アトピー完治への道 飛鳥旬のブログ

アトピーは治してナンボ

アトピー新時代

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大好きな奈良県十津川村の風景

昨日、59回目の誕生日を迎えた。

59歳と言えば、阪本竜馬や西郷隆盛織田信長よりも遥かに年上ではないか。そんな今の自分を振り返ってみると、ふと不思議な気持ちになる。

それは今の自分と10代・20代の自分、或いは30代・40代の自分では違う人物のように思えてしまうこと。身体の変化は分かり易い。(あまり見たくないが・・・)。一方、何かに対する考え方や感じ方、反応の仕方も大きく変化していることに気付く。

世の中は常に変化している。一方、自分も常に変化している。

これが「無常」と言うものか?
これが「無我」と言うものか?

若い頃、「オレはオレ」なんて思っていたが、「オレと呼べる唯一無二の自分」なんてあるのかな?と思う今日この頃である。

さてそんな私ではあるが、人格形成というか、とにかく今の自分を形成している根底には、アトピー時代の出来事や経験が大きく関与しているように思える。

中でも一番強く感じるのは、いわゆる世間的な常識とか価値観に対して「ちょっと待て・・・」と言う感覚がこの当時の経験を通じて芽生えたことだ。

私のアトピー時代。
それは、過去のアトピー常識と価値観が通用しなくなる時代の幕開けだった(ように思う)。

事実、私は自分のアトピーをそれまでの延長戦上にある治療法では治しておらず、それは、ステロイドを使って「運がよけれ治る」的なものとは根本から違っていた。とは言え、私のアトピー以前なら、従来型のステロイドを中心とした治療法でも十分対応できていたし、そもそも私のような成人型のアトピー患者の数自体が少なかったこともまた事実である。

あれから数十年。

その間、ずっとアトピー患者の方々と接してきてみて今、感じることがある。それはアトピーと言う病気の治し方が新たな局面を迎えていると言う点である。

それを大雑把に言うとこんな感じ。

第Ⅰ期(1970年代まで)
アトピー患者がまだ子供中心だった時代。ステロイド外用薬を中心とした治療でそれなりの効果があった。この頃はアトピーより小児喘息の方が数は多かったように思う。

第Ⅱ期間(1970~2010年頃)
成人型アトピーの増加が顕著になった時代。ステロイド一辺倒の治療に限界、マスコミによる「ステロイドバッシング」が勃発。私はこの時代の初期の患者で、いわゆるステロイド皮膚症やリバウンドの経験から、全くステロイドを使わずに自力で完治させた。

第Ⅲ期(2010~現在)
メンタル型アトピー患者の時代。この「メンタル型アトピー」は私の造語だが、要するに、治療には身体的なアプローチだけではなく、同時に精神面からのアプローチが必要となるアトピーパターンで、簡単に言えば患者が抱えている潜在的なメンタルの悩み・苦しみを氷解させる治療が必要で、この点を無視すると快便・快食・快眠さえもままならず、身体的な変化も望めない。

と、このように書くと、お先真っ暗な感じだが、全然そんなことはない。と言うか、ここにはむしろ大きなチャンスが潜んでいる。

今後、このことに関しては順次紹介していきたいと思うが、今回そのヒントを記しておくと、それは「無条件降伏」という言葉がピッタリな感じがする。

そう。「無条件降伏」。

「無条件降伏!?」。
分からないですね?

太平洋戦争で日本が受け入れたポツダム宣言
あれ「無条件降伏」です。で、その後、無条件降伏を受け入れた日本はどうなった?

と言うか、無条件降伏を受け入れなかったら?今頃日本は・・・
そっちの方がヤバかった気もします。

アトピーと言う病気は強靭な精神力だけで立ち向かおうとすると粉砕されます(多分)。で、これに勝とうと思えば、相手以上にこちらが柔軟になる。

そうすれば、アトピーの方から「止めておこう。こんなの相手にするのは・・・」

と言うことで、今回はこの辺りで。

 

最初にやること

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今日の生駒山


アトピーだった頃、いろんなトラブルに遭遇した。

それは、必ずしもアトピーが理由のものばかりでなく、アトピーも含めて、当時の自分がトラブルに遭遇しやすい体質の人間だった。と言うのは大いにある。

例えば、こんな感じ。

トラブルに遭遇する。
その結果、痛い目に遇う。
で、「もう二度とこんな痛い目には逢いたくない!」と思う。

ここまでは問題ない。
多分、大半の人がここまでなら同じ筈。

ところが、問題はここから。

それほど痛い目に遇ったのなら、何らかの対策を打ってもよさそうなものだが、大抵の場合、当時の私はしなかった。

「こーゆうことは今回限り・・・」

「同じことはもう起こらない・・・」

楽天的と言えば楽天的。
実際、何もしなくても、時間が解決してくれることは多々ある。

「私はいつも忙しい。」
「そんなことイチイチ考えている暇はない。」

心のどこかでは、そんな言い訳もあった。

で、その後はどうなったか?

そのまま何もしなくても、消えた問題もゼロではない。
その一方ではアトピーを含め、生活上のトラブルや厄介な出来事は無くなるどころか一層巨大化した。まだ目の前のトラブルさえ解決していないのに、そこに覆いかぶさるように新たなトラブルが次から次へとやってきた。

こーゆうことが数年続いた。
で、確かあれは30歳を目前にした頃だった思う。

自分の力ではどうすることも出来ないディープな問題に直面した。
事実、それはもう自分の努力の範囲を超えていて、自分ではどーすることもできない出来事だった。

この経験を通じて、私は変わったように思う。

人生には「自分の努力で何とかなる事と努力だけではどーにもならない事がある」

この思いは、ある日を境に突然芽生えたものではなく、ゆっくりゆっくり時間を掛けて私の中で定着していったものだろう。

ところで、
日々遭遇するトラブルや厄介な出来事に遭遇した際、私達はどんな風に対処すればいいのだろう?

当然、具体的な対処法は問題の内容や質に拠るだろう。
その一方で厄介な問題やトラブルに向き合う場合は、その際の心構えと言うか、心のあり方によって、結果が大きく左右することは多々経験してきた。

もう少し具体的に言うと、私の場合、厄介なトラブルや問題に遭遇すると、まずその瞬間から自分の「行動スピード」を極端に落とす。

行動スピードとは喋ったり、書いたり、読んだり、飲んだり、食べたり。
とにかく、自分の全ての動きをワンテンポ遅くする。

何故か?

それは、心を落ち着けるためだ。
人は普段経験しないような厄介な問題に直面した際、まず心が揺れる。心が揺れると言う状態は平常心では無い状態だから、当然、普段ではしないような間違った判断を下しやすくなる。

で、問題はここなのだが、心が揺れて平常心を失っている時、「落ちつけ」「落ちつけ」と自分に言い聞かせて、それで実際、心は落ち着くだろうか?

私の経験上、これはほぼ不可能に近い。と言うか、無理だ。

そう。無理なのだ。
普段から心の鍛錬をしている人なら話は別だが、いきなり「落ちつけ」「落ちつけ」と自身に言い聞かせた所で、普通の人の心はそんなに簡単に落ち着くものではない。

だから、こーゆう時は「心」からアプローチするのではなく、まずは「体」の方からアプローチする方が効果的なのだ。

だから、「落ち漬け」「落ち漬け」と心に向かって言い聞かせるのではなく、手足を含めた体全ての行動のスピードを落すと、自ずと心もスピードを落とす。

これはある意味、深呼吸と同じ効果だが、持続性と言う面からは深呼吸より効果はある。(勿論、即効性では深呼吸の方が効果はあるが。)


それからもうひとつ。

「胃腸の健全化」を目指す場合、普段より意識して行動スピードを落とすことはかなり効果的で、特に「腹八分目」や「お腹減った!」と感じてから食べる生活習慣を身に付けるには、心がフワフワとした状態のままだとまくゆかない。

実際、生きていると「わかっちゃいるけど、やめられない」と言うことは多いが、この場合、私の経験からすると、直接心からアプローチするやり方よりも、一旦体を通じてアプローチするやり方の方が結果は出やすい。

やっぱりそうやん!

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散歩道

肩こりが消えた。

あれほどマッサージに行っても整体院に行っても、全然良くならなかったのに。そーゆうものは全部止めて半年、私の肩こりは、きれいさっぱり消えた。

特別なことは何もしていない。

やったことと言えば、朝夕のストレッチ&日々の姿勢に気を付ける事。これだけ。で、私の肩こりは見事に消えた。

慢性的な痛みや痒み。

こういうものを取り除こうと思えば、その痛みや痒みが出ている箇所から一旦離れ、その原因となっている別の箇所をしっかり見極める必要があるし、事実、今回もその通りになった。

肩こりを例に取ると、私の場合、その原因は肩甲骨にあった。

これは必ずしも珍しい話ではなく、肩甲骨の動きが良くなることで肩こりが軽減されるケースは多い。従って日々のストレッチも、この肩甲骨の動きが良くなる動きを取り入れ、後は普段の姿勢に気を付けることを習慣付ける。

肩こりを治すのにいくら肩をマッサージしても治らない理由は、そこに原因がないからで、このことはアトピーも同じ。と言うか、アトピーの方がもっと単純明快かもしれない。

アトピーの症状では皮膚が痒くなるが、痒くなる原因は皮膚そのものにはない。

アトピーを治すには絶対に外せないポイントがあって、それは「胃腸の健全化」だと私は思う。但し「胃腸の健全化」とは単に腸内細菌を整えるようなレベルの話ではないのだが、ここをしっかり見極めないと、それこそ慢性化した大人のアトピーは治すのが難しくなる。

簡単に言えば「胃腸の健全化」とは消化器官が正常に機能していることを意味するのだが、消化器系の働きは自律神経系とも密接な関係にあるから、いわゆる「ストレス」の多い人ほど「胃腸の健全化」も難しくなる。

重い心配事や不安事が重なると、食欲が落ちるのはその典型例だろう。

人体はその防衛反応から極度なストレスに対しては食欲を落とすことで生命を維持しようとするのだが、厄介なことに、アトピーそのものがストレスであることから、自律神経の乱れが消化器の乱れへと繋がるパターンに陥る。これは負のスパイラルだ。

ではどうすればよいのか?

まずは、この負のスパイラルを断ち切ることだ。
その手っ取り早し方法は単純で、負のスパイラルと逆の生活習慣を行うこと。

例えば、私の経験上、人間と言うものは何かに対して「不満」と「感謝」の感情を一緒に抱くことはできないように作られている。これは実際やってみると分かるが、同じタイミングで「不満」と「感謝」は絶対に同居できない。

と言うことは、そもそもストレスと言うのは何かに対する「不満」なのだから、これを一旦引き下がらせて、もう一方の「感謝」を全面に出すような生活習慣を繰り返すことで、自ずと自律神経系は正常な向きに戻りはじめる。

そうすると、正常な方向に向き始めた自律神経系と同期して、今度は消化器系の働きも健全化の方向に向かう。これが正のスパイラル。

他の病気や疾患ことは分からないが、私に言わせればアトピーは当たり前のことを当たり前にキチンとやれば治るのが普通だし、それは肩こりが治るプロセスと変わらない。それはある意味、水が高い所から低い所へ流て行くようなものだ。

 

克服奮闘記4

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リラックス コーヒーでもいかが?


アトピーを治す過程の中で何が一番の障害だったかと言えば、それは間違いなく「悩み過ぎ」「考え過ぎ」だったと思う。このことを教訓にその後の人生で、私はとにかく何らかの問題に直面した際、できるだけ悩まないよう、考え過ぎないようにしている。

問題の解決には、神経を集中して冷静でいる必要はあるが「悩む」必要は全くない。「悩み」過ぎることの弊害は、それこそ嫌と言うほど経験した。

例えば、こんなことがあった。

それは、アトピーが顔に出てからまだ間もない頃の話。ある人から「アトピーなんてこの世から無くなればいいのにね~」と軽く言われた時のことだ。

その人は、嫌味でそう言ったわけでない。
しかしその言葉が本当に心の底から出たものか、それとも口先から出たものか、自分に余裕が無い時ほど、自分が弱者であることに自覚的な時ほど、微妙に、いや必要以上に敏感に感じ取ってしまうものらしい。

あの時、私の本音はこうだった。

アトピーは無くならなくてもいい。」
「自分同様、周囲の皆がアトピーになればいいのだ。」

当時の私には、自分のアトピーが治るより、周囲の人が皆、アトピーになる方がよほど現実味があり、問題が解決するかのように思えた。

この場合、本来、変えなくてはならないのは自分の方なのだが、考え過ぎ、悩み過ぎると、環境&周囲の人間を変えてしまいたい衝動に駆られる。

恐ろしいことに、考え過ぎると、悩み過ぎると、この類の思考がごく普通に芽生える。さらに厄介なのは、その状態(思考)に自身が無自覚でいることだ。

例えば今、熱が出たとしよう。

この熱に対して「コレ、もしかして新型コロナウイルス?」と言う不安が出たとする。で、その不安に対して「では検査を受ける」とか、それなりの行動を取ればいいだけ。ところが厄介なのはただ考え、ただ悩む、こと。

こうなると、話が変な方向に進んでしまう。

アトピーと言うのは真の光に照らし出されたその人本来の姿ではなく、単なる症状であり、それは単なる発熱と本質は変わらない。だから自分=アトピーなんて捉えなくていいのだ。

過去20年、いろんなタイプのアトピーの人から相談を受けてきた。

そんな中、長年アトピーから抜け出せないままの人の特徴のひとつとして、「考え過ぎ」「悩み過ぎ」は間違いなくある。

一方、

「アカンアカン!」

「こんなことばかり考えてたら変になる!」

こんな風に、自ら気付ける人には救いがある。
要するに、どんな厄介事に直面しても、心まで病ませることはないのだ。

「人生とは本当に美しいものだと思います。」と断言したのは、盲目で聾唖者だったヘレンケラー。

一見、アトピーとは何の関係もない話のように感じるかもしれないが、このようなことは本当に大事で、人生そのものを有意義にする秘訣のように感じる。


克服奮闘記3

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近所の風景


やりたいことがある。

それは、日本一周ひとり釣り旅。
それは「今すぐ!」と言う訳ではないが、必ず実現させるつもりでいる。
スタイルは、今流行りの車中泊をメインとしたものになるだろう。

私自身、「釣り」そのものに対して特別な思い入れがある訳ではなく、それこそ行かない時は全然行かない。ただひとつ言えることがあって、それは私の人生にもし「釣り」が無ければ、今、こんな風にアトピーを乗切ることが出来なかった。と言うことだ。

もちろん、釣りに行くことで直接アトピーが治った訳ではない。

そうではなくて、私にとっての「釣り」はある意味、避難場所と言うか、精神的にも肉体的にも行き場を失った自身を守ってくれるシェルターの如く、それは家族とか友人達とはまた別の意味での「救い」であった。

真っ赤な顔をして、恥ずかしくて、悔しくて、情けない。

そんな屈辱的な日々を何とか生きてこれたのは、釣りをしている間の時間だけがその屈辱的な時間の全て帳消しにしてくれる程ではないにせよ、少なくとも埋め合わせてくれる程度に作用していたことは間違いない。

その後、案の定と言うか、アトピーが完治してから釣りに行く回数は減った。

もう少し正確に言う.と、自分が生きている中で比較的順調な時には釣りに行かず、何らかの迷いやトラブルを抱えた時ほど釣りに行く。このパターンが続いた。

さて、

では何故、釣りに行くことで私は救われたのか?

正直、この件に関して当時はあまりよく分かっていなかったのだが、今ならそれがハッキリと分かる。そして応用することもできる。

それは大自然の中でのんびり時間を過ごしたことが影響したとか、確かに、そういう一面はあるだろう。しかし本当の所はこうだ。

私は中学生の頃からそうなのだが、釣りに行く時だけは真剣に事前に準備をして、釣り場に到着したら「魚を釣る」ことだけに全神経を集中する。それは普段、勉強に対する私の姿ではなく、またその後の仕事に向き合う私の姿とも違う。

とにかく釣り場に到着するや否や、冷静に淡々と作業を進める。
ロッドにリールを固定して仕掛けにエサを付けて投入するまで、ラインのトラブルを起こさないよう、細心の注意を払って淡々と作業を進める。

勿論、それ以外の情報、例えば潮の満潮&干潮等は調査済み。

このようにひとつひとつ自分の動作(所作)に注意を払っていると、不思議と心が安定してくる。で、心が安定すると言うことは、同時に自身を客観的に観察できている証拠でもあるのだが、当時はまだそのことの意味、重要性には気付いていなかった。

冷静でいること。醒めた(冷めたではなく)心で自身を客観視できること。

医療機関だとこのような話は一蹴されるかもしれないが、アトピーのような慢性病と闘う場合、私はこのような精神上の経験はかなり有効だと思っている。

アトピーを治す際、「医者任せにせず真剣にアトピーと向き合いなさい」等と言われることがある。しかし真剣に治したいなら、向き合う相手は「アトピーではなく自分自身」だと私なら思う。

真剣に自分自身と向き合っていれば、当然、人のアラを探している時間はない。

ここが本当に言葉や文字では伝わりにくく、また誤解を招く箇所なのだが、自分自身と向き合うと言うのは、本当に今、自分のやっていることに気付いている言う意味だ。

針にエサを付けているなら、それ以外のことを考えず、それに集中。
お茶碗を洗っている時も同じ。クルマを運転している時も同じ。

一見、アトピーとは何の関係も無いように聞こえるかもしれないが、こーゆうところが実は盲点なのだ。事実、アトピーの情報だとデドックスとか最近ならファスティングの話が多いが、それはそれで正しい一方、こういうものが基本にないと心が追い付かず挫折する。(事実、私はそうだった)

日本一周ひとり釣り旅。

今度はアトピーを治すのではなく、もっといろんなことに気付けますように。

克服奮闘記2

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手軽&便利&美味しい!


本日、散髪した。

散髪はいつもなら散髪屋さんへ行くのだが、今回は奥さんにやってもらった。
新型コロナウイルスの影響で、いつも通っている散髪屋さんが営業自粛したからだ。「この時期に?」との思いはあったが、他の散髪屋さんに行くのも面倒なので、今回は奥さんに任せることにした。

ちなみに、奥さんはカットに関しては全くの素人。
ユーチューブ動画を参考に試行錯誤しながら、それでも何とか形になった。
道具は愛犬用のカットハサミ&バリカンだが、そこは気持ち的にスルー。

妻にカットして貰っていると、ふとアトピーだった頃のことを思い出した。

それは私のアトピーが顔に出始めた20代後半の頃、バブル経済が弾ける直前の話で、まだステロイドに対するバッシングは始まっていなかった。

当時、アトピー性皮膚炎は社会的にも認知されつつあったのだが、それでもまだまだアトピーのことを知らない人はいて、私は敢えてアトピーことは知らなさそうな個人経営の理髪店に通っていた。

理由は簡単で、散髪中、アトピーの話題が出るのが嫌だったからだ。

当時、私は自分がアトピーであることを認めたくないと言うか、もう自分の前でアトピーに関する話すら出るのが嫌だったのだ。

だからアトピーのことなど知らず、普通に髪を切って普通に顔を剃ってくれる個人経営の静かな理髪店に通っていたのだが、あの出来事はここで起きた。

それは、散髪が終わってシャンプーから顔剃りに移行した時だった。
散髪中、なんとなく「やばい・・・」と言う感じはあった。しかし、そのことに気付いた時は、もう既にタイミングを逸してしまった後だった。

「エラいこっちゃ!」
「顔から粉が噴き出とる!」

「オヤジ、声がでかい・・・」と思ったが、既に万事休す。
アトピーのことなど知らないオヤジが、ここでは完全に裏目に出た。それに普段なら人の少ない理髪店だが、この時に限って小学生が数人順番待ちをしていた。

その小学生達は直ぐに近寄ってきた。

「わーっ!顔、真っ赤や!」
「あれーっ!白い粉がどんどん出てくる!」

小学生達は、まるで理科の実験室のカエルを見るような目で私を観察した。
一方、私はと言えば、この時ばかりは何故か妙に心が据わっていた。

その時はもう恥ずかしいとか、情けないとか、悔しいとか、そんな感情ではなく、自分を観察するような目で見ていた小学生達の姿を、逆に冷静に観察していた。何となく、「吹っ切れた」瞬間だったかもしれない。


時代は変わった。

今、アトピー患者を取巻く環境は、私の時代とは大きく異なっている。ある意味、それはいい意味で恵まれた環境のように私には思える。

例えば、私の時代(1970年代~1980年代)では、アトピーに関する情報は圧倒的に不足していた。つまりどうすればアトピーを治せるのか。ここが全く分からなかったのだ。

ところが今は違う。
ネットで検索すれば、「アトピーの治し方」自体は比較的簡単に知ることができる。多くを調べた訳ではないので断定はできないが、総じて情報そのものもは正しいものが多く、私の時代のような極端でバランスを欠いたような「治療法」は少数派になった。

そういう意味からすると、私は正直に「良い時代になった」と思うし、実際、普段の生活でもその恩恵は十二分に活用させて頂いている。

しかしながら、その一方でこんな風にも思うのだ。
それでもアトピーに関する限り、治し方を知る事と実際に治せる人になる事は違う。と。私の知る限り、この事実は厳然としてある。それは素晴らしい参考書を持っていても、目指す大学に合格出来る人と出来ない人がいるようなものだ。

アトピーを治すのに「治し方」、つまり「良い食べ物」とか「良くない食べ物」と言った基本的な知識は確かに大事。で、その類の情報なら、もう既に世の中には一杯出回っているし、その大半はその通りだ。

しかしアトピーを治すのにもっと大切なもの、それは取組み方だと私は思う。

その取り組み方とは、ストイックではないし、プラス思考とも違う。

アトピーを治す大きな要因。それは「冷静さ」。だと私は思う。
もう少し言うと、それは自分を客観的かつ冷静な眼で観察する力。

これが無いと、いくら「食べて良いモノ」と「食べては良くないモノ」を頭の把握していても、実際、食事の時間になると、そんな知識など吹き飛んでしまう。

ある意味、アトピーは喧嘩相手と似ているかもしれない。

喧嘩と言うのは、常に冷静な方が勝つ。ようになっている。
一時の感情に流される者は冷静な者には絶対に勝てないようになっていて、このことは歴史が証明している。

楽しい時には笑い、悲しい時には泣く。
それは間違いではないし、悪いことでもない。

しかし、見方を変えれば、楽しみがあるから悲しみもある。
つまり、楽しみと悲しみは元々ツインで存在するものなのだろう。

アトピー治療に関する限り、一喜一憂することなく「冷静さ」と共に淡々と対処する。私には、この対峙の仕方が一番のように思える。

この「冷静さ」を失ったまま先に進むとどうなるか?

それは実際に体験しなくても、それを想像できる能力が人間には与えられている。
これは大きな福音なのかもしれない。

今の時代は便利になった。

その典型例がレトルトの玄米粥。こんないいモノ、私がアトピーの時代にはなかった。活用できるものは何でも活用するぞー!

克服奮闘記1

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近所に咲いていたユリ

 

京都のT病院を退院した後、アトピーは順調に治った(完治した)かと言うと、必ずしもそうではなかった。

確かに、症状は日に日に良くなっていった。事実、3月14日に退院後、6月には社員旅行に参加。念願の「半袖のTシャツ」を着て、ハワイのワイキキビーチで泳げるようにまで皮膚は回復していた。

それでも、私はまだ「自分のアトピーが完治した」とは思っていなかった。

T病院での入院中に「こうすればアトピーは治る」と言う確信は得たのだが、それは同時に「それを続けないと逆戻りする」と言う不安との背中合わせでもあったのだ。

現実的な問題として、入院中ならできることでも、退院して社会に復帰すれば難しくなることは多々あって、中でも一番苦戦したのは食事(食生活)だった。

何をどれだけ食べればよいのか?

そういう問題は確かにある。
しかしそれより厄介なのは職場に復帰したその時点から、自分のペースで食事を摂ると言うこと自体がままならない状況だった。

多分、このことは仕事の内容や職種にもよるのだろうが、当時の私は誰か(多くの場合、それは取引先)と食事をすること自体が既に仕事の中に組込まれていて、自分の好きな時間に好きなモノを食べることが許させる環境ではなかったのだ。

それでも、アトピーを治したいなら「こうすれば治る」を続けるしかない。

環境がどうであろうと、治すための選択肢はとにかく「やる」しかないのだ。で、とにかくやっていると、その中で徐々に見えてくるものがあった。

そのひとつが、「完璧でないくてもいい」だ。

必ずしも100点を目指す必要はない。65点で十分。大切なのは続けることなんだ。
とにかくやるしかないからやっていると、そういうことが徐々に分かってくると言うか、身体を通じて勝手に見えてくるようになる。

例えば食事。

何をどれだけ食べればよいのか?最初はこのことに頭を悩ませた。
胃腸に負担を掛けないためには少食にするのがベスト。でも、少食だと体力が持たない?と言うか、その前に仕事でストレスが溜まると、食べることで発散したくなるじゃないか!(入院中とは大違いだ!)

こんな感じで最初は苦戦したのだが、それでもめげずに続けていると、まず、こんな風に思うようになった。

ゆっくり、良く噛んで食べるとどうなる?

これは意外と効果的だった。何が効果的かと言うと、食べている自分を客観的に観察できるようになったこと。つまり食べ方そのものが変わったのだ。

例えば、回転ずし。

今、食べているネタを賞味せず、次に食べるネタを物色。で、結局、ひとつひとつのネタをじっくり味わうことなく大食。そんな食べ方をしている自分に気付いた。

で、ゆっくり自分が今食べているモノを味わって食べるようになると、自ずと歯止めが効くようにもなった。

食べ方だけではない。
食べ物の種類にしてもそうだ。

健康を維持するための腹八分目なら、食べるものそのものが重要になる。で、私の経験上、それは命、つまり生命を頂くことなのだ。

生命力のあるモノ。これが食材。工場で生産されたものより、海や山で採れる新鮮な生命。これを摂取する。だからと言って、活きたタコの刺身を食べ過ぎたり生卵を飲むような食べ方はやり過ぎだ。逆に痒みを誘発してしまうので注意が必要。

生命力が強すぎる、いわゆる「精(力)」の強いものは要注意で、そういうものは火を通してじっくり調理するのが賢明。「白米より玄米の方が生命力は上」と思って、好きでもない玄米を無理に食べる必要もない。

要は基本的なことさえ押さえておけば、後は65点主義でよいのだ。