痒みに対しては「焼け石に水」と言った感じである。私の経験上、アトピーの痒みを短時間で劇的に消滅させる方法は「ステロイドの服用」以外にはない。


例えば、こんなことがあった。

あれは、30歳の12月。

忘年会を兼ねた会社の一泊旅行から帰った私は、それまで体験したことのない猛烈かつ発作的な痒みに襲われた。

それは広範囲にわたる痒みで、2本の手では掻ききれたないほどだった。

「救急車!」

妻に叫んだものの、その救急車を待つ時間さえ我慢できない。

結局、妻の運転で緊急病院へ向かった。が、その間も発作的な痒みは容赦なく続く。真冬だと言うのに、冷や汗+鳥肌の皮膚をひたすら掻き続けていた。

病院に到着後、医師に事情を説明。

その日は急患の数も多いことから、とにかく痒み止め?の注射をすること。

ところが、

猛烈は痒みは、この「痒み止め」の注射でさえ効かなかった。

 

確かに、皮膚の表面は麻痺している。

それは歯医者で麻酔注射をした時のように、触れるとブヨブヨしているだけで感覚がないことからも明らかだった。

だが、皮膚の表面は麻痺しても、痒みはいっこうに沈静化しない。何故なら、本当に痒いのはそのもう少し下(内側)だったからだ。

アトピーは皮膚の病気ではない・・・」

私がこの事実を痛感したのは、この瞬間だった。

結局、この発作的な痒みが沈静化したのは2時間後。その間、私はずっと掻き続けることしかできなかった。

ところで、

私が思うに、アトピーの痒みには2種類ある。

  1. 発作的な猛烈な痒み。
  2. 慢性的な穏やかな痒み。

で、この2種類の痒みに対して、私自身、過去いろんなことを試みた。

サプリメント、特定の栄養素の摂取・・・。

しかし、これと言って効果的な手段は無かった。(今もないと思う)

だが、今はもうそんな「痒み対策」など真剣に探す必要もないと思う。何故なら、アトピーをそのものを治してしまえば「痒み」は消えるからだ。

だから、痒くなった時にはとにかく「冷やす」を徹底。後はアトピーそのものを治すことだけ考えるのが良いように思う。

ちなみに、

「掻くから治らない」と思っている人がいるなら、それは少なくとも私の経験からは「違う」と言いたい。

皮膚を「掻く」、または「掻き壊す」と言う行為は、「掻いた後の皮膚」、「掻き壊された後の皮膚」を結果として残すだけで、「治る」・「治らない」とは関係ない。

確かに、掻き壊した皮膚からは感染症を併発するリスクは伴うが、それはまた別の話で、アトピーが治る・治らないとは直結しない。

だからと言って、私は決して「掻く」ことを薦めているわけではない。

そうではなくて、自己嫌悪に陥ったり自分を過度に攻める必要はないと思うのだ。

平たく言えば、「痒い時は誰もが掻いてしまう」ということ。痒い時に掻くのは人間として普通の行為なのだ。


甘いモノを控える。そしてパン、パスタ、ラーメン等、小麦粉中心の食生活を控えるだけでも、痒みは軽減される。

皮膚の痒みを完全に消す唯一の方法。

それは、「炎症を抑えること。」 これに尽きるだろう。

では、炎症はどうして抑えるのか?

これを考えた場合、結論は自ずと「胃腸の健全化」に行着く。

世の中にはいろんな健康法があって、いろんな食事法がある。

だがアトピーだけを考えた場合、「快便」がまず基本だと自分は思う。

とにかく、出ないことには話が前に進まないのだ。

 

 

そこに「やさしさ」はあるのか?

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今日の生駒山

前回に続き、今回も「うつ病」に関して。

組織の中で働いていると「いい面」がある反面、「煩わしいなー」と感じることも多々ある。

で、それが「煩わしいなー」程度の話で済めば問題ないのだが、「こーゆうことから、うつ病に移行しないか?」と思うコトがある。

先日、あるコンサルタント会社の「性格診断テスト」なるものを受けた。

それは「これでもか!」と言わんばかりの質問に対して、「そうだ」「どちらかと言えばそうだ」「どちらかと言えば違う」「違う」(だったと思う)の4択から選ぶ形式だった。

で、その答えから、ポータブルスキル(仕事においても適応する能力)とモチベーションタイプ(仕事のスタイルなど個人が働く上での欲求)の2つ項目に分類。

そして、社員が「組織の中のどのポジションにいるか?」が点数化されていた。

ちなみに私、

「あなたの弱みは『否定力』です。相手に指摘したり、ノーと言うのが苦手。相手の意見をそのまま受け入れるのではなく、必要な時にはキッパリ否定する努力をしましょう」とある。

なるほどね。はい。分かりました。(素直)

その一方で、

「あなたの強みは『受容力』です。自分の意見を押し付けることなく、相手に共感しながら意見や要望を聞き、それを受け入れて対応する心の広さが強みです」とある。

いやいや、それほどでも・・・。照れるな。

とまあ、こんな感じなのだが、

私がこの手の「性格診断」とか「○○分析」で「マズイ」と思うのは、その結果を全体と照らし合わせて「数値化」している点だ。

事実、多くの項目で私は受検者全体の平均値を大きく下回っているのだが、点数化された時点で、受け取る側はどうしてもその「数値」に対して敏感にならざるおえない。

「あんた、もっとしっかりしなよ!」
「このままじゃ、組織では生きていけないよ・・・」

「・・・・・・・・」

この数値を見ると、とてもじゃないが「コレを糧にして頑張ろう!」なんて前向きな気持ちにはなれない。

で、「この診断テスト、真に受けて悩む若い社員もいるだろなー」と思っていると、案の定、翌日、若手のK君から相談があった。

K 君曰く、「平均以下だった数値がショックで・・・・」

ちなみに、このK君。

私の評価は決して平均値以下ではない。いや、むしろ平均以上で、そう思っているのは私だけではない筈だ。

で、そのことを正直に伝えると、K君は少し冷静さを取り戻した(ように感じた)

いずれにせよ、その後のK君は元気に働いている。



「それにしても・・・」

と思うのだ。

私自身の話をすると、アトピーを治してからそれ以前とは明らかに「変化」があって、それは、モノゴトの「本質」だけを観るクセが付いたことだ。

簡単に言うと、

「難しいことせんでも、アトピーなんて普通に治るやん!」

である。

で、そういう視点から、「仕事」と言うものを観ると、

それは、

「何からのモノ、サービスを提供してその代価を得る」

と言う、シンプルな結論に至る。

ビジネスには様々なモデルがあり、それに付随するスキルやテクニックも多様と思われがちだが、実際にやっていること観察すると、その構造は極めてシンプルなのだ。

で、私自身今まで働いてきて「何が一番大切?」と聞かれれば、答えは多分「やさしさ&思いやり」になる。

「いい歳して、そんなの甘いよー」
「そんな甘いこと言ってたら、生き残れません!」

と言う意見もあるだろう。

でもそれって、ホントにそうだろうか?

このことは、逆に自分が「何らかのモノ、サービスを受けて代価を払う」側になれば分かりやすい気がする。

実際、私達がモノやサービスを受ける際、そこに求めているのは「スキル」や「テクニック」なのか?

確かに、そーゆう時もあるだろう。

でも、その「スキル」や「経験」も、本当はどこかで「優しさ&思いやり」が根底にあってこそ。と感じているのではないか?

少なくとも私は、顧客のことを「ターゲット」と呼ぶ言い方に抵抗を感じる。

「顧客は獲物(ターゲット)なのか・・・」


「優しさ&思いやり」

現実問題として、私は今までこれで全然問題なかった。と言うか、これを忘れた時の方が返ってトラブルや問題が発生した。

「変化」が必要な時は変える。

でも、変える必要のないなら、そのままでいいのではないか?

「やさしさ」と「思いやり」とはそういうものだ。

で、私自身、痛感していることがある。

それは仕事だけでなく、毎日の生活で「優しさ&思いやり」を意識していると、自分の心が渇かないことだ。で、逆にこれが無いと私の心は「ささくれて」しまう。

それは、今回のような「性格診断テスト」で低い数値が出た時も同じ。



「占い」とか「おみくじ」は楽しむものだ。

また企業内で実施される「性格診断テスト」の類も、それが本人の「励み」となる分には有効だろう。しかし、それを数値化するのはどうか?

ここは意見は分かれる所だと思うし、意見が分かれること自体はいいことだ。

しかも、こういう「数値化」が本人の「励み」ではなく「追い込み」になるなら、そこに何らかの対策が必要になる。

結局のところ、問題はやはりそれを提供する側の心の問題なのだろう。

そこに「やさしさ」はあるのか?




うつ病を直前に回避した時の話

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快晴の日曜日

 
うつ病に関するメールを頂く機会が多くなった。

いや、正確に言うと、うつ病そのものではなく、うつ病と診断されたことで調子の良かったアトピーも悪化、または再発した。と言う話である。

今まで触れる機会は無かったが、実は私自身、「うつ病」とは診断されてはいないものの、かなりヤバいと感じる時期があった。

今回はその時の話。

元々、首の痒みから始まったアトピーが、体全体に広がるまでに要した期間はおよそ10年。が、せめてもの救いは「顔」だけがアトピーではなかったこと。

ところが20代の後半、遂にアトピーは顔まで広がった。

恐らく、この辺りが「精神を病む」キッカケだったと思う。

「どうしたの!その顔!?」

このリアクションにほとほと嫌気の差した私は、人と接することを極端に嫌った。

これが、事の発端である。

「人と話したくない!」
「もう全然、人と接したくない!」

一度そういう感情が芽生えると、その感情は仕事だけにとどまらず、プライベートにまで及んだ。

外出するのは「釣り」の時だけ。

で、自宅では釣り雑誌と、釣り道具のカタログばかり眺める日々が続いた。

外食はせず、楽しみにしていた同窓会も欠席した。

こうして私は、「自分がアトピーである」と言う現実から逃避するようになった。

ところが不思議なもので、「自分がアトピーである」現実から逃避すればするほど、「自分」=「アトピー」の認識は現実味を帯びて迫ってくる。

いつも頭の中は、「自分」と「アトピー」のことばかり。

で、遂に自分の住む世界が、「自分」と「アトピー」だけのような感覚に陥った。

脱ステを決行したのは、そんな日々が数年続いたある日。

その頃、私のアタマは「自分」「アトピー」の他に「ステロイド」「ステロイドを製造したメーカー」「ステロイドを処方した皮膚科医」「憎い」のキーワードと「自己嫌悪」で占有されていた。

つまり、当時の私は自分と自分を取り巻く環境に対して憎悪を抱きながら、その憎悪に自己嫌悪を抱くと言う、もうグチャグチャな精神状態で生きていた。

そして、遂に審判の下る日がやってきた。

脱ステによる猛烈なリバウンド。

体に力が入らず、自力でトイレにいけなくなった。
無惨にも、顔中が真っ赤な斑点で覆い尽くされた。

恐怖からパニックに陥り、緊急入院を余儀なくされた。

それが「うつ病」なのか「パニック障害」なのか、それとも「適応障害」なのか、病名は分からないが、当時の私は精神的にまともではなかった。

「目に見えない何かに圧し潰される!」

そんな脅迫感が頭から離れない。

ところが、

ところが、

ところが、

入院先の病院で、私は微妙な変化を感じることになる。

それは、身体面だけではなく精神面においても。

キッカケは、入院患者同士の他愛もない会話。

当時、入院先の病院ではアトピー患者が20名ほど入院治療しており、春休みの時期と重なり、学生を含めて患者は自分より年下の者が大半だった。

自然な流れとして、年長の自分は彼らの話の「聞き役」となった。

アトピーがもとで彼女と別れた・・・」
アトピーがもとでピアニストへの夢を捨てた・・・」
アトピーがもとでアルバイトを拒否された・・・」

そこには、人の数だけアトピーの悲劇があった。

が、とにかく自分には「聞く」ことしかできない。

「オレだって大変なんだぞ!」

心の中でそう叫びながら、それでも次から次へと自分の部屋にやってくる彼(彼女)らの話に耳を傾けていた。

すると、私の中の微妙な変化が、大きな変化に変わった。

私のアタマを支配していた「自分」「アトピー」「ステロイド」「皮膚科医」「ステロイド製造メーカー」「憎い」の登場回数が激減したのだ。

完全に消えた訳ではない。が、間違いなく減っている。

早い話、自分のことは「忘れて」いたのだ。

コレを機に、私は自分から積極的に彼らの話に耳を傾けるようにしてみた。で、時には耳を傾けるだけでなく、彼らの人生と自分の生き様を重ねてみたりもした。

すると、不思議なことに急に気持ちが楽になった。

と同時に、今までの自分が「過去」「将来」「空想」「虚構」などなど、いづれも実態のない「思考の産物」に絡め取られていたことに気付いた。

で、私のアトピーが劇的に好転したのは、この事実に気付いた2週間後。

事実、3週間後に私はこの病院を退院して自宅療養にチェンジ。その1か月後には職場に復帰している。アトピーは劇的に好転したのである。

「身体と心は繋がっている・・・」

私がそう確信するのは、この時の体験からだ。

さて、

過去、私は体からのアプローチでアトピーを治す方法をお伝えしてきた。その理由は、精神面からのアプローチは伝えるのが難しく、ある意味、危険を伴うからだ。

だが、精神面を整えることの有効性、スピーディさもよくよく実感している。



私は今でも、「自分」との距離が近づき過ぎてしまうことがある。

そんな時、思い出すのは当時のこの体験。

この体験に普遍性はあるのか?

それはよく分からない。

だが、精神的にキツいと感じた時、実態のない「思考」に振り回させる回数は減った。

ゴジラのことを考えても恐怖心が芽生えないのは、それが映画(思考)の世界の物語であることを知っているからだ。

それなら今、自分を恐怖で包んでいるその思考は実態のあるものなのか?それとも物語の世界(ゴジラと同じ)なのか?

大抵はこれでケリが付きそうに思える。                                                                                                                                                                                                                                                

 

 

何してるん?

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                        コロナ禍でも


クルマを買った。

ダイハツハイゼットカーゴ。商用のバンである。が、仕事で使う訳ではない。

YouTubeを見ていて「釣りに行った時の車中泊用に」と思って購入したのだが、釣りどころか、外出さえままならない状況になってきた。

納車されてから既に2か月、いまだに一度も出番がない。

ところで、

これだけ長い間エンジンを回さないとバッテリーがマズイ。そう思って夜な夜な、愛犬を抱いてエンジンだけを動かすことに。

すると、あることに気付いた。

「うるさい・・・」

それまで気にしていなかったのだが、夜、静まり返った駐車場でエンジンを回すと、とにかく室内のエンジン音がうるさい(と感じた)

で、次の瞬間、何をしたかと言うと、まずデシベル計をアプリからダウンロード。

実際、室内のエンジン音を測定したのだ。

すると、測定値は60デシベルを超えていた。で、こうなると次は妻の乗っているクルマの騒音値が気になってきた。

ホンダのフリード。計測してみると結果は50デシベルを切っていた。

「し・ず・か・・・」

こうなると、今まで普通に乗っていた妻の愛車が高級車に思えてきた。

冷静に考えると分かるが、商用バンのハイゼットカーゴと自家用車のフリードでは構造からして違う。なので座席の真下にエンジンが搭載している商用車の騒音を乗用車並みにするのは無理があるのだが・・・。

ところが、ここで私の悪い癖が出た。

「改造するか・・・」

無謀にもハイゼットカーゴでフリード並みの騒音値を目指したのだ。いや、無謀ではないかもしれない。事実、あるユーチューバさんは軽バンの騒音レベル40デシベル以下、断熱性能も乗用車クラスを叩き出していたのだから。

以後、私の軽バン静音化への取り組みが始まった。

クルマの躯体から騒音の発生源を特定。その発生源から振動による派生ノイズを確認。根気強く防振材と吸音材を塗布する作業は続いた。

その結果、ようやく室内の騒音値が50デシベル近くになった時、ふと我に返った。

「オレ、今、何してる!?」
「敢えて商用車のバンを買ったのは何故?」

「・・・・・・・・・」

「俺は室内の騒音を下げるために軽バンを買ったのではない」
「朝3時起きの釣りはキツイから、車中泊用に軽バンを買ったのだ」
「就寝中、エンジンは回さないし・・・」



本来の目的・・・

話は変わるが、アトピーの時もそうだった。

ステロイドは悪魔のクスリ」
ステロイドの服用で廃人に・・・」

そんなマスコミの報道から「ステロイドを続けている限りアトピーは治らない」となり、「脱ステロイドアトピーを治す」に至るのだが、ここにはステロイドを止めてもアトピーが治す根拠など無いことを忘れている。

ステロイドを使ったのはアトピーと診断されたからで、そのステロイドを止めても、アトピーが治る理由はどこにもない。元のアトピーに戻るだけ。

役割と限界。

ステロイドに限らず、クスリの本来の役割は病気そのものを治すことではない。

事実、風邪薬にせよ、コロナウイルス用のワクチンにせよ、それらが直接風邪やコロナを治している訳ではないのだ。

薬の目的は結局のところ治癒力・免疫力を上げる補助であり、これが限界なのだ。

多分、この類の間違いを私はまた何度も繰り返すのだろう。

と、思っていると、以前、新聞に載っていたサラリーマン川柳を思い出した。

スポーツジム、クルマで行ってチャリを漕ぐ。

 
他人事ではない。肝に銘じておこう。

起死回生のバックドロップ

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雨の生駒山


本日は雨。

散歩に行けない。いや、行こうと思えば行けるのだが、さすがに気が進まない。愛犬は愛犬で「雨は嫌だー」と目で訴えている。

突然だが、

『起死回生のバックドロップ』をご存じだろうか?

プロレスファンならお馴染みだろうが、プロレスを見ない人でも言葉くらいは聞いたことあるかも。

要するに、「不利な状況を一変させる必殺技」。みたいな感じ。

ちなみに、アトピーを治す場合、こーゆう便利な必殺技はない。

で、こーゆう必殺技的は無いのだが、後から振り返ってみると結果的に「あれは起死回生のバックドロップだったよなー」的な経験なら、実はある。

当時、それは最初から意図的に狙ったものではなく、あくまで結果的に「そうなった」のだが、それが今なら「なるべくしてなった」ことが分かる。

なので今なら、最初からそこだけを狙ってアトピーを治すこともできる。


あれは90年代、私が京都の高雄病院に入院中の出来事だった。

当時の私は「すまし汁断食」と呼ばれる絶食療法に取り組んでいる最中で、あの出来事は入院後12日目に起きた。

あの出来事。つまり「起死回生のバックドロップ」の正体は、オナラである。

ふざけている訳ではない。

その日の昼食(すまし汁+黒砂糖のみ)を済ませてベッドに着いた瞬間、突然、猛烈な勢いでお腹が動き出した。

ゴロゴロ! ポン! パン! ゴロゴロ!

と、次の瞬間、適切な表現が見当たらないほど強烈なオナラが出た。いや、正直、あれは「オナラ」などと呼べレベルの代物ではなかった。

普通、オナラと言えば「ぷー!」とか「ブリっ!」とか、臭いのあるなしは別として、ガスの放出量から言えば所詮その程度のものだろう。

ところが、あの時は全然違っていた。

「ぷー!」とか「ブーッ!」とか、そういう瞬間的なものではなく、とにかく大きな風船の中の空気が一機に抜けるほどの持続力があった。それが延々、1時間も続いた。

「ゴロゴロ」 「ポン!パン!」  「ゴロゴロ」 「ポン!パン!」

「スーーーッ」
「スーーーーーーーーッ!」
「スーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」

伝わってます?(コレ、多分、伝わらないと思う・・・)

いまだに、こんな経験はこの時が最初で最後。

で、最初はビックリした。

「なんだ!なんだ!?」

訳が分からない。が、当時の私はまだ30歳。動揺しつつも、恥ずかしくてとてもとても看護婦さんは呼べない。

「個室でよかった・・・」

そう思いながら30分が経過した頃、ようやく状況が見えてきた。

「胃腸が動いている・・・」

少し冷静さを取り戻した。

「そういうことか・・・・」

ちなみに、当時はまだ「リーキーガット」なんて言葉はなく、それどころか、アトピーはまだ「皮膚の病気」的な雰囲気が全盛の時代。

アトピー治療に絶食療法、食養生を取り入れている医療機関も稀だった。

で、ともかく「胃腸が動くのはOK」と分かった途端、今後は笑いが込み上げてきて止まらなくなった。

強烈なオナラを連発させながらベットの上で笑い転げている30歳男性。

多分、他人が見たら(いや身内でも)、かなりシュールな姿だったと思う。

ところが、

この出来事が、「起死回生のバックドロップ」となった。

この日を境に、私の胃腸は動き(働き)始めたのだ。で、事実、その日から私の体は、食べる⇒出る。食べる⇒出るの連続性を持つようになった。

要するに、便通が整ったのだ。

そして4日後。奇跡が起きた。(と、当時は思った。今なら「当然」だが。)

まず、肩の炎症が消えたのだ。

痒みもない。そして赤く腫上った額(左側)の炎症すらマシになった。

アトピーは皮膚の病気ではない」

そう確信したのはこの瞬間だった。

それまで甲田光雄医師の本とかで理屈的なことは知っていたのだが、やはり実際に経験してみると、それは想像以上の世界だった。

で、次の瞬間、「胃腸の健全化」という言葉がスーッと浮かんできた。

その後、私のアトピーは完治した。

その間、やったことと言えば「胃腸の健全化」からスタートして「快食」「快便」「快眠」のみ。

あれから30年。

この時の経験。それは今年60歳になる今も「実体験」として生きている。

「快食」「快便」「快眠」

食べ過ぎず、飲み過ぎず、そして心地よい便が出ている限り、快眠の条件は整う。そしてこの3つが続くと、人はアトピーにはなれない。なりたくてもなれないのだ。

だから、私はアトピーだけを治す特別な治療を知らない。と言うか、「快食」「快便」「快眠」をすっ飛ばして、特別な何かを追い求める気がしない。

わざわざそんなものを探さなくても、答えは日々の生活の中にある。

そして、それだけで治せることをもう既に多くの人が実証している。

「起死回生のバックドロップ」

それは瞬間的な必殺技ではなく、日々の地道な取り組みの果実だったのだ。