アトピー完治への道 飛鳥旬のブログ

アトピーは治してナンボ

日はまた昇る

f:id:asuka-atopi:20191014131903j:plain

 

相変わらずアトピーの方々との交流を続けている。中には、今、既にアトピーは消えているが、再発が不安で定期的に連絡を頂く方もいれば、現在進行形でがっつりアトピーと格闘中の人もいる。ご相談頂く方は男女に関係なく年齢もかなり広範囲だが、それでも何となく気になるタイプの人と言うのはいるもので、私の場合、それは20代から30代の男性に多い。多分、それは自分がアトピーでもっとも苦しんだ時期と重なるからだと思う。

A君は、数か月前に直接お会いした30代の男性。昼食を交え5時間ほど話をしたのだが、彼との別れ際、私の正直な印象は「大変なのはこれからかな・・」だった。そんな彼に昨日連絡を入れてみると、やはりと言うか、案の定と言うか、ほぼ私が予想していた通りの展開になっていた。それは分かり易く言うと「引きこもり」の状態で、不安ですっぽり全身を覆われてしまったA君は自信を失い、身動きが取れない状態に陥っていた。

ところで、もしあなたの身内や知人にこのような人がいたら、あなたならどんな風に接するだろうか?私の接し方はこうだ。もし私の身内にこのような人がいたら、その時は「見守る」。また自分の身内以外、例えば友人や知人にこのような人がいたら、その時は「待つ」。ちなみにこの接し方は、自分がA君と同じ経験を持つ者として立場と、その側にいる者としての立場の両方を踏まえてのものだ。

私が思うに、心の中が不安や恐怖で満たされてしまえば、言葉は無意味だ。不安と恐怖で満杯の心には、人の忠告やアドバイスが入るスペースは今はない。しかし生きている限り、その人が自らの人生に終止符を打たない限り、風向きは変わる。舞台は変わるのだ。それは必ずしも劇的ではないかもしれないが、この世は諸行無常。常に移りゆく。変わらないものなど何一つない。

今、この瞬間、A君の心は不安と恐怖で満杯かもしれない。だがそれは見方によってはひとつのプロセスだ。過去の自分がそうであったように、体や心は常に変化していて、いつも同じなんてことはあり得ない。私事で恐縮だが、10代の頃、猛烈に好きになった女性がいて「この人と結婚できないなら死んだ方がマシだ!」と真剣に悩んでいた心は今、「あの人と結婚してたら死ぬほど苦労した。」と感じている。

日はまた昇る。降り止まぬ雨はない。台風19号で大変な目に遇われた方々、被災地の皆様には心よりお見舞い申し上げます。

諸悪の根源は食べ過ぎ

f:id:asuka-atopi:20191006142533j:plain

奈良県十津川村 笹ノ滝

 

ここ数年、定期的に通っている癒しのスポットがある。奈良県十津川村。あまりの秘境さゆえ、これまでほとんど訪れることのなかった土地だが、道路が整備されたこともあり、今では定期的に通っている。とは言え、自宅から3時間。頻繁には行けないが、それでも無性に行きたくなる時がある。

私にとって十津川で一番の魅力は何と言っても「源泉かけ流し」の温泉で、それは単なる「入浴」以上の何かを与えてくれる気がする。癒しのパワーと言うか、生きるエネルギーと言うか、とにかくリフレッシュできるのだ。だから自分のエネルギーが低下した時ほど、行きたくなるのかもしれない。

ところで十津川村と言えば、もしかすると国内でもっともコメの収穫量が少ない地域ではないかと思う。その理由は土地が痩せているからとか、水源が無いからとかそんな理由ではなく、単に耕作地が無いからだろう。これは江戸幕府がこの地域だけにはコメの年貢を免除したことからも明らかだろう。

では、コメの取れない地域で住民は何を食べていたのか?それは一説によると「栃の実」らしい。十津川村では今も栃の木は安易に伐らない習慣が残っているらしいが、それはかってこの木が命を繋ぐ食料としての役割があったかららしい。「栃の実」を食して命を繋いだ十津川村の住人の中に、果たしてアレルギー疾患に苦しむ人はいたのだろうか?露天風呂に浸かりながら、ふと、そんなことを考えてしまう。

私が思うに、アトピーをはじめアレルギー疾患の大半は食べ過ぎだ。それは炭水化物がどうとか、タンパク質がどうとか言う以前の問題で、要するに過剰摂取が問題なのだ。では本来、食事の姿とはどのようなものか?それは「空腹だから食べる」であって、これは医学とか栄養学以前の自然の摂理的なものだ。一方「目の前にご馳走があるから」とか「時間が来たから」食べると言うのは、たまたま今、日本で生活しているがゆえの限定的なものだ。

自然の摂理から外れた食べ物&食べ方を続ければ、自然の摂理から外れたワケの分からない結果(疾患)が身体に生じるのはこれまた自然の摂理だし、「自分が自分が・・」と自己中心的な考え方が過ぎると精神的に異常をきたすのも、同じく自然の摂理のように思える。私が知らず知らずそちらの方向に振れそうになった時、十津川村の住民の方々の素朴な生き方が、ふと私を我に返してくれる。

私が「無農薬」に拘らない理由

f:id:asuka-atopi:20190929163314j:plain

近くの田んぼ

 

収穫の秋。もうすぐ稲刈りが始まる。普段、あまりと言うか、全然気にせず食べているご飯だが、この時期だけはよくコメのことを考える。それは私がまだ30代の頃、約2反(600坪)の土地を借りて、無農薬のコメ作りに挑戦した経験からかもしれない。

ひとくちに「無農薬のコメ作り」と言っても、その方法はいくつかる。一般的に知られているのは「アイガモ農法」だが、私が30代の頃には「ペーパーマルチ農法」と言うものもあって、これは大雑把に言えば、田植え時に田んぼを紙で覆ってしまうやり方だ。アイガモ農法にせよペーパーマルチ農法にせよ、無農薬でコメを作ると言うことは、結局の所、雑草との戦いをどう制するかがポイントになる。

コメ作りに関する限り、私の経験では農薬の散布や追肥より、除草剤を使わないことの方が圧倒的に時間と手間を食う。ちなみに2反の土地でさえ、除草剤を使わずにコメを作るとなると、日の出から日没まで、ひたすら草を取るだけの日常でひと夏が終わる。ちなみに、この労力を計算すると、10㎏あたり1万円で販売しても利益は残らない。その上、収穫量も低い。一般的な農法なら1反あたり約7俵(420㎏)収穫できるコメが、無農薬だとせいぜい5俵程度。これが現実だ。

さらに、もっと切実な問題があって、実はこのような努力をして作ったコメでさえ、本当の意味で「無農薬」かと言えば、本当はそうではない。その理由は単純で、隣の田んぼからモグラの明けた穴から水が浸入すれば、その田んぼはもう厳密な意味で無農薬用の土地ではなくなるからだ。後は良心の葛藤だけになる。自分のコメを「無農薬」として販売するか、それとも「減農薬」として販売するか。どこかの調査団が来て綿密に調べる訳でもない。そこにあるのは自分の良心だけなのだ。

自分がアトピーだった時、私は食べるものに神経質になり過ぎるあまり、「完全無農薬」の野菜やおコメを販売している店のモノしか食べなかった時期がある。で、正直に当時の私の思いを告白すれば、無農薬以外の野菜やコメを作っている農家に対して全くよい印象を持っていなかった。自分は全く野菜やコメなど作った経験もないからこそ、そういう印象を抱いたのだ。

そんな私が「無農薬」と言う言葉を口にしなくなる出来事があった。それはやはり無農薬&化学肥料無しの野菜作りに真剣に取り組む農家の方との出逢いだった。彼には奥さんと8歳になる娘さんがいて、ホウレンソウの収穫が終わった後、家族で東京ディズニーランドへの旅行を計画していたのだが、異常気象の影響か雨が降りやまずホウレンソウの出荷時期が来ても、とても商品として出せる状態ではなかった。

硝酸態窒素、つまり化学肥料を使う選択肢はあった。今ならまだなんとか集荷までに間に合う。しかし化学肥料を使えば「化学肥料なし」ではない。味も落ちる。そのことは誰よりも彼自身が一番よく分かっている。理想と現実。このような現実を知らないまま「無農薬」こそ本物みたいなイメージを抱いていた自分を私は猛烈に恥じた。事実、今の私の野菜を観る基準は、無農薬であるかどうかより鮮度に変わった。

もう少し言うと、今、私達に起こっている奇妙な病気(アトピーを含む)の大半は、無農薬の野菜やコメを食べないことが原因なのではなく、より新鮮な食材を食べなくなったことに起因するような気もする。レトルト食品やインスタント食品が一概に悪いとは思わない。私自身、忙しいお昼にはコンビニのカップ麺とおにぎりで済ませることもある。それでも可能な限り、私は、命ある、生命力あるモノを頂けるならその方が良いと思うのだが、これは知識ではなく、自分が今まで生きてきて本当にそう感じる。

最近は、糖質制限食が普及してお米を食べない人が多いようだが、私は自分の経験上、極端なことはあまりしない方がいいと思っていて、それより「お腹が減ったら食べる」「お腹が減っていないなら食べない」を基本に腹八分目にしておけば、大きな間違いは無いように思う。アトピーを治すにしても同じこと。逆に、ここがしっかりできてもいないのに、コレ以外の何かをしても効果があるようには思えない。

応用は基礎がしっかりしてこそ成り立つもので、それはワールドカップラグビーを観ていても感じた。日本がアイルランドに勝ったのは奇跡ではない気がする。確かに、勝負には時の運もあるだろう。しかしジャパンのメンバーは当たり前のことを当たり前にキチンと実行したからその通りの結果が出た。あの試合を観ていてそう思った。

 

アトピーを治して分かったこと5

f:id:asuka-atopi:20190922205026j:plain

近くの公園

 

最近、ブログ読者の方と直接お会いして感じたことがある。それは「どのくらいの期間頑張ればアトピーは治るのか?」と言う内容の質問なのだが、正直、それは私にはわからない。で、そのことを正直にお伝えすると、次は「飛鳥さんの場合はどうでした?」と質問の内容が微妙に変わる。

どのくらいの期間(時間)頑張ればアトピーが治るのか?こう尋ねてみたくなる心境は私にもよくわかる。一刻も早くアトピーから解放されたい。そう願う気持ちが切実であればあるほど、治るまでの時間は気になる。

その一方で、私は「そこ(治るまでの時間)は一度離れた方がいい。」とも思うのだ。それは何も「あなたと私では置かれた環境も状況も違う。だから比べても仕方ない」と言いたいからではなく、そのようなことを考えている精神状態が「治す」ことに対して返ってブレーキを掛けるように思えるからだ。

実際、アトピーが治っていく過程では、アトピーの自分を意識している時間がどんどん少なくなっていくのが普通だ。で、1日を終えてみて「あれ?今日はアトピーのこと忘れてた・・」となる日が徐々に増えていく。これが典型的なプロセスだ。

結果だけを求め過ぎるとロクなことはない。これは、今まで生きてきた私の経験則だ。自分は今何をしているのか?方向性は間違っていないか?このことを常に意識しておくことは大事だが、結果が欲しくてそこから逆算するようなことを考え始めると、物事は逆に上手くいかないことの方が多いように思う。

少し大袈裟かもしれないが、アトピーの人からアトピーでない人になると言うことは、自分の生き方を変えることかもしれない。最近よく思うのだが、アトピーの治し方、つまり方法論なんてものは実のところ極めて簡単かつ単純で、その点は患者自身がもうよく気付いている。要するに後はもうやるかやらないか、それだけの話なのだ。

アトピーを治して分かったこと。それはアトピーになるにはなるだけの理由があるし、アトピーが治るにも治るだけの理由があると言うこと。だからアトピーである理由が無くなれば、アトピーは間違いなく消えている。やはりアトピーは治してナンボなのだ。

アトピーを治して分かったこと4

f:id:asuka-atopi:20190914150244j:plain

和歌山県 串本町 橋杭岩

 

アトピーを治して分かったことの中での一番は、やはりアトピーは自分で治す病気だということだろう。医療機関で初めて「アトピー性皮膚炎です。」と診断されたのは高校1年の時だが、実はそれまで、私は皮膚科でお世話になった経験が無かった。両親の話によると、発熱や怪我で通院することはあっても、厄介な病気で医者のお世話になることはなかったらしい。

そんな中、今でも鮮明に憶えている出来事がある。それは小学校の修学旅行の直前の話で、私はこの一大イベントを前に、突然、熱を出して寝込んでしまった。今振り返れば単に普通の風邪だったと思うのだが、当時、どうしても修学旅行に行きたかった私は、半泣きになりながら医者に懇願した。「行きたい!」いや「行かせて欲しい」。すると医者はちょっと思案した様子の後、「分かった」と言って、その場で注射を打ってくれた。

結果、私は無事、修学旅行に参加することができた。この年代で体験したことは、その内容の真実はさておき、後々の人生に強い印象を残すのかもしれない。「医者に治せない病気なんてない!」事実、それまでもそうだった。中耳炎の時、麻疹の時、水疱瘡の時、牛乳瓶で足を切った時、全部、全部、医者に診てもらえば治った。当然のように、「家を建てるのは大工の仕事」「病気を治すのは医者の仕事」と言う論本が私の中で芽生えた。

ところが、アトピーにはこの論法が通じない。で、アトピー性皮膚炎と診断された当初の私は、まだこの事実を呑み込めず、医者が私に対してわざわざ試練を与えているかのような受け取り方をしていた。今では笑い話だが、当時の私はそれほど「お医者さん」と言う人物像に対して尊敬の念と言うか、敬う気持ちを持っていた。

その反動からか、20代以降、私の医者嫌い&医療機関不信は爆発&暴走した。この期間は結構長くて、正直に告白すると、最初にホームページを公開した時でさえ、「オレのアトピーは医者に治してもらったんじゃない!」と言う反骨心のような感情と「オレは自分で治したんだ!」と言う自負心を払拭できてはいなかった。じゃ、今はどうなのかと言うと、医者に対しても医療機関に対しても、いい意味で全く「自然体」でいられる。

では、なぜ「自然体」でいられるようになったのかと言えば、それは相手のことが分かるようになったからだと思う。中学の同級生が地元で開業医をしている。それほど頻繁に話をする訳ではないが、時折、自分が彼の愚痴を聞くこともある。医学部を卒業と同時に医師免許と取得。その後、勤務医の経験を経て地元での開業。彼は内科専門医だが、開業して以来、まとまった休暇はなく、家族旅行すらロクに取っていない。

当たり前だが、医学は万能ではない。と言うか、近代以外で治せる病気はごく僅かで、心身症などの精神的な部分、心への直接的な働きかけが不可欠な分野の病に対しては無力さが露呈する。もう少し言えば、医療従事者、要するに医者を含めた医療関係者自身でさえ精神的に病んでしまう現状を鑑みると、個人的には、精神面が影響する病気のトータル的な治療では、医学よりも量子物理学のような分野により可能性を感じる。

さらに言うと、量子物理学の知識なんてなくても、私個人としてはアトピーや心身病は十分治せると思っているのだが、そこには簡単だが条件があって、それはただひとつ。「自分で治す」と言う覚悟だと思っている。青臭いことを言うようだが、今がどんな状況だったとしても、、この覚悟さえあれば、アトピーなんてどうにでもなるのだ。頭で考えているだけでは、決してよい結果は生まれない。過去を悔い、まだ来ない将来を考えて不安になるくらいなら、何も考えずに寝ている方がマシなくらいだと思う。少なくとも、その方がアトピーにはまだマシだ。



アトピーを治してわかったこと3

f:id:asuka-atopi:20190908223115j:plain

和歌山 すさみ町 雫の滝

 

アトピーを治してから数年後、私は自分の克服体験をホームページで公表した。多分2000年の春頃だったと思うが、当時はまだSNSとかブログなんて無くて、ホームページ作成用のソフトを購入して、週末に自宅でひとり悪戦苦闘していた。

それ後はメルマガ、ブログへと情報発信の手段は広がったが、当時から今も続いていることがある。それは読者の方々との交流で、その中でも直接お会いすることは今も続けている。私には「直接話がしたいのですが・・」と言われる読者の方々の気持ちがよくわかる分だけ、このことは大切にしてきた。

自分がアトピーだった当時、「私はこうしてアトピーを治しました。」と言う人に会いたかった。会って直接話を聞きたかった。そして自分の話も聞いて欲しかった。だが当時、私の前を歩く人はいなかった。いや、いたのかもしれないけれど、まだネットが普及していない時代に、その人の存在を知る術はなかった。

今日、ホームページ読者のAさん(35歳男性)とお会いした。滋賀県大津市から私の地元までお越し頂いたのだが、昼食をご一緒しながら私達は色々な話をした。このスタイルはいつも通りなのだが、色々な話をする中で私はいつも感じることがあって、それは「出会い」の持つ不思議さだ。

私は、「出会い」は人を変える力を持っていると思う。人は人と出会うことによって変わる。事実、読者の方々との出会いの中で、私自身、変わったと思うことは多々ある。

読者の方々が直接私に会いたいと思われる最大の動機は、ご自分のアトピーを治したいからだ。このことはまずハッキリしていて、お話する内容も当然それに沿った流れで進行することになる。一方、私はどうなのか?と言えば、読者の方々からいろんな質問を受ける中で、その質問内容を自分自身の人生に照らし合わせていることが多い。私が「変わった」と感じるのは、この経験が積み重なったからだと思うのだ。

現在、アトピーで悩んでいる人にとってはそれが最大の関心事かもしれないが、アトピーが治った後も人生は続く訳で、当然、そこにはアトピーとは別の問題が次から次へと生じることになる。もし読者の方々との交流が無ければ、私はもっと「自分が自分が」と言ったタイプの人間を加速させていたような気がする。

全体的な話をすれば、過去、私がお会いした方々は総じて傷を負った人達だった。程度の差こそあれ、大半は周囲から叩かれ、自信を失い、途方に暮れている人たちだった。
私自身、アトピーの時は自分を弱者だと感じていて、その弱者ぶりはポジティブ思考なんかで乗り切れるようなものではなかった。口が乾く。呼吸が浅い(酸素が足りない)、一人になるとギャー!と大声で叫びだしたくなる。あの感覚が蘇るのは、まさに読者の方とお会いしている瞬間だ。

私が思うに、人が成長するのは絶対に順風満帆な時ではない。順調でない時、苦しい時どうしようもない時を経て人は大きくなる。これだけは確信している。事実、苦労をしていない人、何かに真剣に打ち込んだ経験の無い人の話は退屈だ。

読者の方々を直接お会いして、私ができるのは自分の経験を話すことしかない。それでも一緒になって可能性を模索することはできる。いや、ことアトピーに関する限り、そんなものはどうにでもなる。人と人が支えあうようになった環境に感謝したい。

 

アトピーを治してわかったこと2

f:id:asuka-atopi:20190831213421j:plain

和歌山県 恋人岬

 

33歳の春以降、それまで散々苦しめられた『痒み』は消えた。高校入学以来、実に18年間、この時を境に私のアトピー人生は幕を閉じた。それまでも何度か「治った?」と思うことはあったが、この時は違っていた。それは「治った?」と言うより「治した!」の感覚に近いもので、それ以降、私のアトピーは今日まで一度も再発していない。今後も、他の病気はともかく、私がアトピーになることはもうない。

夏は普通に半袖シャツ。ステロイドを持参することはなく、散髪の時も顔から粉が噴く心配も無くなった。旅先で眠れぬ夜を過ごすことも無くなった。そして仕事でも、相手の眼を見て普通に話せるようになった。「オレはアトピーじゃない!」。その現実がいちいち嬉しかった。と同時に、アトピーを治してみて、初めて観えるものがあることにも気付いた。

今、「私がアトピーになることはもうない。」とキッパリ書いたが、何故そんなことが書けるのかと言うと、それは理由、つまり原因が分かっているからだ。アトピーになるには理由があるし、アトピーが治るにも理由がある。その理由が分かっているかどうか、ここなのだと思う。で、このことは何もアトピーだけに限らず、身の回りを見渡して観ても、似たような例は一杯あるように思う。

例えば農家。私は「これは芸術品か・・・?」と思うほど美味しいトマトを作る方を知っているが、実はこのトマトの美味しさには理由がある。私には「理由がある」ことしか分からないが、それは素人の私が観ても、彼の堆肥の作り方ひとつからして、他の農家さんとは明らかにやり方が違うことで分かる。で、ここが肝心なところなのだが、彼は研究者ではなく実践している人。である。言い換えると、彼は美味しいトマトの研究をしている人ではなく、美味しいトマトを実際に作っている人なのだ。で、私が思うに、彼は芸術品のようなトマトを作れる理由も作れない理由も両方知っていて、一方、そんなトマトが作れない人は作れる理由だけでなく、作れない理由も知らない筈だ。

誤解を恐れずに言うと、私は研究するだけでは分からないことが世の中には多いと思っていて、実は『アトピーを治す』と言うこともその類のカテゴリーに入るように思う。いくら泳ぎの情報を収集して学んでも、実際に水の中で泳いでみないと泳ぎをマスターできないのと同様、アトピー治すには治すためのこと(理由)を愚直に繰り返すしかないだろう。しかもアトピーを治すのにやることなんて難しいことは何も無くて、それは手足をバタバタさせている間に自然と泳ぎを会得する水泳のプロセスと似ているかもしれない。ひょっとすると、お釈迦様が悟りを開いのも何かを研究したからではなく、ただ座って自分の体と心を微細に観察していたからなのかもしれない。