飛鳥旬のブログ

自分のアトピーは自分で治そう!

原因はそこじゃない!

f:id:asuka-atopi:20200113200237j:plain

十津川村 武蔵地区の小学校跡

ここ数か月、肩こりに悩まされていた。

今まで肩こりなんて他人事と思っていたが、実際なってみてその辛さが分かった。
この肩こり、実は思い当たるフシがある。それは腰痛だ。

私は過去、何度かギックリ腰をやっていて、その影響からかここ数年は腰痛が慢性化していた。で、何度が病院で診て貰ったのだが、結果はいつも「骨に異常はありません」。

骨に異常が無くても腰が痛いのは事実なので、湿布と痛み止めを処方して頂くのだが、当然、コレで治る筈もなく、次はお決まりの接骨院へ。

ここではマッサージ中心の治療だが、確かにその時は効く。と言うか、楽になる。
だが、それが2・3日も経つと元の木阿弥。見事に痛みは復活する。で、またマッサージをして貰いに接骨院へ。この繰り返し。

ところで、この流れ。何かに似てないか?

皮膚が痒くなればステロイド。ん?アトピーと同じやん!
アカン、アカン、この流れは!

と言うことで、肩こり&腰痛と真正面から向き合うことに。
他人任せにせず、「自力で治したる!」と孤軍奮闘。

すると、少しずつ見えてきた。

肩が凝るのは、肩が原因ではない・・・
腰が痛くなるのも、腰が原因ではない・・・

肌が痒くなるのは皮膚が原因ではない。やっぱり!アトピーと同じや!

肩が凝るのは、肩が凝る原因を作っている犯人が他にいるから。
腰が痛くなるのも、腰が痛くなる原因を作っている別の犯人がいるから。

原因はそこじゃない!

この視点から、凝っている左肩とは全然違う筋肉をストレッチ。

すると数日後。

「消えてるやん・・・」

痛みは見事に消えた。が、これで喜んでいると、多分、アトピー同様、時間が経てば痛みはきっと再発するのだろう。

どうすればいいんだ?

行き着いた結論はコレ。普段の「姿勢」。

肩こりや腰痛を治すのに、特別な治療法なんてきっと無い筈なのだ。
それより生活習慣を見直す。例えば座る姿勢を正すとか、多分、そうことなのだ。

肩こりと腰痛が完治したら、みんなに報告しよう!

 

満ち足りた感じのワケ

f:id:asuka-atopi:20200105212215j:plain

十津川村のトトロ

1月2日、日帰りで妻と十津川村へ。

 

お目当ては、いつもの源泉かけ流し温泉。泉湯。
このお湯にはいつも癒される。片道2時間半の道のりも苦にならない。3日経った今でも肌はスベスベしている。

昼食は、十津川村で唯一のお好み焼き屋さんへ。
このお好み焼き屋さん。以前、出川哲郎の「充電させてもらえませんか?」で知って、一度行ってみたかったのだが、今回、その希望が叶った。

 

いつも思うのだが、十津川村の人は総じて親切で優しい。そして人情味がある。

この店のご主人もそうだった。

十津川村の話をお聞きした後、「もしよければ・・」と言って、お好み焼きを頬張っている私達に、煮込んだ猪肉と大根を差し出して下さった。

絶品! 猪肉は全く臭みがなく、分厚く切られた大根は芯まで味が染みていた。

「なんだこの満ち足りた感じは?」

妻も満足気な様子。私は、しばらくこの満ち足りた感じの理由を考えていた。

すると、なんとなく浮かんだ言葉は「一体感」だった。
私もあなたも一緒。多分、この感覚だ。

「私はこんな良いモノ持ってるよ!」「あなた、持ってないでしょ?」
「俺ってこんなに凄いんだぜ!」「お前達とは全然違うだろ?」

この村に来ると、そーいう「分離感」が吹き飛んでしまう。

民主主義と社会主義、善と悪、敵と味方、アメリカとイラン。
この村にいると、不思議とそいう主義主張みたいなものがどうでもよくなる。

みんなでお金を出して「吊り橋」を掛ける。みんなで協力して「飢え」をしのぐ。
この村には、そういう歴史がある。

店を出る時、またご主人からひとこと。

「良かったら持って帰って」

それは、木の実でできた手作りの「トトロ」だった。
この「トトロ」。よく観ると表情がみんな違っていた。

表情はみんな違う。

でも、そこで感じたのはやはり一体感だった。

 

 

移り変わり

f:id:asuka-atopi:20191230152410j:plain

生駒山麓公園

「令和」への改元があった今年も終わろうとしている。
元号が変わっても、世界では紛争があり、日本でも災害は多発した。

 

中島みゆきの「時代」の歌詞が好きだ。
アトピーが酷かった頃、よくこの歌詞に励まされた。

今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて
もう二度と笑顔にはなれそうもないけど
そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ
あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ

 

「嘘だ!」「俺にはそんな時代なんて来ない!」
  

そう思ったことは一度や二度ではなかったが、今ならこの歌詞の意味がわかる。

 

例え今日は果てしも無く 冷たい雨が降っていても まわるまわるよ 時代はまわる
別れと出逢いを繰り返し 今日は倒れた旅人たちも、生まれ変わって歩き出すよ

移り変わり。

人も、人の体も、人の心も、時代も景色も、何もかも全てが移り変わる。
今年、楽しかったこと。悔しかったこと。悲しかったこと。嬉しかったこと。
そんな感情も、すべて移り変わるのだろう。

そんな移り変わりの中で、人との出逢いを大切にしたい。

何かを短時間で同時に処理する能力はもういい。
それより、ひとつひとつ気持ちを込めて丁寧に接する時間を大切にしたい。
そして「欲しいもの」ではなく、本当に「必要なもの」だけを側に置きたいと思う。

皆さん。今年もありがとうございました。
新しい年が皆様にとって良い年でありますように。

 

間違いだらけのアトピー常識 その3

f:id:asuka-atopi:20191222155331j:plain

近くの公園

アトピーを治すためには「何か特別な治療」が必要と思っているなら、それは違うと私は思う。アトピーを治すには「アトピーを治すための努力」は必須だが、それは決して特別なこと(モノ)ではない。と言うか、本当のことを言えばアトピーだけを治す治療法なんてものは最初から無くて、あるのは最初から治ることが分かっている地道なことの繰り返しだけ。これが何より安全で確実。しかも結果の出るのが早い方法だと思う。

ここで私の言う「特別な治療」とは保険の効かない自由診療の注射や塗り薬の類、それ以外にも高価な水やアトピーグッズも含まれるのだが、何故これらの「特別な治療」でアトピーが治せないかと言うと、それは本当の意味でのアトピーの本質を見極めていないからだ。

エラそうなことを言うようで恐縮だが「完治」と言う点に限定するなら、過去30年、西洋医学アトピー治療に対して顕著な功績を残していない。これが現実。何故だろう?どうして西洋医学アトピー性皮膚炎に対してここまで無力なのか?私が思うに、それはそもそもこの病気に対するアプローチの仕方に起因する。もう少し具体的に言うと、西洋医学は原因を究明してから治療法を確立することを前提としていて、このこと自体は至極まっとうなやり方なのだが、これがアトピー治療にはマイナスに働いてしまうのだと思う。

卑近な例で恐縮だが、アトピーの原因に関しては今でも「水道水の塩素が悪い!」とか「植物油脂が悪い!」とか、その原因を特定しようとする傾向があるが、私に言わせればそもそもアトピーの原因を究明しようとした時点で既にアウト。この方向からのアプローチをしている限りアトピーは治せない。と言うか、そこから先は茨の道を歩むことになる。何故なら、アトピーの原因は特定できない。これが真実だから。

医療関係や製薬関係の方はともかく、少なくとも患者はアトピーの原因なんて全く知らなくても全然問題ない。本当に大丈夫だ。例えるなら、それは自動車の構造やエンジンの仕組みを知らなくても、運転免許さえあれば普通に公道で運転できるのと同じこと。つまり、必要なの原因ではなく治す術。こっちです。

話は変わって・・・

今年も残すところ僅かとなりました。今年も読者の方々と話したり、一緒に旅行に行ったりと、とても充実した日々を過させて頂きました。実はホームページを公開してから来年で20年目の節目を迎えるのですが、振り返れば過去、いろんな方面の方々からいろんなオファーを頂きました。が、結局は今のような「自分のやりたいように・・」のスタイルに定着したように思えます。私は今のこのスタイルが大好きで、今までこのスタイルでやってきて本当に良かったと感じる今日この頃です。

正直なところ、私には「この国からアトピー患者を撲滅したい!」と言うような野望はなく、今のように年齢性別を問わず、誰とでもひとりの人間として向き合うスタイルが合っているようです。本当にいつも言いたい放題ばかり言ってますが、今、アトピーで苦しんでいる人、悩んでいる人にはできるだけ早くアトピーなんて卒業して欲しい。そしてもしアトピーを治したことでその後の人生に役立つようなことがあれば、それはとても素晴らしこと。逆に、アトピーがなかなか良くならないからって、変なこと考えちゃダメですよ。絶対ダメですよ。

間違いだらけのアトピー常識 その2

f:id:asuka-atopi:20191215210147j:plain

御在所岳

アトピー治療に関する情報を調べてみると、皮膚のバリアー機能の異常が原因であるかのようなコメントを必ず見つける。それはあたかもアトピーが「皮膚の病気」であるかのような印象を与えるのだが、私はこの説には真っ向から反論する。アトピーは決して皮膚の病気ではない。バリアー機能の異常はあくまで結果(症状)に過ぎない。

 

私の経験からすると、皮膚のバリアー機能に問題が生じるのは他に原因があるからで、ここをしっかり見極めないと、実りのない無駄な努力ばかりを繰り返すことになる。要するに、アトピーを皮膚の病気だと思って治療を始めると、そかから先は茨の道を歩む確率が高くなると言うことだ。逆の言い方をすると、本当の原因を見極め、ピンポイントでそこにターゲットを集中させると、皮膚のバリアー機能は自ずと正常化する。

 

「皮膚は内臓を映し出す鏡」と言う表現があるが、これは真実だ。ニキビ、吹き出モノ、肌荒れ、口内炎等、皮膚に現われる現象(症状)は全て内臓に何らかの問題が生じたサインで、それは胃や腸等の消化器系の疲弊を示す場合が多い。にも拘わらず、症状(炎症)が皮膚に出ているからと言って、これを強制的に抑え込むような治療をしていても、問題が解決しないのは当然の成り行きだ。

 

結論から言うと、アトピーを完治させるには皮膚に目を向けた治療ではなく、真っ先に「胃腸の健全化」を目指す方が確実でしかも得策なのだ。このことはステロイドを使う・使わないと言う以前の問題で、逆の見方をすれば、ここの部分さえしっかりしていれば、ステロイドを使う・使わないなんて話は枝葉の問題に過ぎないことが分かるだろう。要するにステロイド自体の価値は中立で、肝心なのはそれに依存しない姿勢なのだ。

 

一般的に「大人のアトピーは根治が難しい」と言われるが、私はそんなことは無いと思っていて、治すための方法論なんてむしろシンプルで、誰にでも分かり易いものだと思思っている。もう少し言うと、アトピーと言うのは病院で治して貰う類の病気ではなく、自分で治すものだと思う。アトピーを治すにあたって、もし難しい部分があるとするなら、それは継続することが出来ず途中で投げ出してしまう点だけだ。

 

私は、アトピー治療に必要なのは最新の医療設備や医師の力量ではなないと思う。それより患者自身が自分と自分のやっている治療への取り組みが正しいことを信じて継続すること。諦めない事。これに勝るものはないと思う。

 

 

 

 

間違いだらけのアトピー常識 その1

f:id:asuka-atopi:20191208170526j:plain

散歩コース

人生には、自分が本当に経験してみることで初めて「分かる」ことがすごく多い。今まで想像していたこと、頭の中だけで考えていたことを直接経験することによって、真実がそれまで抱いていた世界とは全く別モノであることに愕然とする。アトピーを治してみて思うこと。それは「なった経験がないから当然そうなるね。」と思うことの多さだ。経験していないこと、未体験が全て無駄と言うつもりはないが、自分が直接体験していないことに対する警戒心の強い性格は、アトピーを治す過程で形成された気がする。

 

アトピーは掻くと治らない」。私がアトピーだった時代、これはどの医療機関へ行ってもほぼお決まりのアドバイスだった。いやアドバイスと言うよりは、むしろこれが唯一の治療法であるかのような力のあるメッセージで、それはむしろ「忠告」に近かった。「掻くと治らない」いや「掻くから治らない」。この言葉を真剣に受け止めた当時高校生の私は、とにかく「掻かない」ことでアトピーを治そうと本気で取組んだ。タオルで手首を縛り、就寝中も手が勝手に動かないように固定した。

 

ところが、実際、アトピーを治してみると分かるが、真実は逆なのだ。「掻く」とか「掻かない」とは無関係に、アトピーは治る時は治るし治らない時は治らない。ましてや「アトピー患者は本当は痒くないのに掻くことが習慣になっている。」(嗜癖的掻破行動)などと言われた日にゃ「それは全然違うやろ」と言いたくなる。私は、皮膚は痒いから掻くのであって、痒くなければ誰も掻かないのが普通だと思う。(痒くも無いのに掻いていたら、それはちょっとアレやろ・・)

 

それからもうひとつ。アトピーは「遺伝だから治らない」と言う「忠告?」があって、これで当時の私はかなり(いや滅茶苦茶)苦しんだ。その理由は当時、私の父も祖父も同時に皮膚病を患っていたからだ。つまり、私は子供の頃から父&おじいさんが体に軟膏を塗るのを見て育ったのだ。だから医者から「遺伝」と言われると何かを言い返す気力も無く、ただただ落ち込むしかなかったのだ。

 

では現在、私&私の子供達はどうなのか?と言えば、アトピーとは全く無縁の生活を送っていて(ちなみに私の祖母、母、妻は皆、アトピーとは無縁)、私はアトピーは遺伝的な要因があったとしても、全然普通に治せると確信している。だから自分の子供がアトピーを発症しても、そのことに対して両親は自責の念に苛まれる必要は無い。と言いたい。そしてそんなことを考える時間があるなら、その分を「治す」エネルギーに転化して欲しいと思う。

 

そんなことを考えていると、やはり何事も「人任せではいけないなー」と思う。いや、厳密に言えば、任せる所は任せて、自分でやるべき所は自分がちゃんとやる。これが大事なんだろうと思う。

間違いだらけのアトピー常識 その1

f:id:asuka-atopi:20191208170526j:plain

散歩コース

人生には、自分が本当に経験してみることで初めて「分かる」ことがすごく多い。今まで想像していたこと、頭の中だけで考えていたことを直接経験することによって、真実がそれまで抱いていた世界とは全く別モノであることに愕然とする。アトピーを治してみて思うこと。それは「なった経験がないから当然そうなるね。」と思うことの多さだ。経験していないこと、未体験が全て無駄と言うつもりはないが、自分が直接体験していないことに対する警戒心の強い性格は、アトピーを治す過程で形成された気がする。

 

アトピーは掻くと治らない」。私がアトピーだった時代、これはどの医療機関へ行ってもほぼお決まりのアドバイスだった。いやアドバイスと言うよりは、むしろこれが唯一の治療法であるかのような力のあるメッセージで、それはむしろ「忠告」に近かった。「掻くと治らない」いや「掻くから治らない」。この言葉を真剣に受け止めた当時高校生の私は、とにかく「掻かない」ことでアトピーを治そうと本気で取組んだ。タオルで手首を縛り、就寝中も手が勝手に動かないように固定した。

 

ところが、実際、アトピーを治してみると分かるが、真実は逆なのだ。「掻く」とか「掻かない」とは無関係に、アトピーは治る時は治るし治らない時は治らない。ましてや「アトピー患者は本当は痒くないのに掻くことが習慣になっている。」(嗜癖的掻破行動)などと言われた日にゃ「それは全然違うやろ」と言いたくなる。私は、皮膚は痒いから掻くのであって、痒くなければ誰も掻かないのが普通だと思う。(痒くも無いのに掻いていたら、それはちょっとアレやろ・・)

 

それからもうひとつ。アトピーは「遺伝だから治らない」と言う「忠告?」があって、これで当時の私はかなり(いや滅茶苦茶)苦しんだ。その理由は当時、私の父も祖父も同時に皮膚病を患っていたからだ。つまり、私は子供の頃から父&おじいさんが体に軟膏を塗るのを見て育ったのだ。だから医者から「遺伝」と言われると何かを言い返す気力も無く、ただただ落ち込むしかなかったのだ。

 

では現在、私&私の子供達はどうなのか?と言えば、アトピーとは全く無縁の生活を送っていて(ちなみに私の祖母、母、妻は皆、アトピーとは無縁)、私はアトピーは遺伝的な要因があったとしても、全然普通に治せると確信している。だから自分の子供がアトピーを発症しても、そのことに対して両親は自責の念に苛まれる必要は無い。と言いたい。そしてそんなことを考える時間があるなら、その分を「治す」エネルギーに転化して欲しいと思う。

 

そんなことを考えていると、やはり何事も「人任せではいけないなー」と思う。いや、厳密に言えば、任せる所は任せて、自分でやるべき所は自分がちゃんとやる。これが大事なんだろうと思う。