飛鳥旬のブログ

自分のアトピーは自分で治そう!

幸せの源泉

f:id:asuka-atopi:20191027192649j:plain

散歩中に見つけた可愛い花

 

アトピーだった当時、私はよくこんな風に思っていた。「このアトピーさえ無ければ・・」。それはアトピーが治ればバラ色の人生が待ち受けていると言う感じではなく、むしろアトピーが消えた時点がスタート。つまりアトピーが治ることでやっとプラスマイナスゼロの地点に立つことができると。だから私は自分がまだ人生のスタート地点にも立てない人間なのだと。そしてこの傾向はアトピーが顔に出て以降、どんどん強くなっていった。

少し硬い話になるが、私の性格の中には少なからず上記のような傾向があって、それはアトピーに限らず、仕事やプライベイトで何らかの問題が発生した場合、その問題が根本的にスッキリ解決されない限り、それ以外のことは何をやっても心から喜べない、いやむしろ喜んではいけない、みたいな気持ちになってしまう。要するに、ひとつでも気になることがあれば、それ故に心からの幸せはあり得ないと考えてしまうのだ。

もうひとつ。それは「自分の価値」は単に生きているだけでは低く、何かの業績や功績を残さないダメだと考えてしまうこと。だから何かのスキルを身に付けて、技術や能力をアップさせようとしてきた。ちなみに、スキルや技術を身に付けて経験を積むこと自体は悪いことではない。ところが、これだけが全てだと思って生きていると、返って自分を苦しめる結果になることが、今にしてしみじみと分る。

スキルや能力を磨いて業績や功績を残す。これは「料理が得意」とか「国家試験に合格して医者になる」のようなものから、何かの発見をしてノーベル賞を受賞する等さまざまである。その一方「人間の価値」はすべての人に備わっているもので、本来、必要な条件などは全く無い。しかし「アトピーの自分はマイナス」とか「正社員ではない自分には価値がない」とか「結婚できない自分には価値がない」など、自分に価値を感じるためには何かを得なければならないと言うある種の脅迫的な雰囲気は、人をどんどん惨めな方向に導く。

そして「自分は価値の無い(低い)人間だから、誰かに注目して貰うために特別な何かをしなくては」とか「特別な何かを達成することで自分の価値を高めることができる」とか感じだしたら、それはかなり危険な気がする。自分の子供、自分の親、自分の愛する人が、もし事故か何かで生死をさまよう状況に陥ったら、私達はその人達を業績や功績に応じた尺度で測るだろうか?それとも「とにかく生きてくれ!」と、ただそこにいることだけを願うだろうか?

自分は、今のままの自分でいいのだ。そう思えた瞬間、気持ちがスッと楽になる。

苦しみは人生を変える

f:id:asuka-atopi:20191022205300j:plain

近所の公園

 

ある男性がいました。彼は勉強が出来て賢い人、いわゆるエリートタイプの人でした。国立大学を卒業後、一流企業に就職。仕事でも成功して地位も確立しました。その一方、彼はとても行き急ぐせっかちなタイプで、いい意味でも悪い意味でも「熱い人」でした。しかしいつも自分のことばかり考えているせいか、周りの人達は次第に彼には近寄らなくなりました。

そんなある日、彼は脳梗塞で倒れてしまいました。そして身体が麻痺してしまった。優秀で何でも思い通りだった人が、自分の身体の自由を奪われていまったのです。彼はとても苦しみ、その病を受け入れることができなかった。「こんな人生は自分の人生ではない!」と。そして、はじめて他人に頼らなければ生きていけなくなったのです。

彼の心は苦しみで一杯でした。身体も一向に良くなりません。医師や理学療法士の先生のアドバイスに耳を傾けることはありませんでした。彼の心は益々イライラ、ピリピリするばかり。どうしても現実を受け入れることができなかったのです。「何故自分だけがこんな目に!」。相変わらず、彼の心は苦しみに満たされていました。

しかし、しばらく経つとだんだん気持ちが落ち着いてきました。時間が現実を受け入れることを助けてくれました。「早く治りたい!」とばかり思っていたのが、それが叶わないと気付くと、この状態を受け入れるようになってきました。そして病や痛みと一緒にいられるようになり、医師の指示にも素直に従うようになりました。

「自分は賢いから誰のアドバイスも必要ない」と思っていたのが、病になって他人の意見を取り入れることができるようになっていきました。そうなると麻痺の症状も良くなり、歩くことができるようになったのです。この変化は彼の心にまで影響を及ぼします。そして遂に身体もほぼ元通りになったのです。

彼の知人は喜び、またとても驚きました。彼の性格がすっかり変わってしまったからです。心が落ち着き、心が広くなったと感じたのです。以前は誰のアドバイスも聞かなかったのに、今はもういろんな人の声に耳を傾けられるようになりました。自分の事しか考えなかった彼が、とても愛すべき存在になっていきました。人のことを思いやり、自分とは違う他者のことを受け入れる人になったのです。

どうして彼は変わったのか?本当の所は私にも分かりません。しかしながら、私自身も彼と似たような経験があるので、その経験から言うなら、それは「手放すこと」のような気もします。落ち着いて、現実を受け入れること。自分の思い通りにはならない。そう思って手放してみると、少なくとも心の苦しみは無くなります。で、その苦しみの消えた心で実践すると、次は身体が良くなっていく。そんな感じがします。苦しみは人生を変える。いい方向にも、悪い方向にも。

そう言えば、樹木希林さんは「人生は成り行き」みたいなこと言っていたが、自分もそう思うことは多い。出来ることなら自分は「全肯定」の人生を歩んでみたい。

日はまた昇る

f:id:asuka-atopi:20191014131903j:plain

 

相変わらずアトピーの方々との交流を続けている。中には、今、既にアトピーは消えているが、再発が不安で定期的に連絡を頂く方もいれば、現在進行形でがっつりアトピーと格闘中の人もいる。ご相談頂く方は男女に関係なく年齢もかなり広範囲だが、それでも何となく気になるタイプの人と言うのはいるもので、私の場合、それは20代から30代の男性に多い。多分、それは自分がアトピーでもっとも苦しんだ時期と重なるからだと思う。

A君は、数か月前に直接お会いした30代の男性。昼食を交え5時間ほど話をしたのだが、彼との別れ際、私の正直な印象は「大変なのはこれからかな・・」だった。そんな彼に昨日連絡を入れてみると、やはりと言うか、案の定と言うか、ほぼ私が予想していた通りの展開になっていた。それは分かり易く言うと「引きこもり」の状態で、不安ですっぽり全身を覆われてしまったA君は自信を失い、身動きが取れない状態に陥っていた。

ところで、もしあなたの身内や知人にこのような人がいたら、あなたならどんな風に接するだろうか?私の接し方はこうだ。もし私の身内にこのような人がいたら、その時は「見守る」。また自分の身内以外、例えば友人や知人にこのような人がいたら、その時は「待つ」。ちなみにこの接し方は、自分がA君と同じ経験を持つ者として立場と、その側にいる者としての立場の両方を踏まえてのものだ。

私が思うに、心の中が不安や恐怖で満たされてしまえば、言葉は無意味だ。不安と恐怖で満杯の心には、人の忠告やアドバイスが入るスペースは今はない。しかし生きている限り、その人が自らの人生に終止符を打たない限り、風向きは変わる。舞台は変わるのだ。それは必ずしも劇的ではないかもしれないが、この世は諸行無常。常に移りゆく。変わらないものなど何一つない。

今、この瞬間、A君の心は不安と恐怖で満杯かもしれない。だがそれは見方によってはひとつのプロセスだ。過去の自分がそうであったように、体や心は常に変化していて、いつも同じなんてことはあり得ない。私事で恐縮だが、10代の頃、猛烈に好きになった女性がいて「この人と結婚できないなら死んだ方がマシだ!」と真剣に悩んでいた心は今、「あの人と結婚してたら死ぬほど苦労した。」と感じている。

日はまた昇る。降り止まぬ雨はない。台風19号で大変な目に遇われた方々、被災地の皆様には心よりお見舞い申し上げます。

諸悪の根源は食べ過ぎ

f:id:asuka-atopi:20191006142533j:plain

奈良県十津川村 笹ノ滝

 

ここ数年、定期的に通っている癒しのスポットがある。奈良県十津川村。あまりの秘境さゆえ、これまでほとんど訪れることのなかった土地だが、道路が整備されたこともあり、今では定期的に通っている。とは言え、自宅から3時間。頻繁には行けないが、それでも無性に行きたくなる時がある。

私にとって十津川で一番の魅力は何と言っても「源泉かけ流し」の温泉で、それは単なる「入浴」以上の何かを与えてくれる気がする。癒しのパワーと言うか、生きるエネルギーと言うか、とにかくリフレッシュできるのだ。だから自分のエネルギーが低下した時ほど、行きたくなるのかもしれない。

ところで十津川村と言えば、もしかすると国内でもっともコメの収穫量が少ない地域ではないかと思う。その理由は土地が痩せているからとか、水源が無いからとかそんな理由ではなく、単に耕作地が無いからだろう。これは江戸幕府がこの地域だけにはコメの年貢を免除したことからも明らかだろう。

では、コメの取れない地域で住民は何を食べていたのか?それは一説によると「栃の実」らしい。十津川村では今も栃の木は安易に伐らない習慣が残っているらしいが、それはかってこの木が命を繋ぐ食料としての役割があったかららしい。「栃の実」を食して命を繋いだ十津川村の住人の中に、果たしてアレルギー疾患に苦しむ人はいたのだろうか?露天風呂に浸かりながら、ふと、そんなことを考えてしまう。

私が思うに、アトピーをはじめアレルギー疾患の大半は食べ過ぎだ。それは炭水化物がどうとか、タンパク質がどうとか言う以前の問題で、要するに過剰摂取が問題なのだ。では本来、食事の姿とはどのようなものか?それは「空腹だから食べる」であって、これは医学とか栄養学以前の自然の摂理的なものだ。一方「目の前にご馳走があるから」とか「時間が来たから」食べると言うのは、たまたま今、日本で生活しているがゆえの限定的なものだ。

自然の摂理から外れた食べ物&食べ方を続ければ、自然の摂理から外れたワケの分からない結果(疾患)が身体に生じるのはこれまた自然の摂理だし、「自分が自分が・・」と自己中心的な考え方が過ぎると精神的に異常をきたすのも、同じく自然の摂理のように思える。私が知らず知らずそちらの方向に振れそうになった時、十津川村の住民の方々の素朴な生き方が、ふと私を我に返してくれる。

私が「無農薬」に拘らない理由

f:id:asuka-atopi:20190929163314j:plain

近くの田んぼ

 

収穫の秋。もうすぐ稲刈りが始まる。普段、あまりと言うか、全然気にせず食べているご飯だが、この時期だけはよくコメのことを考える。それは私がまだ30代の頃、約2反(600坪)の土地を借りて、無農薬のコメ作りに挑戦した経験からかもしれない。

ひとくちに「無農薬のコメ作り」と言っても、その方法はいくつかる。一般的に知られているのは「アイガモ農法」だが、私が30代の頃には「ペーパーマルチ農法」と言うものもあって、これは大雑把に言えば、田植え時に田んぼを紙で覆ってしまうやり方だ。アイガモ農法にせよペーパーマルチ農法にせよ、無農薬でコメを作ると言うことは、結局の所、雑草との戦いをどう制するかがポイントになる。

コメ作りに関する限り、私の経験では農薬の散布や追肥より、除草剤を使わないことの方が圧倒的に時間と手間を食う。ちなみに2反の土地でさえ、除草剤を使わずにコメを作るとなると、日の出から日没まで、ひたすら草を取るだけの日常でひと夏が終わる。ちなみに、この労力を計算すると、10㎏あたり1万円で販売しても利益は残らない。その上、収穫量も低い。一般的な農法なら1反あたり約7俵(420㎏)収穫できるコメが、無農薬だとせいぜい5俵程度。これが現実だ。

さらに、もっと切実な問題があって、実はこのような努力をして作ったコメでさえ、本当の意味で「無農薬」かと言えば、本当はそうではない。その理由は単純で、隣の田んぼからモグラの明けた穴から水が浸入すれば、その田んぼはもう厳密な意味で無農薬用の土地ではなくなるからだ。後は良心の葛藤だけになる。自分のコメを「無農薬」として販売するか、それとも「減農薬」として販売するか。どこかの調査団が来て綿密に調べる訳でもない。そこにあるのは自分の良心だけなのだ。

自分がアトピーだった時、私は食べるものに神経質になり過ぎるあまり、「完全無農薬」の野菜やおコメを販売している店のモノしか食べなかった時期がある。で、正直に当時の私の思いを告白すれば、無農薬以外の野菜やコメを作っている農家に対して全くよい印象を持っていなかった。自分は全く野菜やコメなど作った経験もないからこそ、そういう印象を抱いたのだ。

そんな私が「無農薬」と言う言葉を口にしなくなる出来事があった。それはやはり無農薬&化学肥料無しの野菜作りに真剣に取り組む農家の方との出逢いだった。彼には奥さんと8歳になる娘さんがいて、ホウレンソウの収穫が終わった後、家族で東京ディズニーランドへの旅行を計画していたのだが、異常気象の影響か雨が降りやまずホウレンソウの出荷時期が来ても、とても商品として出せる状態ではなかった。

硝酸態窒素、つまり化学肥料を使う選択肢はあった。今ならまだなんとか集荷までに間に合う。しかし化学肥料を使えば「化学肥料なし」ではない。味も落ちる。そのことは誰よりも彼自身が一番よく分かっている。理想と現実。このような現実を知らないまま「無農薬」こそ本物みたいなイメージを抱いていた自分を私は猛烈に恥じた。事実、今の私の野菜を観る基準は、無農薬であるかどうかより鮮度に変わった。

もう少し言うと、今、私達に起こっている奇妙な病気(アトピーを含む)の大半は、無農薬の野菜やコメを食べないことが原因なのではなく、より新鮮な食材を食べなくなったことに起因するような気もする。レトルト食品やインスタント食品が一概に悪いとは思わない。私自身、忙しいお昼にはコンビニのカップ麺とおにぎりで済ませることもある。それでも可能な限り、私は、命ある、生命力あるモノを頂けるならその方が良いと思うのだが、これは知識ではなく、自分が今まで生きてきて本当にそう感じる。

最近は、糖質制限食が普及してお米を食べない人が多いようだが、私は自分の経験上、極端なことはあまりしない方がいいと思っていて、それより「お腹が減ったら食べる」「お腹が減っていないなら食べない」を基本に腹八分目にしておけば、大きな間違いは無いように思う。アトピーを治すにしても同じこと。逆に、ここがしっかりできてもいないのに、コレ以外の何かをしても効果があるようには思えない。

応用は基礎がしっかりしてこそ成り立つもので、それはワールドカップラグビーを観ていても感じた。日本がアイルランドに勝ったのは奇跡ではない気がする。確かに、勝負には時の運もあるだろう。しかしジャパンのメンバーは当たり前のことを当たり前にキチンと実行したからその通りの結果が出た。あの試合を観ていてそう思った。

 

アトピーを治して分かったこと5

f:id:asuka-atopi:20190922205026j:plain

近くの公園

 

最近、ブログ読者の方と直接お会いして感じたことがある。それは「どのくらいの期間頑張ればアトピーは治るのか?」と言う内容の質問なのだが、正直、それは私にはわからない。で、そのことを正直にお伝えすると、次は「飛鳥さんの場合はどうでした?」と質問の内容が微妙に変わる。

どのくらいの期間(時間)頑張ればアトピーが治るのか?こう尋ねてみたくなる心境は私にもよくわかる。一刻も早くアトピーから解放されたい。そう願う気持ちが切実であればあるほど、治るまでの時間は気になる。

その一方で、私は「そこ(治るまでの時間)は一度離れた方がいい。」とも思うのだ。それは何も「あなたと私では置かれた環境も状況も違う。だから比べても仕方ない」と言いたいからではなく、そのようなことを考えている精神状態が「治す」ことに対して返ってブレーキを掛けるように思えるからだ。

実際、アトピーが治っていく過程では、アトピーの自分を意識している時間がどんどん少なくなっていくのが普通だ。で、1日を終えてみて「あれ?今日はアトピーのこと忘れてた・・」となる日が徐々に増えていく。これが典型的なプロセスだ。

結果だけを求め過ぎるとロクなことはない。これは、今まで生きてきた私の経験則だ。自分は今何をしているのか?方向性は間違っていないか?このことを常に意識しておくことは大事だが、結果が欲しくてそこから逆算するようなことを考え始めると、物事は逆に上手くいかないことの方が多いように思う。

少し大袈裟かもしれないが、アトピーの人からアトピーでない人になると言うことは、自分の生き方を変えることかもしれない。最近よく思うのだが、アトピーの治し方、つまり方法論なんてものは実のところ極めて簡単かつ単純で、その点は患者自身がもうよく気付いている。要するに後はもうやるかやらないか、それだけの話なのだ。

アトピーを治して分かったこと。それはアトピーになるにはなるだけの理由があるし、アトピーが治るにも治るだけの理由があると言うこと。だからアトピーである理由が無くなれば、アトピーは間違いなく消えている。やはりアトピーは治してナンボなのだ。

アトピーを治して分かったこと4

f:id:asuka-atopi:20190914150244j:plain

和歌山県 串本町 橋杭岩

 

アトピーを治して分かったことの中での一番は、やはりアトピーは自分で治す病気だということだろう。医療機関で初めて「アトピー性皮膚炎です。」と診断されたのは高校1年の時だが、実はそれまで、私は皮膚科でお世話になった経験が無かった。両親の話によると、発熱や怪我で通院することはあっても、厄介な病気で医者のお世話になることはなかったらしい。

そんな中、今でも鮮明に憶えている出来事がある。それは小学校の修学旅行の直前の話で、私はこの一大イベントを前に、突然、熱を出して寝込んでしまった。今振り返れば単に普通の風邪だったと思うのだが、当時、どうしても修学旅行に行きたかった私は、半泣きになりながら医者に懇願した。「行きたい!」いや「行かせて欲しい」。すると医者はちょっと思案した様子の後、「分かった」と言って、その場で注射を打ってくれた。

結果、私は無事、修学旅行に参加することができた。この年代で体験したことは、その内容の真実はさておき、後々の人生に強い印象を残すのかもしれない。「医者に治せない病気なんてない!」事実、それまでもそうだった。中耳炎の時、麻疹の時、水疱瘡の時、牛乳瓶で足を切った時、全部、全部、医者に診てもらえば治った。当然のように、「家を建てるのは大工の仕事」「病気を治すのは医者の仕事」と言う論本が私の中で芽生えた。

ところが、アトピーにはこの論法が通じない。で、アトピー性皮膚炎と診断された当初の私は、まだこの事実を呑み込めず、医者が私に対してわざわざ試練を与えているかのような受け取り方をしていた。今では笑い話だが、当時の私はそれほど「お医者さん」と言う人物像に対して尊敬の念と言うか、敬う気持ちを持っていた。

その反動からか、20代以降、私の医者嫌い&医療機関不信は爆発&暴走した。この期間は結構長くて、正直に告白すると、最初にホームページを公開した時でさえ、「オレのアトピーは医者に治してもらったんじゃない!」と言う反骨心のような感情と「オレは自分で治したんだ!」と言う自負心を払拭できてはいなかった。じゃ、今はどうなのかと言うと、医者に対しても医療機関に対しても、いい意味で全く「自然体」でいられる。

では、なぜ「自然体」でいられるようになったのかと言えば、それは相手のことが分かるようになったからだと思う。中学の同級生が地元で開業医をしている。それほど頻繁に話をする訳ではないが、時折、自分が彼の愚痴を聞くこともある。医学部を卒業と同時に医師免許と取得。その後、勤務医の経験を経て地元での開業。彼は内科専門医だが、開業して以来、まとまった休暇はなく、家族旅行すらロクに取っていない。

当たり前だが、医学は万能ではない。と言うか、近代以外で治せる病気はごく僅かで、心身症などの精神的な部分、心への直接的な働きかけが不可欠な分野の病に対しては無力さが露呈する。もう少し言えば、医療従事者、要するに医者を含めた医療関係者自身でさえ精神的に病んでしまう現状を鑑みると、個人的には、精神面が影響する病気のトータル的な治療では、医学よりも量子物理学のような分野により可能性を感じる。

さらに言うと、量子物理学の知識なんてなくても、私個人としてはアトピーや心身病は十分治せると思っているのだが、そこには簡単だが条件があって、それはただひとつ。「自分で治す」と言う覚悟だと思っている。青臭いことを言うようだが、今がどんな状況だったとしても、、この覚悟さえあれば、アトピーなんてどうにでもなるのだ。頭で考えているだけでは、決してよい結果は生まれない。過去を悔い、まだ来ない将来を考えて不安になるくらいなら、何も考えずに寝ている方がマシなくらいだと思う。少なくとも、その方がアトピーにはまだマシだ。