アトピー完治への道 飛鳥旬のブログ

アトピーは治してナンボ

恐れるものなど何もない

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生駒山


先月、アトピー新時代の話を少しした。

簡単に言うと、アトピー新時代とはそれまでの身体的なアプローチだけで完治していたアトピーが新たな局面を迎えたと言う意味で、特にここ10年ほどの間に、今までのカテゴリーには入らないタイプの人が増えているような気がする。

で、もう少し説明すると、それは身体的なアプローチに加えて、精神面、つまりメンタル面からのアプローチを必要としているタイプの人達で、このタイプに属するアトピー患者に対して、既存の医療システムの枠組みだけで治癒させるのは難しい気がする。

では、このタイプのアトピー患者の中に潜んでいる精神的なものとは何か?

それを具体的な例を挙げて説明するのは難しいのだが、いづれにせよその根底にあるのは「自己を肯定できない感覚」なようなものだと私は感じている。

職場での人間関係、夫婦間の問題、家族間の問題。

この手の悩みやストレスは、何も今に始まった話ではない。これらの問題は多かれ少なかれ昔からあったし、今後も無くなることは無いだろう。

で、これはあくまで私個人の感想であり根拠も論拠もないのだが、「自己を肯定できない感覚」の原因は、社会での格差が拡大したことに起因しているような気がしている。

数十年前、日本は中流社会と言われていた。

このことは実感としてよく分かる。
事実、私の同級生を見渡しても、超裕福でお金持ちと言われる友達は学年にせいぜい2・3人。で、その友達の親と言えば、大抵、会社の社長だったりしたものだ。

ところが現在、日本は中流社会ではなくなった。
つまり、ここ20年の間に「お金を持っている人」と「お金を持っていない人」の二極化が進んでしまったのだ。で、その結果、「貧富の差」が生じるようになった。

で、問題はここからなのだが、お金が「ある」とか「ない」と言う現実はそこから更に「〇〇を所有できない自分」とか「結婚できない自分」というような価値観と結びついてしまう傾向になる。「勝ち組」「負け組」等の表現はその代表例だろう。

お金が「ある」とか「ない」とか「高級車に乗る」とか「結婚しない」というのは、本来、人間の価値とは何の関係もない話で、それは人生観の問題。「勝ち」「負け」の話ではない。

ところが、この辺りの話が頭の中でグチャグチャになってしまうと厄介だ。

何故か?それは、自分を肯定できなくなってしまうからだ。

お金の無い自分と本来の自分。これが見事に同一化してしまうのだ。その結果、自分で「お金が無く結婚もできない自分」のレッテルを貼ってしまうことになる。

すると、その流れからマイナスのオーラで自分の身を覆うことになるのだが、厄介なのは、このマイナスオーラと言うのは必ずしも「心地悪い」ものではなく、むしろ心と身体を引き離す際には、逆に「心地よく」感じてしまうのだ。

これでは、アトピーを治すどころの話ではない。

アトピーを治す前提条件として、心と身体は常に一緒であることが望ましい。こんなことを医療機関では言われることは無いだろうが、実際はそういうことなのだ。

だから最低限の歯止めとして、ロクでもないことを考えていることに気付いた時には、「アカン」「アカン」と自分に戻ることが大切なのだ。

アトピーが酷い時、「アトピーのことを考えるな。気にするな。」と言う忠告が酷であることは重々承知の上で言うのだが、それは普段からの生活習慣を変えることで十分対処できる。

それを具体的に言うと、

クルマの運転をしている時は、運転に集中。
料理をしている時は、料理を作ることに集中。
歯を磨いている時は、歯を磨くことに集中。

これだけ。
これが心と身体を同一化させる一番の方法。

で、逆に、心と身体をバラバラにしてイライラ&ノイローゼに陥る秘訣も紹介。

それは、今の自分に集中せず、過去のことや未来のことをあれこれと空想する。あの時はあーだった、こーだったと悔やみ、まだ来ない将来を空想しては悲観する。すると見事に心と身体はバラバラに空中分解。

恐れるものなどなにもない。

アトピーなんてやることキチンとやれば、勝手に治るようになっているのだから。

「治す」よりも「治る」

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散歩道にある稲


「治す」よりも「治る」。

アトピーの場合、こっちの方が現実的な感覚に近い気がする。

15歳で発症したアトピーが、キレイさっぱり完治したのは33歳の時だが、その時の印象は、こんな感じ。

「こんなもんか・・・」「やれやれ・・・」

痒みが消えたこと自体は嬉しいのだが、「治った」と言う現実に対しては少し拍子抜けした感じ。それは全然衝撃的ではなかったし、感動的でもなかったからだ。

「これをこーすればこうなるよね」的な、極めてシンプルな世界。

それが、アトピーを治すと言うこと。つまり治療なのだと言うことを身を以て知った。そしてこの経験は、その後の私の考え方や人生に影響を与え続けた。

アトピーを自力で治す。

このように書けば、いかにも自発的で能動的な感じがする。で、そのことは必ずしも悪いことではないのだが、現実に即して言えば、自発的でなくても能動的でなくても、アトピーアトピーを治すための考え方と行動が身に付ければ治る。これが真実だ。

そして、そこには『私」とか「彼」とか「彼女」とかの制限はなく、単に原因と結果の世界があるだけ。だから「治す」と言った主観的な言葉より、「治る」と言った客観的な言葉の方が現実に即している気がする。

ところが、人生は面白い。

私が、自分のアトピーを治したのは33歳。この時、私は自分のアトピーを自分の力で「治した」と思っていたので、とにかくその事実を誰かに伝えたくて仕方なかった。

要するに、それは当時の医療機関アトピー治療に対していかに無力であるか、そして、その厄介なアトピーを自力で治した自説&持論を聞いて欲しかったのだ。

で、私が何をしたかと言うと、会社の後輩に話しまくった。

後輩だけではない。私がアトピーだったことを知らない人がいれば、とにかくその話を持ちかけた。今思えば迷惑な話だが、当時の私はそれほど「オレは自分でアトピーを治したんだ!」と訴えたかった。

で、その結果だが、アトピーに関心のない人に対してアトピーの話をしても、当然、興味はない。それはギャンブルに感心の無い人に対して、競馬必勝法やパチンコ攻略法を自慢げに語るようなものだ。と言うことに気付いた。

と同時に、この時、私はハッと目が覚めた。

「自分がアトピーであることなんて、他人は全然気にしていない。」

私は自分がアトピーの時、周囲の視線が気になって仕方なかった。それはアトピーである自分を人はどのように観ているか?に対する恐れに近い感覚だったのだが、そんなものは幻想に過ぎないことを、この時、気付いた。

自分がアトピーのことばかり考えていた時、他の人は私のアトピーのことを考えている訳ではなく、自分のことを考えていたのだ。それは自分の小さなニキビのことかもしれないけれど、とにかくそこに種類や程度は関係なく、圧倒的な時間、人は自分のことを考えている。このことに気付いた。

話を戻そう。

アトピーを治す場合、私は一旦「自分自身」から少しだけ距離を置いて接するのがいい気がする。できるなら「自分」「自分」「オレが」「オレが」と言うスタンスではなく、一旦、主観的な見方から離れてしまう方が良いように思うのだ。

何故なら、主観が入ると、それに伴って肩に力が入るように思えるからだ。どこかに力みが入り、自然体でいることが難しくなる。これが良くない。

力んでも力まなくても、アトピーは治る時は治るし、治らない時は治らない。
それは、原因と結果が根底にあるからで、自分とかオレとか、そういうものは殆ど関係がない。だから、本気でアトピーを治したいなら、アトピーを治すための日常を淡々と続けるだけ。これが原因となる訳で、その結果が完治。

だがら、私(オレ)が「治す」よりも、自ずと「治る」。

台風10号接近中。

ご注意あれ。



アトピーは治してナンボ

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箕面の滝


アトピーは「治してナンボ」と思っている。
このスタンスは昔から変わらないのだが、最近、益々そう思うようになった。

アトピーは治してナンボ。
つまり「アトピーはやはり完治させなきゃ・・」と言いたい訳だが、だからと言って、それは必ずしも「結果がすべて」と言う意味ではない。

この点に関して、むしろ自分は結果論者ではないと思っていて、これは自分が今まで歩んできた経験に照らしてみてもそうだ。要するに、大切なのは「結果」より「過程」、つまりプロセスであり、プロセスこそがその後の人生の糧であり、結果なんかに縛られているとロクなことにはならない。と思っている。

身近な例として、仕事上の失敗がある。

仕事でミスをしたとする。
そして、そのことで周囲に迷惑を掛けてしまったとする。ミスしたことは事実。また迷惑を掛けたことも事実。それはひとつの結果ではある。

だが人間と言うのはそもそもミスや失敗を犯す生き物だし、見方を変えればミスや失敗を犯さないなら、それはもはや人間ではない。ともいえる。

つまり、この世に生きている以上、他人に迷惑を掛けず生きていける者は誰もいないのが現実で、そういう前提なら、重要なのは失敗しないことより、失敗に至ったプロセス(過程)を直視すること。或いは失敗に対しては、自他ともに寛容になること。と言った人生訓のような流れになる訳だが、これはこれで自分も「確かに・・」と思う部分はある。

事実、何かの失敗をした場合、その失敗の原因を究明することで、その後、少なくとも同じ類の失敗の数は減る。これが現実だ。

ところが、
とろころが・・・。である。

アトピーだけは事情が違う。と思うのだ。
つまりアトピーの場合、完治させない限り、そこに至るまでのプロセスには殆ど意味が無いように思うのだ。言い方を変えると、アトピーと言う病気はは治してこそ、初めてそれまでのプロセスの意味が見えてくる仕組みになっている。

その証拠に、今、アトピーの人がその原因を究明しようと頑張ってみても、多分、原因は見えてこない。そうではなくて、アトピーを完治させてこそ初めて、「あれが原因だったのか・・・」となる。これが現実なのだ。

だから、アトピーは治してナンボ。

で、こんな風に言うと少し大袈裟に聞こえるかも知れないが、自力でアトピーを治してみると、そこにはその本人しか知ることの出来ない体験ゾーンと言うか、人生からのプレゼントと言うか、上手く表現できないけれど、要するに完治に至るまでの過程(プロセス)が、その後の人生への大きなプレゼントになっていることを経験するはずだ。

生きている限り、良いこともあれば、悪いこともある。

良いことばかりが続かないように、悪いことばかりも続かない。と言うか、巨視的に観れば、「良い」も「悪い」もないかもしれない。

アトピーは自分で治そう!と決心して治せる病気であり、誰かに治して貰う病気でもなければ、クスリでコントロールするような疾患でもない。

で、必ずしもクスリで症状をコントロールすることが悪いとは言わないが、それは「完治」とは雲泥の差であることだけは事実である。

私は自分経験から、アトピーごときに人生をメチャクチャにされるのは避ける方が良いし、それは十分可能だと言いたいのだ。正直言って、アトピーと対峙している時間は勿体ない。それなら、その時間をもっと有意義なことに使う方が良いと思う。

それは充分可能なのだから。

アトピー新時代

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大好きな奈良県十津川村の風景

昨日、59回目の誕生日を迎えた。

59歳と言えば、阪本竜馬や西郷隆盛織田信長よりも遥かに年上ではないか。そんな今の自分を振り返ってみると、ふと不思議な気持ちになる。

それは今の自分と10代・20代の自分、或いは30代・40代の自分では違う人物のように思えてしまうこと。身体の変化は分かり易い。(あまり見たくないが・・・)。一方、何かに対する考え方や感じ方、反応の仕方も大きく変化していることに気付く。

世の中は常に変化している。一方、自分も常に変化している。

これが「無常」と言うものか?
これが「無我」と言うものか?

若い頃、「オレはオレ」なんて思っていたが、「オレと呼べる唯一無二の自分」なんてあるのかな?と思う今日この頃である。

さてそんな私ではあるが、人格形成というか、とにかく今の自分を形成している根底には、アトピー時代の出来事や経験が大きく関与しているように思える。

中でも一番強く感じるのは、いわゆる世間的な常識とか価値観に対して「ちょっと待て・・・」と言う感覚がこの当時の経験を通じて芽生えたことだ。

私のアトピー時代。
それは、過去のアトピー常識と価値観が通用しなくなる時代の幕開けだった(ように思う)。

事実、私は自分のアトピーをそれまでの延長戦上にある治療法では治しておらず、それは、ステロイドを使って「運がよけれ治る」的なものとは根本から違っていた。とは言え、私のアトピー以前なら、従来型のステロイドを中心とした治療法でも十分対応できていたし、そもそも私のような成人型のアトピー患者の数自体が少なかったこともまた事実である。

あれから数十年。

その間、ずっとアトピー患者の方々と接してきてみて今、感じることがある。それはアトピーと言う病気の治し方が新たな局面を迎えていると言う点である。

それを大雑把に言うとこんな感じ。

第Ⅰ期(1970年代まで)
アトピー患者がまだ子供中心だった時代。ステロイド外用薬を中心とした治療でそれなりの効果があった。この頃はアトピーより小児喘息の方が数は多かったように思う。

第Ⅱ期間(1970~2010年頃)
成人型アトピーの増加が顕著になった時代。ステロイド一辺倒の治療に限界、マスコミによる「ステロイドバッシング」が勃発。私はこの時代の初期の患者で、いわゆるステロイド皮膚症やリバウンドの経験から、全くステロイドを使わずに自力で完治させた。

第Ⅲ期(2010~現在)
メンタル型アトピー患者の時代。この「メンタル型アトピー」は私の造語だが、要するに、治療には身体的なアプローチだけではなく、同時に精神面からのアプローチが必要となるアトピーパターンで、簡単に言えば患者が抱えている潜在的なメンタルの悩み・苦しみを氷解させる治療が必要で、この点を無視すると快便・快食・快眠さえもままならず、身体的な変化も望めない。

と、このように書くと、お先真っ暗な感じだが、全然そんなことはない。と言うか、ここにはむしろ大きなチャンスが潜んでいる。

今後、このことに関しては順次紹介していきたいと思うが、今回そのヒントを記しておくと、それは「無条件降伏」という言葉がピッタリな感じがする。

そう。「無条件降伏」。

「無条件降伏!?」。
分からないですね?

太平洋戦争で日本が受け入れたポツダム宣言
あれ「無条件降伏」です。で、その後、無条件降伏を受け入れた日本はどうなった?

と言うか、無条件降伏を受け入れなかったら?今頃日本は・・・
そっちの方がヤバかった気もします。

アトピーと言う病気は強靭な精神力だけで立ち向かおうとすると粉砕されます(多分)。で、これに勝とうと思えば、相手以上にこちらが柔軟になる。

そうすれば、アトピーの方から「止めておこう。こんなの相手にするのは・・・」

と言うことで、今回はこの辺りで。

 

最初にやること

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今日の生駒山


アトピーだった頃、いろんなトラブルに遭遇した。

それは、必ずしもアトピーが理由のものばかりでなく、アトピーも含めて、当時の自分がトラブルに遭遇しやすい体質の人間だった。と言うのは大いにある。

例えば、こんな感じ。

トラブルに遭遇する。
その結果、痛い目に遇う。
で、「もう二度とこんな痛い目には逢いたくない!」と思う。

ここまでは問題ない。
多分、大半の人がここまでなら同じ筈。

ところが、問題はここから。

それほど痛い目に遇ったのなら、何らかの対策を打ってもよさそうなものだが、大抵の場合、当時の私はしなかった。

「こーゆうことは今回限り・・・」

「同じことはもう起こらない・・・」

楽天的と言えば楽天的。
実際、何もしなくても、時間が解決してくれることは多々ある。

「私はいつも忙しい。」
「そんなことイチイチ考えている暇はない。」

心のどこかでは、そんな言い訳もあった。

で、その後はどうなったか?

そのまま何もしなくても、消えた問題もゼロではない。
その一方ではアトピーを含め、生活上のトラブルや厄介な出来事は無くなるどころか一層巨大化した。まだ目の前のトラブルさえ解決していないのに、そこに覆いかぶさるように新たなトラブルが次から次へとやってきた。

こーゆうことが数年続いた。
で、確かあれは30歳を目前にした頃だった思う。

自分の力ではどうすることも出来ないディープな問題に直面した。
事実、それはもう自分の努力の範囲を超えていて、自分ではどーすることもできない出来事だった。

この経験を通じて、私は変わったように思う。

人生には「自分の努力で何とかなる事と努力だけではどーにもならない事がある」

この思いは、ある日を境に突然芽生えたものではなく、ゆっくりゆっくり時間を掛けて私の中で定着していったものだろう。

ところで、
日々遭遇するトラブルや厄介な出来事に遭遇した際、私達はどんな風に対処すればいいのだろう?

当然、具体的な対処法は問題の内容や質に拠るだろう。
その一方で厄介な問題やトラブルに向き合う場合は、その際の心構えと言うか、心のあり方によって、結果が大きく左右することは多々経験してきた。

もう少し具体的に言うと、私の場合、厄介なトラブルや問題に遭遇すると、まずその瞬間から自分の「行動スピード」を極端に落とす。

行動スピードとは喋ったり、書いたり、読んだり、飲んだり、食べたり。
とにかく、自分の全ての動きをワンテンポ遅くする。

何故か?

それは、心を落ち着けるためだ。
人は普段経験しないような厄介な問題に直面した際、まず心が揺れる。心が揺れると言う状態は平常心では無い状態だから、当然、普段ではしないような間違った判断を下しやすくなる。

で、問題はここなのだが、心が揺れて平常心を失っている時、「落ちつけ」「落ちつけ」と自分に言い聞かせて、それで実際、心は落ち着くだろうか?

私の経験上、これはほぼ不可能に近い。と言うか、無理だ。

そう。無理なのだ。
普段から心の鍛錬をしている人なら話は別だが、いきなり「落ちつけ」「落ちつけ」と自身に言い聞かせた所で、普通の人の心はそんなに簡単に落ち着くものではない。

だから、こーゆう時は「心」からアプローチするのではなく、まずは「体」の方からアプローチする方が効果的なのだ。

だから、「落ち漬け」「落ち漬け」と心に向かって言い聞かせるのではなく、手足を含めた体全ての行動のスピードを落すと、自ずと心もスピードを落とす。

これはある意味、深呼吸と同じ効果だが、持続性と言う面からは深呼吸より効果はある。(勿論、即効性では深呼吸の方が効果はあるが。)


それからもうひとつ。

「胃腸の健全化」を目指す場合、普段より意識して行動スピードを落とすことはかなり効果的で、特に「腹八分目」や「お腹減った!」と感じてから食べる生活習慣を身に付けるには、心がフワフワとした状態のままだとまくゆかない。

実際、生きていると「わかっちゃいるけど、やめられない」と言うことは多いが、この場合、私の経験からすると、直接心からアプローチするやり方よりも、一旦体を通じてアプローチするやり方の方が結果は出やすい。

やっぱりそうやん!

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散歩道

肩こりが消えた。

あれほどマッサージに行っても整体院に行っても、全然良くならなかったのに。そーゆうものは全部止めて半年、私の肩こりは、きれいさっぱり消えた。

特別なことは何もしていない。

やったことと言えば、朝夕のストレッチ&日々の姿勢に気を付ける事。これだけ。で、私の肩こりは見事に消えた。

慢性的な痛みや痒み。

こういうものを取り除こうと思えば、その痛みや痒みが出ている箇所から一旦離れ、その原因となっている別の箇所をしっかり見極める必要があるし、事実、今回もその通りになった。

肩こりを例に取ると、私の場合、その原因は肩甲骨にあった。

これは必ずしも珍しい話ではなく、肩甲骨の動きが良くなることで肩こりが軽減されるケースは多い。従って日々のストレッチも、この肩甲骨の動きが良くなる動きを取り入れ、後は普段の姿勢に気を付けることを習慣付ける。

肩こりを治すのにいくら肩をマッサージしても治らない理由は、そこに原因がないからで、このことはアトピーも同じ。と言うか、アトピーの方がもっと単純明快かもしれない。

アトピーの症状では皮膚が痒くなるが、痒くなる原因は皮膚そのものにはない。

アトピーを治すには絶対に外せないポイントがあって、それは「胃腸の健全化」だと私は思う。但し「胃腸の健全化」とは単に腸内細菌を整えるようなレベルの話ではないのだが、ここをしっかり見極めないと、それこそ慢性化した大人のアトピーは治すのが難しくなる。

簡単に言えば「胃腸の健全化」とは消化器官が正常に機能していることを意味するのだが、消化器系の働きは自律神経系とも密接な関係にあるから、いわゆる「ストレス」の多い人ほど「胃腸の健全化」も難しくなる。

重い心配事や不安事が重なると、食欲が落ちるのはその典型例だろう。

人体はその防衛反応から極度なストレスに対しては食欲を落とすことで生命を維持しようとするのだが、厄介なことに、アトピーそのものがストレスであることから、自律神経の乱れが消化器の乱れへと繋がるパターンに陥る。これは負のスパイラルだ。

ではどうすればよいのか?

まずは、この負のスパイラルを断ち切ることだ。
その手っ取り早し方法は単純で、負のスパイラルと逆の生活習慣を行うこと。

例えば、私の経験上、人間と言うものは何かに対して「不満」と「感謝」の感情を一緒に抱くことはできないように作られている。これは実際やってみると分かるが、同じタイミングで「不満」と「感謝」は絶対に同居できない。

と言うことは、そもそもストレスと言うのは何かに対する「不満」なのだから、これを一旦引き下がらせて、もう一方の「感謝」を全面に出すような生活習慣を繰り返すことで、自ずと自律神経系は正常な向きに戻りはじめる。

そうすると、正常な方向に向き始めた自律神経系と同期して、今度は消化器系の働きも健全化の方向に向かう。これが正のスパイラル。

他の病気や疾患ことは分からないが、私に言わせればアトピーは当たり前のことを当たり前にキチンとやれば治るのが普通だし、それは肩こりが治るプロセスと変わらない。それはある意味、水が高い所から低い所へ流て行くようなものだ。

 

克服奮闘記4

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リラックス コーヒーでもいかが?


アトピーを治す過程の中で何が一番の障害だったかと言えば、それは間違いなく「悩み過ぎ」「考え過ぎ」だったと思う。このことを教訓にその後の人生で、私はとにかく何らかの問題に直面した際、できるだけ悩まないよう、考え過ぎないようにしている。

問題の解決には、神経を集中して冷静でいる必要はあるが「悩む」必要は全くない。「悩み」過ぎることの弊害は、それこそ嫌と言うほど経験した。

例えば、こんなことがあった。

それは、アトピーが顔に出てからまだ間もない頃の話。ある人から「アトピーなんてこの世から無くなればいいのにね~」と軽く言われた時のことだ。

その人は、嫌味でそう言ったわけでない。
しかしその言葉が本当に心の底から出たものか、それとも口先から出たものか、自分に余裕が無い時ほど、自分が弱者であることに自覚的な時ほど、微妙に、いや必要以上に敏感に感じ取ってしまうものらしい。

あの時、私の本音はこうだった。

アトピーは無くならなくてもいい。」
「自分同様、周囲の皆がアトピーになればいいのだ。」

当時の私には、自分のアトピーが治るより、周囲の人が皆、アトピーになる方がよほど現実味があり、問題が解決するかのように思えた。

この場合、本来、変えなくてはならないのは自分の方なのだが、考え過ぎ、悩み過ぎると、環境&周囲の人間を変えてしまいたい衝動に駆られる。

恐ろしいことに、考え過ぎると、悩み過ぎると、この類の思考がごく普通に芽生える。さらに厄介なのは、その状態(思考)に自身が無自覚でいることだ。

例えば今、熱が出たとしよう。

この熱に対して「コレ、もしかして新型コロナウイルス?」と言う不安が出たとする。で、その不安に対して「では検査を受ける」とか、それなりの行動を取ればいいだけ。ところが厄介なのはただ考え、ただ悩む、こと。

こうなると、話が変な方向に進んでしまう。

アトピーと言うのは真の光に照らし出されたその人本来の姿ではなく、単なる症状であり、それは単なる発熱と本質は変わらない。だから自分=アトピーなんて捉えなくていいのだ。

過去20年、いろんなタイプのアトピーの人から相談を受けてきた。

そんな中、長年アトピーから抜け出せないままの人の特徴のひとつとして、「考え過ぎ」「悩み過ぎ」は間違いなくある。

一方、

「アカンアカン!」

「こんなことばかり考えてたら変になる!」

こんな風に、自ら気付ける人には救いがある。
要するに、どんな厄介事に直面しても、心まで病ませることはないのだ。

「人生とは本当に美しいものだと思います。」と断言したのは、盲目で聾唖者だったヘレンケラー。

一見、アトピーとは何の関係もない話のように感じるかもしれないが、このようなことは本当に大事で、人生そのものを有意義にする秘訣のように感じる。