飛鳥旬のブログ

自分のアトピーは自分で治そう!

取引なし。ただやる。

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信貴山毘沙門天

皆様 今年もよろしくお願いします。


コロナ禍の環境下、出歩くことが少なくなった。で、何をしているかと言うと、
本を読んでいるか、座禅しているか、このどちらかであることが多い。

そんな生活環境にも、もう随分と慣れてしまった気がする。


今日は、HP読者の方(30歳の独身男性)と電話で話をした。

アトピーに関するご質問やアドバイスは、もうかれこれ20年以上続けているが、
自分自身が男であるせいか、どちらかというと、女性よりも男性の抱えている悩み、苦しみの方がピン!とくる。

若い男性読者の方と話をしていると、不思議と過去の自分の姿と重なり合って
困ることがある。何が困るかと言えば、それは今、話をしている相手と自分との
垣根が無くなる感覚に陥ることで、これではアドバイスはできない。

そんなに頻繁ではないが、こうゆうことは現実としておこる。

さて、アトピーのアドバイスと言えば本日も話したことなのだが、私は最近、
こんな努力なら、しない方がマシだと感じることが多い。

それは、

「自分は今、本当はこんなことしたくはなけれど、アトピーを治したいから
無理して頑張っている。」というもの。

要するに、取引みたいなものだ。

大半の学生は大学受験に合格するために数学を勉強する。でもそれは数学を
学びたいから学ぶのではなく、たまたま受験の必須科目だから学ぶのだ。
このような接し方で数学と向き合っている限り、数学の本質的な面白さに巡り
会う可能性は低いだろう。

誤解されると困るのだが、私はこれが悪いと言いたい訳ではない。と言うか、
世の中の大半はこの世界観で動いていて、疑う余地さえない。

ところが私達にはもう一つ別の世界観があって、それは取引無し、損得勘定
無しで、素敵なものを素敵だと感じ、美しいものを美しいと感じることだ。

アトピーを治す場合、私はこちらの世界観で時間を過ごす方が、取り引き的
な世界観で生きるよりも良いような気がする。

「どのくらいの期間頑張ればアトピーは完治できますか?」

私は、今でもこのようなご質問を受けることが多くて困るのだが、まあそう思う
気持ちも分かるし、大半のアトピーはおおよそ半年程度まじめに「胃腸の健全化」
を続ければ先も見えてくるのでそのように答えることにしているのだが、取引なし。ただただやる。

こちらの方が結果的には早い気がする。


アトピーからの解放とは

f:id:asuka-atopi:20201220174519j:plain冬の日の束の間の晴れ

生きている限り、誰もが否応なしに遭遇する悩み、苦しみ。

今となっては遠い昔の出来事のような感じさえするのだが、十代半ばから三十代前半まで、私は、いつも自分がアトピーであるが故の「悩み」と「苦しみ」と共にいた。

だが、こんな風に書いても、今、ピンと来る人は少ないのかもしれない。

何故なら、今は芸能人を始めお笑い芸人から格闘家など、アスリートの世界でもアトピーの人達は必ずしも特殊な存在ではなくなってしまったからだ。

アトピー人口が増えた。この事実に対して元重症アトピー患者の私が感じるのは以下の2点である。

まずはアトピー人口が増えることで、自分だけ特別視される機会は減るだろう。と言うのも、有名人を含む多くの人がアトピーなら、少なくともアトピーがコロナのような訳のわからないウイルス性の感染症でないことは皆よく知っているからだ。

このことから、症状が顔に出ていないケースや症状がそれほど重症化していなければ、進学や就職、結婚と言った人生の節目で致命傷を負う可能性も低くなる気がする。

一方、このような一般化した中でのアトピーに対して「マズい」と思うことも当然あって、それは患者自身が周囲を見て「ま、こんなもんでしょ・・」と感じることだ。

私は、人の生き方に関してアレコレ口をはさむつもりはないのだが、他の事はさておき、アトピーだけは治せるチャンスがある時にしっかり治しておいた方が良いと思っている。

「悩み」・「苦しみ」言っても、その中には時間の経過と共に薄れたり、消えてしまうものがあるのは事実で、実際、「日にち薬」の言葉の通り、外傷や怪我など身体的なものから失恋など精神的なものまで、時間が経てば大抵は薄れるか消えてしまう。

ところが、私の知る限りアトピーとはそのような類の疾患ではない。要するに、時の流れに身を任せるだけで状況が好転する可能性は極めて低い。

逆の見方をすると、ひとつひとつのピースを根気よく置くべき場所に置いてゆけば必ず完成するジグソーパズルのように、それは最初から必ず治るようになっている。

私は、アトピーとはそんな類の疾患だと思う。

だから「一生お付き合いする」とか「これも人生の一部」とかではなく、完全にアトピーとは縁を切る。こちらの方が断然良いと思うのだ。

で、これは特に自分のような若い年代でアトピーと診断された人への思いだが、アトピーで悩んだり苦しんだりするくらいなら、もっと他のことで悩んだり苦しんだりした方がマシだ。と思う。

仕事でも恋愛でも、とにかくアトピー以外のことで悩んだり苦しんだりしたことは後々、何らかの形で人生の肥しになるだろう。だが、アトピーは治さない限り、いや、治してこそ、その経験が生きる。逆にアトピーのままなら、それは単にアトピーのままの人生を生きるだけに終わってしまう気がする。



古い身体から新しい身体へ

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十津川の滝


行く川の流れは絶えずして、しかも元の水に非ず。

方丈記を書いた鴨長明によれば、淀みに浮かぶ泡沫は消えたり集まったりで、止まることはないらしい。諸行無常。つまり変化が無いように見えても、常に同じ状態ではない。いや、常に同じ状態のものなんて一切ない。と言う訳だ。

「なるほど・・・」と思う。

このことは理屈より、人生を重ねるごとで鮮明になるようだ。事実、私自身、アトピーだった頃の身体と今の身体を比較すると全く違うことに気付く。それは「痒みが消えた」レベルの話ではなく全く「別物」。まるで身体を構成している60兆個の細胞が全部入れ替わったかのようだ。

これは、奇跡でも何でもない。

十字架の上で殺されたイエス様が3日後に復活するような話ではなく、今、ごくごく普通に起こっている現実で、事実、今、まさにこの瞬間にも起こっている変化と思える。


「モノが栄えて心が滅ぶ。」

確か、禅僧の言葉だったと思うが、世の中が豊かになってモノが進化する一方、人はラクな方へラクな方へ気持ちが傾くものなのかもしれない。

「棚からぼた餅」が大好きな自分にとっては耳の痛い言葉だが、確かに、そういう一面が人間にはあって、「アトピーを治す」と言う点でもこの「ラクな方へ」がマイナスに作用している気もする。

ただ一つだけハッキリしていることがあって、それはアトピーと言う病気が頑張れば頑張った分だけ治癒率も上がる点で、この点だけはすこぶるフェアな疾患だとも思う。

私のように身動きが取れないほど重症化した場合以外なら、長期休暇を取ってわざわざ入院しなくても、日々の生活習慣を見直す中で「当たり前のことを当たり前にキチン」と継続することで確実に完治まで到達できる疾患とも言える。

焦らない。イライラしない。怒らない。

このことを念頭に、やるべきことを淡々とやる。良いことにも悪いことにも粛々と対応してゆくことが大事で、逆に何かに怯えたようなビクビクした心が起きたら、たちまちアトピーの餌食になってしまう。

アトピーと言う病気はじっと観察されるのが嫌らしく、逆にオドオドした患者をイジメるのが大好きらしい。だからこの病気と向き合う時は常に自分が観察する側に回り、アトピーに自分を観察させる隙を与えない。この戦法で戦うのが一番効果的だろう。

諸行無常、生々流転。

アトピー性皮膚炎は遺伝」「遺伝を治せない以上アトピーは治せない」。そんな風に言われていた時代は終わった。それはもう過去の話となった。

何か特別な治療をしないと治らないようなイメージも全部虚構。

アトピーを治すための特別な治療やモノなんて最初から無かったのだ。そんなものは全然必要ない。その代わり、本当に必要なのは患者自身の「自分で治す」と言う意志だけ。

アトピーとの戦いは、自分自身との戦いなのだろう。


肌が乾燥する時期だからこそ。

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晩秋の散歩道


毎朝、通勤電車の中で出会う学生達。

同じ時刻に同じ車両に乗り込めば、そこには大抵同じ顔ぶれのメンバーがいて、話し掛けることもなければ、話しかけられることもない。

それはいつもの日常。だがそんな日常でさえ、気づくことがある。観察している訳ではない。が、自然と目に飛び込んでくる。

それは肌(皮膚)の変化。

「ん?」「あれ?」「・・・」
「肌の艶が消え、顔全体が白っぽい」

これは少し危険な兆しだ。

こういう変化を見逃さない大人が周りにいればラッキーだが、この年代だとまだ自力では気付けないと思う。

コロナ禍で自宅にいる時間が増えて運動量が減ったとか、逆に食事の量が増えたとか、甘いモノの摂取量が増えたとか、理由は様々だろう。

しかし、有難いことに内蔵(特に消化器官)の疲労は必ず皮膚に現われる。

だから、そんな時は「お腹減ったー!」と感じてから食べるようにすると直ぐ元に戻るのだが、これに気付かずダラダラと同じパターンを続けると習慣化して厄介な事態に陥る。

その典型例がアトピー

アトピーはある日突然、何の前触れもなくいきなり発症する疾患ではない。「アトピー性皮膚炎です」と医療機関で診断される前に、既にいくつかの兆候はあった筈なのだ。要は、それに気付いて対処したかしなかったか。いづれかなのだ。

逆の見方をすれば、アトピーと診断されたなら、既に胃腸の働きは悪くなっていると思った方が良い。それを確認する方法は簡単で、便通及&便を確認すれば納得がゆく筈。

アトピーを本当に治したいなら、ここがスタート地点。

自分自身の経験から言うと、アトピーのままの日々とアトピーの全くない日々とでは、その後の人生はガラッと変わる。

アトピーさえ治れば全てOKと言うつもりはない。アトピーが完治してもその後の人生は続く訳で、当然、乗り越えなければならない問題は次から次へとやってくる。

しかし、それでも私は思うのだ。

アトピーなんて病気は出来るだけ早く治して(完治)しまうに限る」と。で、アトピーの無い体で、そこから自分の人生を歩んでみる方がよい。と。

私は今でも、「アトピーは治してナンボ」だと思っている。

何故なら、それは治ることが最初から分かっているからだ。しっかりした道を歩めば、方法さえ間違わなければ、それは治ることが最初から分かっているからだ。

これは、私がアトピーだった時代とは大違いだ。

既に時代は変わった。移行期とか過渡期とか、そんなものではない。これはハッキリしている。「治るかな・・・?」「治らないかも・・・」ではない。

アトピーは自分で治す疾患。いや、自分でしか治せない。何故なら24時間、自分以外の他者が自分を管理することはできないから。そういうことなのだ。

食べ過ぎない。
甘いモノを控える。
冷たい飲み物を控える。
120%よく噛んで食べる。

大半のアトピーは食生活を見直すだけで大きく改善する。一気に完治を目指すと気持ちが続かなくなる。アトピーとの戦いは長期戦だから。

だから、ひとつひとつ小さな戦いを制する。

多分、これが一番確実で安心だろう。過去の20年がそうであったように、これから先もアトピーを短期間で一気に治す魔法の杖は登場しないと思う。

だからそういうものには期待せず、まずは自分を信じで歩み始める方が賢明だろう。

難しく考えれば考えるほど治せなくなるのがアトピー

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散歩の途中で


何を食べたら良いのか?
何を食べたらダメなのか?

アトピーの時、そんなことばかり考えていた。

すると、どんどん食べられるものが減ってしまい、とうとう食べること自体に罪悪感が芽生え始めた。ファーストフードを邪悪な食べ物と考え、まるで禅僧のようなストイックな食生活をするようになった。

それはそれで今となれば良い経験だったのだが、「アトピーを治す」と言うだけなら、必ずしもそこまで思い詰める必要はなかったように思う。

私が思うに、「アトピーを治す」「アトピーでは無い身体を取り戻す」と言うことは、実はとてもシンプルで、難しいことなど何一つやる必要はない。

それは、逆に「健康な身体」を考えると分かり易い。

つまり「健康」とは元気で疲れにくく、食事が美味しく摂れて、夜はよく眠れる状態のことで、いかにしてこの状態を取り戻し、維持していくかが大切になるだろう。

そこで、多くの人が色んなことを試みる。

ところが、ことアトピーに関する限り、多くの人がいろんなことを試みてしまうと、大抵の場合、いわゆる「迷える子羊化現象」に陥ってしまう。

何故か?

それは多分、大切なポイント、つまり急所を外しているからだろう。いろんなことを試みるのも良いのだが、その際、見落としてはいけない急所があるのだ。

それが「胃腸の健全化」

何故なら、消化器系と自律神経系は生体にとって一番重要な器官で、免疫系や神経系他、あらゆる器官の土台となっているからだ。

だから、アトピーを治す上で身体的なアプローチではまず胃腸の働きを健全化することが基本であり、ここをすっ飛ばしてしまっては何をしても実を結ばない。

では、もう一方の自律神経系からのアプローチは?

これを語り出すとキリがないのだが、自分の経験から簡単に言うと、アトピーと言う病気とアトピーである自分とを一緒にしないことだと私は思う。

確かに、アトピーと言う病気は存在する。だがそれは風邪と言う症状があるのと同じで、要するに、それはひとつのプロセス(症状)であり、本来の自分自身とは関係のないことなのだ。

風邪が治ってしまえば過去の出来事になるように、アトピーもまったく同じだということ。ところが、ここで自分イコールアトピーと思い込み始めると、自律神経の働きにブレーキをかける。

言い方を変えれば、これは自分が自分で作った映画の世界に没入しているようなもので、私の経験上、その先にあるのはロクな世界ではない。

話を戻すと、何を食べるか?何を食べてはいけないか?なんて問題は、悩むような問題ではなく、実際、自分の身体をよくよく観察すれば自ずと答えが出るものなのだ。

その一番良い例が便通。

スポーン!と太くて長い一本の便。所要時間は1分。で、出た後は鼻が通って、頭の芯までスッキリ。いわゆるこれが快便。

こんな便が出るような食べ物。食べ方。食べる量。これがこの問題の答え。人から教えて貰わなくても、自分で十分対応&対処ができる。しかも安心&安全。危険なことはなにもない。

これを自分で把握しておくことが、健康を維持することの意味に思える。

他の病気のことは分からないけど、アトピーを治すなら消化器系と自律神経系に注目。多分、これだけで十分だと思う。

アトピーの治し方に関してはもう20年以上、いろんな人にアドバイスしてきたけど、当時から言ってることは全然変えていない。変える必要がないから。

多分、これから先20年経って世の中が劇的に変化しても、アトピーの治し方は変わらない気がする。

アトピーの人にとっての使命とは「完治」させること

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近所のカフェ


パソコンの調子が悪い。

書き上げたブログが2回もパーになってしまった。自分の場合、ブログはワード等のソフトにバックアップせず、そのまま直接書き込むタイプなのでデータが消えるとジ・エンド。「はい。それまで」となる。

で、2度も痛い目に遇えば、普通は「次からはバックアップを取っておこう」なるのだが今回はそうせず、妻からの一言「そろそろ買い替えたら?」の勧めに便乗することにした。

さて、調子が悪いのはパソコンだけではない。私の周囲では今、「調子のよくない話」が蔓延し始めている。

突然、片方の耳が聞こえなくなった身内。
母親の介護から、生活が破たん寸前まで追い込まれている親友。
奥さんのうつ病に端を発し、とうとう自分までもうつ病と診断された後輩。

見渡せば、私達の周りには「調子のよくない話」が満ち満ちでいる。

しかし、よくよく考えてみると、いや本当に冷静に考えてみると、今、どれだけ順風満帆な人生を歩んでいる人でも、今後、その状態が永久に続くことは無い。と言うか、人間である以上「調子のよくない話」を回避することは不可能である。

だから、多くの人が「救い」を求めるのだろう。

で、私自身、強烈に「救い」を求めてさ迷った時期がある。それは何をしてもアトピーが良くならず、やることなすこと裏目に出ていた頃。つまり20代の後半。

アトピー性皮膚炎。一生懸命取り組んでいるのにどうしても解決できない問題。そんな問題にぶつかって、悩み、途方に暮れ、もがき苦しんで。

「このままではもう、もうどうしょうもない・・・」

自分自身、人一倍常識人間であることを意識していたせいかもしれないが、当時、現実を直視するのは苦し過ぎた。

「静かな田舎で自給自足の生活をしたい・・・」。

それくらいしか、「救い」はないような気がした。

そんな誰よりも常識人であることを自負していた私が追い詰められ、もうヤケクソになって、当時の常識と反対のことをした。その帰結が「胃腸の健全化」。

炎症から痒くて我慢できない皮膚ではなく、便通を良くする胃腸へのアプローチ。

私の経験からすると、アトピー性皮膚炎と言う病気は決して自分以外の他人やモノに依存して解決できるような類の問題ではない。逆の言い方をするなら、この疾患を解決できるのは自分しかいない。と言うことだ。

もう少しシビアな見方をするなら、アトピーを親からの遺伝とか環境とか、とにかく自分以外の要因に責任転嫁しているなら、完治は難しいと思う。

アトピー性皮膚炎。これはコロナウイルスのような感染症とは違い、明らかに治る事が前提になっている疾患で、事実、その方法論は既に完治させた人の例からも明らか。

だから、今アトピーの人の使命はアトピーを完治させること。

私はそんな風に思うのだ。

事実、アトピーのままの身体とアトピーが治った後の身体では、古いパソコンから新しいパソコンに買い替えたくらい、スペックが上がるのだから。

 

「治ったみたい・・」ではなく、リアルに「治った!」を実感するために

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落ち葉のハロウィン

 

自分の知らない間に、自分が気付いていない間に物事だけが粛々と進行している。そう言うことが、この世で生きていると多々あるように思える。

で、ある日突然、その事実を知って驚いたり、喜んだり、悲しんだりするのだが、その理由、つまり原因に付いて深く考えることを普通はまずしない。

「治ったみたい・・・」

特別なことは何もしていないのにアトピーが治る。
これは実際、ひと昔前の子供や乳幼児のアトピーではよくある話だった。

特別な治療をしている訳ではない。

やっている事と言えば、皮膚科や小児科で処方されたステロイド外用薬を塗布するだけで、当時(1990年代まで)のアトピー治療と言えば、大体においてこれしか選択肢がなかったように思う。

で、それで問題があったのかと言えば、そうでもなかった。

実際、このパターンの治り方は今もあって、乳幼児や子供のアトピーに対して普通にステロイド外用薬を塗布しているだけで完治する例はある。

これは、一体どういうことだろう?

苦しむわが子の姿に耐え切れず、少しでも良くなる可能性を追い求める親の気持ちが、私には痛いほど分かる。それは未知なる可能性を求めて次から次へとさ迷い歩く、かっての私&父の姿と全く同じだからだ。

乳幼児や子供のアトピーに限って言えば、「時を待つ」と言う姿勢が大事なのではないかと思う。それは何もせず、ひたすら時間が経つのを待つと言う意味ではなく、敢えて言うなら「余計なことをしない」ということだ。

もう少し言うと、乳幼児とか子供(小学生)と言うのは身体的にまだまだ成長の途上であり、そのことは本人や周囲が気付いていなくても、粛々と進行している。

要するに自分や周囲が知らない間に、自分や周囲が気付いていない間に、身体の方は日々変化していて、当然、身体だけでなく胃腸(消化器官)も変化している。

つまり身体の成長と同期して、消化器官も発達しているのだ。

では、消化器官が発達するとどうなるのか?

アトピーが治る条件が整う。と私は思う。つまりアトピーを治すと言うことはアトピーが治るための条件を整えることで、これ以外のことはほとんど関係がない。

だから、

「特別なことは何もしていないのにアトピーが治った」と言うのは実際あり得る話で、それは本人が知らない間に、本人が気付かない所で「治る」ための条件が整っていたことを意味する。

私達は多くの場合、原因があって結果が出ると考える。

このこと自体は決して間違ってはいない。だから何か問題が生じた場合、私達はまずその原因を調べて対策を打とうとする。このアプローチは基本中の基本だろう。

ところが、世の中には必ずしもこのアプローチでは上手くゆかないケースがある。

それが「アトピー治療」ではないか、と私には思えるのだ。
どういう事かと言うと、結果を出すための原因を調べても調べても、それが見えてこない場合があって、このアプローチの仕方がまんまとこの場合に適合してしまうからだ。

その理由は至って単純で、原因と言うのは単一的な要因であればあるほど特定しやすいのだが、それが複数になると次第に手に負えなくなってしまうからだ。

つまり原因がAだけであれば特定するのは容易だが、A&B&CorDorEみたいに複数化&複雑化すると、それを特定するのはかなり困難になる。

では、どうすればよいのか? 

ここに福音がある。福音とは「良い知らせ」。つまりグッドニュース。
その福音とは、原因を特定するのではなく条件をひとつひとつ積み重ねるやり方。

要するに、最初から「治る」と分かっている条件をひとつひとつ積み上げるのだ。と言うと難しく聞こえるが、実はそんなことはない。

それにこのやり方だと乳幼児や子供だけでなく、大人のアトピーにも十分対応できる。100人の内の1人か2人だけが奇跡的に治るのではなく、100人が100人とも治らなければ、それは福音とは言えないだろう。言い換えると、福音とは負けることのない、最初から「成就」することが約束された方法である。

条件その1

胃腸を健全化させること。毎日、便通があること。理想は固すぎず柔らか過ぎず、表面が適度にコーティングされた長くて太い一本の便。臭いが少なくティッシュペーパーの消費量はほんの少し。で、所要時間は約1分。

これだけで、大半のアトピーは良くなる筈。

何を食べれば良いのか?
何を食べてはダメなのか?

その答えも、全て条件1に含まれています。


ところでハロウインって、秋の収穫をお祝いし、先祖の霊をお迎えすると同時に悪霊を追い払うお祭りで、仮面を被ったり、仮装するのは魔除けの意味があったのですね。

知らんかった~!