飛鳥旬のブログ

自分のアトピーは自分で治そう!

アトピーを治して分かったこと5

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近くの公園

 

最近、ブログ読者の方と直接お会いして感じたことがある。それは「どのくらいの期間頑張ればアトピーは治るのか?」と言う内容の質問なのだが、正直、それは私にはわからない。で、そのことを正直にお伝えすると、次は「飛鳥さんの場合はどうでした?」と質問の内容が微妙に変わる。

どのくらいの期間(時間)頑張ればアトピーが治るのか?こう尋ねてみたくなる心境は私にもよくわかる。一刻も早くアトピーから解放されたい。そう願う気持ちが切実であればあるほど、治るまでの時間は気になる。

その一方で、私は「そこ(治るまでの時間)は一度離れた方がいい。」とも思うのだ。それは何も「あなたと私では置かれた環境も状況も違う。だから比べても仕方ない」と言いたいからではなく、そのようなことを考えている精神状態が「治す」ことに対して返ってブレーキを掛けるように思えるからだ。

実際、アトピーが治っていく過程では、アトピーの自分を意識している時間がどんどん少なくなっていくのが普通だ。で、1日を終えてみて「あれ?今日はアトピーのこと忘れてた・・」となる日が徐々に増えていく。これが典型的なプロセスだ。

結果だけを求め過ぎるとロクなことはない。これは、今まで生きてきた私の経験則だ。自分は今何をしているのか?方向性は間違っていないか?このことを常に意識しておくことは大事だが、結果が欲しくてそこから逆算するようなことを考え始めると、物事は逆に上手くいかないことの方が多いように思う。

少し大袈裟かもしれないが、アトピーの人からアトピーでない人になると言うことは、自分の生き方を変えることかもしれない。最近よく思うのだが、アトピーの治し方、つまり方法論なんてものは実のところ極めて簡単かつ単純で、その点は患者自身がもうよく気付いている。要するに後はもうやるかやらないか、それだけの話なのだ。

アトピーを治して分かったこと。それはアトピーになるにはなるだけの理由があるし、アトピーが治るにも治るだけの理由があると言うこと。だからアトピーである理由が無くなれば、アトピーは間違いなく消えている。やはりアトピーは治してナンボなのだ。

アトピーを治して分かったこと4

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和歌山県 串本町 橋杭岩

 

アトピーを治して分かったことの中での一番は、やはりアトピーは自分で治す病気だということだろう。医療機関で初めて「アトピー性皮膚炎です。」と診断されたのは高校1年の時だが、実はそれまで、私は皮膚科でお世話になった経験が無かった。両親の話によると、発熱や怪我で通院することはあっても、厄介な病気で医者のお世話になることはなかったらしい。

そんな中、今でも鮮明に憶えている出来事がある。それは小学校の修学旅行の直前の話で、私はこの一大イベントを前に、突然、熱を出して寝込んでしまった。今振り返れば単に普通の風邪だったと思うのだが、当時、どうしても修学旅行に行きたかった私は、半泣きになりながら医者に懇願した。「行きたい!」いや「行かせて欲しい」。すると医者はちょっと思案した様子の後、「分かった」と言って、その場で注射を打ってくれた。

結果、私は無事、修学旅行に参加することができた。この年代で体験したことは、その内容の真実はさておき、後々の人生に強い印象を残すのかもしれない。「医者に治せない病気なんてない!」事実、それまでもそうだった。中耳炎の時、麻疹の時、水疱瘡の時、牛乳瓶で足を切った時、全部、全部、医者に診てもらえば治った。当然のように、「家を建てるのは大工の仕事」「病気を治すのは医者の仕事」と言う論本が私の中で芽生えた。

ところが、アトピーにはこの論法が通じない。で、アトピー性皮膚炎と診断された当初の私は、まだこの事実を呑み込めず、医者が私に対してわざわざ試練を与えているかのような受け取り方をしていた。今では笑い話だが、当時の私はそれほど「お医者さん」と言う人物像に対して尊敬の念と言うか、敬う気持ちを持っていた。

その反動からか、20代以降、私の医者嫌い&医療機関不信は爆発&暴走した。この期間は結構長くて、正直に告白すると、最初にホームページを公開した時でさえ、「オレのアトピーは医者に治してもらったんじゃない!」と言う反骨心のような感情と「オレは自分で治したんだ!」と言う自負心を払拭できてはいなかった。じゃ、今はどうなのかと言うと、医者に対しても医療機関に対しても、いい意味で全く「自然体」でいられる。

では、なぜ「自然体」でいられるようになったのかと言えば、それは相手のことが分かるようになったからだと思う。中学の同級生が地元で開業医をしている。それほど頻繁に話をする訳ではないが、時折、自分が彼の愚痴を聞くこともある。医学部を卒業と同時に医師免許と取得。その後、勤務医の経験を経て地元での開業。彼は内科専門医だが、開業して以来、まとまった休暇はなく、家族旅行すらロクに取っていない。

当たり前だが、医学は万能ではない。と言うか、近代以外で治せる病気はごく僅かで、心身症などの精神的な部分、心への直接的な働きかけが不可欠な分野の病に対しては無力さが露呈する。もう少し言えば、医療従事者、要するに医者を含めた医療関係者自身でさえ精神的に病んでしまう現状を鑑みると、個人的には、精神面が影響する病気のトータル的な治療では、医学よりも量子物理学のような分野により可能性を感じる。

さらに言うと、量子物理学の知識なんてなくても、私個人としてはアトピーや心身病は十分治せると思っているのだが、そこには簡単だが条件があって、それはただひとつ。「自分で治す」と言う覚悟だと思っている。青臭いことを言うようだが、今がどんな状況だったとしても、、この覚悟さえあれば、アトピーなんてどうにでもなるのだ。頭で考えているだけでは、決してよい結果は生まれない。過去を悔い、まだ来ない将来を考えて不安になるくらいなら、何も考えずに寝ている方がマシなくらいだと思う。少なくとも、その方がアトピーにはまだマシだ。



アトピーを治してわかったこと3

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和歌山 すさみ町 雫の滝

 

アトピーを治してから数年後、私は自分の克服体験をホームページで公表した。多分2000年の春頃だったと思うが、当時はまだSNSとかブログなんて無くて、ホームページ作成用のソフトを購入して、週末に自宅でひとり悪戦苦闘していた。

それ後はメルマガ、ブログへと情報発信の手段は広がったが、当時から今も続いていることがある。それは読者の方々との交流で、その中でも直接お会いすることは今も続けている。私には「直接話がしたいのですが・・」と言われる読者の方々の気持ちがよくわかる分だけ、このことは大切にしてきた。

自分がアトピーだった当時、「私はこうしてアトピーを治しました。」と言う人に会いたかった。会って直接話を聞きたかった。そして自分の話も聞いて欲しかった。だが当時、私の前を歩く人はいなかった。いや、いたのかもしれないけれど、まだネットが普及していない時代に、その人の存在を知る術はなかった。

今日、ホームページ読者のAさん(35歳男性)とお会いした。滋賀県大津市から私の地元までお越し頂いたのだが、昼食をご一緒しながら私達は色々な話をした。このスタイルはいつも通りなのだが、色々な話をする中で私はいつも感じることがあって、それは「出会い」の持つ不思議さだ。

私は、「出会い」は人を変える力を持っていると思う。人は人と出会うことによって変わる。事実、読者の方々との出会いの中で、私自身、変わったと思うことは多々ある。

読者の方々が直接私に会いたいと思われる最大の動機は、ご自分のアトピーを治したいからだ。このことはまずハッキリしていて、お話する内容も当然それに沿った流れで進行することになる。一方、私はどうなのか?と言えば、読者の方々からいろんな質問を受ける中で、その質問内容を自分自身の人生に照らし合わせていることが多い。私が「変わった」と感じるのは、この経験が積み重なったからだと思うのだ。

現在、アトピーで悩んでいる人にとってはそれが最大の関心事かもしれないが、アトピーが治った後も人生は続く訳で、当然、そこにはアトピーとは別の問題が次から次へと生じることになる。もし読者の方々との交流が無ければ、私はもっと「自分が自分が」と言ったタイプの人間を加速させていたような気がする。

全体的な話をすれば、過去、私がお会いした方々は総じて傷を負った人達だった。程度の差こそあれ、大半は周囲から叩かれ、自信を失い、途方に暮れている人たちだった。
私自身、アトピーの時は自分を弱者だと感じていて、その弱者ぶりはポジティブ思考なんかで乗り切れるようなものではなかった。口が乾く。呼吸が浅い(酸素が足りない)、一人になるとギャー!と大声で叫びだしたくなる。あの感覚が蘇るのは、まさに読者の方とお会いしている瞬間だ。

私が思うに、人が成長するのは絶対に順風満帆な時ではない。順調でない時、苦しい時どうしようもない時を経て人は大きくなる。これだけは確信している。事実、苦労をしていない人、何かに真剣に打ち込んだ経験の無い人の話は退屈だ。

読者の方々を直接お会いして、私ができるのは自分の経験を話すことしかない。それでも一緒になって可能性を模索することはできる。いや、ことアトピーに関する限り、そんなものはどうにでもなる。人と人が支えあうようになった環境に感謝したい。

 

アトピーを治してわかったこと2

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和歌山県 恋人岬

 

33歳の春以降、それまで散々苦しめられた『痒み』は消えた。高校入学以来、実に18年間、この時を境に私のアトピー人生は幕を閉じた。それまでも何度か「治った?」と思うことはあったが、この時は違っていた。それは「治った?」と言うより「治した!」の感覚に近いもので、それ以降、私のアトピーは今日まで一度も再発していない。今後も、他の病気はともかく、私がアトピーになることはもうない。

夏は普通に半袖シャツ。ステロイドを持参することはなく、散髪の時も顔から粉が噴く心配も無くなった。旅先で眠れぬ夜を過ごすことも無くなった。そして仕事でも、相手の眼を見て普通に話せるようになった。「オレはアトピーじゃない!」。その現実がいちいち嬉しかった。と同時に、アトピーを治してみて、初めて観えるものがあることにも気付いた。

今、「私がアトピーになることはもうない。」とキッパリ書いたが、何故そんなことが書けるのかと言うと、それは理由、つまり原因が分かっているからだ。アトピーになるには理由があるし、アトピーが治るにも理由がある。その理由が分かっているかどうか、ここなのだと思う。で、このことは何もアトピーだけに限らず、身の回りを見渡して観ても、似たような例は一杯あるように思う。

例えば農家。私は「これは芸術品か・・・?」と思うほど美味しいトマトを作る方を知っているが、実はこのトマトの美味しさには理由がある。私には「理由がある」ことしか分からないが、それは素人の私が観ても、彼の堆肥の作り方ひとつからして、他の農家さんとは明らかにやり方が違うことで分かる。で、ここが肝心なところなのだが、彼は研究者ではなく実践している人。である。言い換えると、彼は美味しいトマトの研究をしている人ではなく、美味しいトマトを実際に作っている人なのだ。で、私が思うに、彼は芸術品のようなトマトを作れる理由も作れない理由も両方知っていて、一方、そんなトマトが作れない人は作れる理由だけでなく、作れない理由も知らない筈だ。

誤解を恐れずに言うと、私は研究するだけでは分からないことが世の中には多いと思っていて、実は『アトピーを治す』と言うこともその類のカテゴリーに入るように思う。いくら泳ぎの情報を収集して学んでも、実際に水の中で泳いでみないと泳ぎをマスターできないのと同様、アトピー治すには治すためのこと(理由)を愚直に繰り返すしかないだろう。しかもアトピーを治すのにやることなんて難しいことは何も無くて、それは手足をバタバタさせている間に自然と泳ぎを会得する水泳のプロセスと似ているかもしれない。ひょっとすると、お釈迦様が悟りを開いのも何かを研究したからではなく、ただ座って自分の体と心を微細に観察していたからなのかもしれない。

アトピーを治してみて分かったこと1

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58回目の誕生日。清々しい朝、妻と愛犬で近くの公園を散歩。爽やかなそよ風が肌に心地よい。自生したユリの花が一本、ポツンと咲いていた。ユリは何も主張しないし、何かの功績を残そうともしない。ただそこに咲いているだけ。なのに不思議と存在感を感じる。まるで「生きているだけでいいよ」と語りかけられているようだ。

 

アトピーであること、アトピーを治すこと

アトピーを治してみて初めてわかったことはかなり多い。その反面、アトピーの最中に得たものは殆どない。私の場合、アトピーであること自体は「苦痛」以外の何物でもなかった。得るものなんて何もなくて、思い知ったのは治りたい気持ちの激しさ、一途さだけだった。もっと言うなら、必死になって治そうとしている時間でさえ、私にとっては苦痛だった。裏付けのない希望。根拠のない期待。

「今はアトピーに感謝しています。」
アトピーの克服体験談にこんなコメントがあった。「自分とは違う」と思ってしまう。年を重ねることで「そんな風になるのかな?」と思ってもみたが、年を重ねた今でも、相変わらず「自分とは違う」ままだ。今も、私はアトピーには感謝なんてしていないし、誤解を恐れずに言うと「今はアトピーに感謝しています」と言うコメントは治してこそのものだと思う。アトピーのまま、治った事実が無いままでは感謝の念は生まれない気がする。だから「アトピーは治してナンボ」と私は思うのだ。

逆に、アトピーを治してみて分かったことなら一杯ある。それは身体だけでなく精神面も含めて、一杯ある。で、それらの「分かったこと」は、今も日々生きて行く中で役に立つ。例えば「怒り」。怒りの感情が体に与える影響は絶大。これはアトピーを治して分かったことのひとつだが、イライラして内に怒りを秘めた日々が続くと、心身に異常が出ない方が不思議。と今なら分かる。ので、怒り、恨み、憎みの感情には注意する。

アトピーを治してみて分かったことの一番は、なんと言っても全ては「自分」だと言うこと。レジの行列でもたつく先客、電車の中の酔っ払い、信号が青になっても発進しないクルマ等、イライラする種を言い出せばキリがない。多分、悪いのは相手だろう。自分ではない。いや100%自分以外の人やモノが悪いケースの方が多いかもしれない。で、このようなイライラの種は今までがそうであったように、これからの人生でも起こり続けるだろう。ストリーやシチュエーションは変わっても。

でも、こんなイライラの種に対して「自分」は過敏に反応したくはないと思う。イエス・キリストのように「敵に打たれたら、反対の頬を差し出せ」とはいかないまでも、「そこは黙ってスルー」くらいならできそうだ。黙ってスルーできないこともあるだろうが、少なくてもレジに並ぶ先客や電車の中の酔っ払い、信号が青になっても発進しないクルマの運転手程度なら何とかなりそうだ。

自殺者3万人。うつ病患者100万人。引きこもり60万人。これらの背後にあるものは一体何だろう?先の参議院選挙で候補者が「現状打破!この社会を変えましょう!と連呼していた。

「正社員ではない自分には価値がない」「結婚できな自分には価値がない」「仕事で功績のない自分には価値がない」。そんなものは本来、人間の価値とは関係のないものの筈だ。実際、幼馴染みとか同級生に対して、そんな視点で付き合っている人は少数派だろう。ところがもう少し大きな枠、つまり「社会」と呼ばれるカテゴリーでは自分には「価値」が必要で、そのためには特別な何かをしなければならないと言う一種、脅迫めいた感覚に陥ることがある。こうなると「生きる」ことの意味がグチャグチャになる。と言うのが私の経験則。

私は思う。「ユリの花と人間はそもそも違う」と言うのは少し偏狭な視点で、エネルギーある生命体と言う見方をすれば、ユリの花も人間も共通点はある。ただユリの花は自分に対して付加価値を求めることはしない。それは「ただそこに咲いているだけで十分なのよ。」と語りかけているようにも思える。

 

飛鳥流 アトピーのかゆみ対策

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     伊豆半島城ヶ崎海岸より 前方にうっすら見えるのは伊豆大島? 

 

暑い!と言うより熱い!ならば熱い海。熱海へ!と言う訳で、夏休みを利用してブログ読者のM君と伊豆の熱海へ行くことに。新幹線の熱海駅で集合する予定が、駅周辺は大渋滞。急遽、海辺のデニーズで合流。大型台風接近との情報から、「このタイミングで海へ行く人は少ない」と言う私達の予想は見事に外れた。

浜辺は、海水浴を楽しむ人、人、人で埋め尽くされていた。台風が接近しているせいか、波は穏やかではなかった。が、返ってそれが子供達には楽しそうで、一心不乱に波と戯れる光景を見ていると、自然と自分までウキウキしてきた。で、ふと思った。「あっちこっち行かんでも、もうココで十分えーやん・・」

気持ちを切り替えて伊豆半島南端、宿泊地である下田を目指す。車の窓から景色を眺めていると、さっきの気持ちはどこへやら。岸壁に打ち寄せる白波を見ては、「やっぱり移動して良かった!」などと思う。私はすっかり伊豆半島の自然に魅了されていた。

20代の頃、私は外泊が好きではなかった。と言うか怖かった。その理由は「痒くて眠れない」から。当時はどこへゆくにもステロイドを持参。ステロイドが無ければ私の日常は成り立たなくなっていたのだが、夏はステロイドを塗っても眠れない。そんな日が続いていた。疲れているのに眠れないのは拷問に近い感覚だった。

この時期、「飛鳥さん、痒い時はどうすればよいのですか?」と言う質問を頂く機会が多い。そこで今回は、私流の痒み対策を紹介しようと思います。

まず最初に言っておきたいこと。それはアトピーの痒みと言うのは「痒い!」と感じてからでは、もう打つ手が無いということです。全く選択肢がない訳ではないのですが、それでも実際は「冷やす」くらいしか手段がありません。なのでアトピーの痒み対策とは「痒い!」と感じてからするものではなく、それ以前のものいうことになります。

まず、痒みそのものをじっくり観察してみて下さい。するとアトピーの痒みが必ずしもワンパターンではないことに気付きます。ね?激しさはないもののダラダラと続く慢性的な痒み。短時間だけど気が狂いそうになるほど発作的な強い痒み。少なくとも、この二つは観察できる筈?で、今回紹介するのは夕刻から明け方まで続く「快眠妨害型」の痒み対策です。

一般的にアトピーの痒みと言うのは、副交感神経が優位になる夕方から始まるケースが多いです。脱ステ後のリバウンド状態は別として、起床直後に我慢できないほどの発作的な痒みに襲われた経験ってありますか?多分、無いと思います。このような激しい痒みの多くは夕刻からやってくるからです。逆の見方をすると、交感神経が優位な夕刻までの時間帯では、痒みは比較的鎮静化しています。この現実から、私の直接体験を紹介します。

夜、「快眠」を得ようと思うなら、可能な限り食事は午前に集中させる方がいいです。正直、理由は分かりませんが、副交感神経が優位なリラックスタイムより、交感神経が優位な戦闘モード?に飲食を集中させた方が、夜の痒みは確実に軽減されます。自分が思うに、これは血液の流れ、つまり血流に関連している気がします。健康なら血流なんてほぼ無視。でもアトピーの時はこれが刺激となって痒みを誘発している。

一方、痒み自体もひとつの治癒反応である故、逆に血流を促す治療法もあるようですが、私はいくら血流が良くなっても、夜、眠れなければ意味が無いと思っているので、熟睡できることを最優先させます。それに、皮膚は眠っている間が一番再生されます。実際、私は日々、食事の内容で随分、血流が違うことを実感しています。例えば今夜の夕食を、ごはん、冷や奴、奈良漬けにした場合と、ごはん、麻婆豆腐、キムチとした場合を比べてみると分かりやすいかもしれません。量の問題はあっても、まず後者の方が痒くて眠れない可能性大です。

もう少し分かりやすい例を挙げると、夏の時期、バーベキューで焼き肉を腹一杯食べた時と、軽く素麺だけで済ませた時の違い。よく体感できると思います。但し、今回のような痒み対策をブログでお伝えするには難しい部分もあって、それは食べる量や香辛料の量などによっても微妙に変わってくることは付け加えておきます。

ひと昔前、アトピー本の中の食事のページには、食べて良いもの・悪いものみたいな括りで食品が紹介されていましたが、例えば先ほどの豆腐のように、それをそのまま冷や奴で食べるか、それとも唐辛子を入れた麻婆豆腐で食べるのかで、アトピーの痒みに与える影響は全く違ってくる気がします。かってエスキモーの人達がアザラシの肉を生で食べたのは、それが一番血流を促して体を温めておく食べ方だったからでしょう。

逆にアトピー時の痒み対策は、できるだけ就寝前に飲食で血流を上げないことだと思います。東南アジアの僧侶の食事は午前中のみ、午後は基本的に飲食を控えるそうです。で、すこぶる体調が良いのだと。このことは自分にも経験的にわかる気がします。できるかどうかは別として、アトピーの痒み対策のヒントになるように思えます。

今回は痒み対策の話でしたが、最初に対策は「痒み」を感じてからやるものではないと言いました。このことはアトピーを治す場合の全てに通じることで、この夏にやるべきことをやることで今年の冬はもっと症状は改善されている筈で、根治療法とはそのようなものです。

先日、たまたアトピーの新薬「デュピルマブ」による治療体験談をネットで見ました。そこには治療開始から本日に至るまでの経過が赤裸々に綴られていたのですが、それを見て私は何ともやるせない気持ちになりました。理由は単純です。全然良くなっていないからです。治療開始から既に1年以上が経過しています。これだけの時間、もし根治療法を地道に続けていれば・・・と思ってしまいました。私は、アトピーと言う病気は計画的に治せるものだと信じているからです。

アトピーを治すのに特別なことは何も必要ない。

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                                                         岩清水

 

久しぶりに家族で旅行した。本州最南端の潮岬から串本町&古座川周辺をドライブ。で、今回のような一泊旅行をすると、普段の生活の中ではもう思い出すことも無くなったアトピー時代の記憶がふと蘇ることがある。それはもう自分の中では消えてしまっている筈の記憶だが、例えば岩肌を伝って流れ落ちる石清水を見た瞬間、なぜか箱根周辺を家族で旅行した時の記憶が鮮明に呼び起された。

 

当時、私は28歳。アトピーが顔に出て間もない頃だった。あの頃の私は、顔にアトピーが出たことがショックで、何をしていても、どこへ行っても、自分の顔のことばかり気にしていた。私の場合は特に左半分の炎症が酷く、平手で叩かれた後のようにいつも赤く腫れ上がっていた。だから人と話す時は、常に顔の左側が相手に見えないようにしていた。(この癖はアトピーが治った後もしばらく抜けきらなかった。)

 

四六時中自分の自分の顔ばかり気にしていると、何をしても、どこへ行っても『心ここに非ず』の状態になる。で、この『心ここに非ず』の状態では、どこへ行っても目に入る景色や光景は見ていないのと同じことになる。事実、当時の私には海からの潮風を感じることも無く、清流や岩肌を伝う石清水の美しさも感じることはできなかった。

 

『雫の滝』から吹く風は優しかった。石清水から滴る水も優しかった。それを理屈で言えば「マイナスイオンの影響」なのかもしれないが、そんなことより、私はただただ「優しさ」に身を委ねていることが心地よかった。「自分は癒されている・・・」と思った。

 

アトピーだった当時、私はいつも「癒し」を求めていたように思う。で、その「癒し」とは人からの愛情とか優しい言葉と言った類のものだけでなく、とにかく自分が「心地よさ」を得ることができる全部だったのだろう。どうすれば癒されるのか?その答えは実は難しいものではない。対象は何でもよい。例えば通勤中、道端にそっと咲いている花を見た時、その花に笑顔を返せるだけでも少しだけ一体感を得ることができる。少なくともそれは『心ここに非ず』ではない。「一体感」は癒しの原点かもしれない。

 

今、対象は何でもよい。と言ったが、対象はやはり自然や生き物が良いと思う。包丁やナイフを見て微笑みを返すことは難しいだろうし、ポリ袋やごみ箱を見て微笑みを返せるほど修業は積んでいないから。